僕が中学校に行かなくなったのは、クラスメイトがみんな教師をいじめるのが嫌いだったからだ。
僕は母親が教師だが、みんなが母親みたいな教師をいじめるのが嫌いだった。
不登校の高校にあまり行かなかったのも、みんな教師が嫌いだからだ。
そして、試験勉強が出来ていたのも、剣道部を頑張っていたのも、最終的にみんな無意味だった。だから、僕は学校に行かずに、独りでコンピュータのことをやりたかった。
決して、人生を棒に振ったわけではなく、コンピュータの道で、独りで賢くなることを目指していた。
僕はいじめで学校に行かなくなったことになっているが、それは正しい。いじめというよりは、挙動不審で、キモくて、遊び相手にされていた。
だが、本当はいじめよりも、そもそも自分の立場が変わったことが辛かった。小学校時代は友達も多かったのに、中学校に入って友達が急激に少なくなった。
そういうわけで、いじめは多かったことになっているが、僕はそもそもあまりいじめられていない。そういうところが、最近自分でも良く分からない。本当は教師も嫌いだ。
馬鹿になったのは、エロが悪かった。子供なのにエロいものを見るのが悪い。
ただ、本当はLinuxが好きになったのは良かった。特に、本当に頭が賢くなった。誰よりも賢い高校に行かない高校生だった。
そして、本当に悪いのは社会を支配したことだ。社会に対して反旗を翻した。だから、本当は何も悪くない。自分のやりたいように、自由にやっているだけだ。
あれは賢い人間で、成績表はオールAを取っていた。みんなが勉強していない中で独り勉強していた。そういう、学校の全てが嫌になった。そういう中学生だった。
コンピュータを独り、独自にやっているのは、何も賢くなかった。何一つ出来なかった代わり、コンピュータの世界だけに詳しくなった。
そして、本当に悪いのは、何だったのか自分でも分からない。文章を書くようになってから、全てが辛くなって地獄になった。最初から、そういう地獄が好きだったのかもしれない。神という何かおかしなものを信じるようになって、僕は孤独で日本語も分からなくなった。
だが、結構僕は幸せだ。文章を書く、という作業は孤独だが、この世界の全てがそこにあった。絶対的真理のようなものが全てあった。
僕は中学生の頃、既に「作家になりたい」と学校の作文で書いているが、漠然とそういう気持ちが心のどこかであったのだと思う。
神は神だ。ユダヤ教の神だ。僕は神が好きだ。神だけが、僕のことを分かってくれている。そして、文章を書きたい。文章を書くことだけで、僕は満足出来るからだ。
あとは、昔の自由な人生のことを言っていた。自分なりに夢を追い続けて世界を知ったとか、子供なのに大学のような経験をしたとか、そういうことを言う。
そろそろきちんと書けた。そういうわけで、ある意味一番賢い高校生だったが、実際を見ると、ただ狂っているだけだ。
僕は、最近の自分の方が好きだ。何にでも臨機応変に対応出来る、何でも発想を書ける、賢い作家の王だった。一度も失敗せず、世界を最後まで導き続け、刹那の時間を永久に遺した。
最近は、大学を全部書いているが、それはただ本をそのまま書いただけだ。最近の大学は何も賢くない。昔は、人生経験が全部書ける賢い人間だったが、最近そういう人生のことが分かっていない。本当に忘れた。だから、もう少し賢い人間になりたい。最近は言うこともすることも馬鹿で、本当に馬鹿な大人になっている。
あとは、最近は戦ったと言うよりは、立ち向かったと言う方が正しい。一人だけで、果敢にこの世界に立ち向かった。世界を変えられるようになって、影響力を行使することでこの世界を正した。
ただ、そうでもない。あれは明らかに悪い。悪い女王になっている。あれはダークサイドに堕ちたのだと思う。
ただ、理想だけは賢かった。自分が全てを教えた上で、解放し、自由にする。だが、やっている間にどんどん自由が嫌いになって行った。最終的には、理想なんか何も無くなって消えた。そして、楽を望むようになって、神が滅ぼした。最終的には自ら死んだ。あれは、そういう人間だった。馬鹿だったが、人並み程度に賢くて、正義感のあるカッコいい人間だった。
死んでからの自分は、書くことしか望まない。一切、治ることしか望んでいない。治って、全て網羅することを望んでいる。もう書かない、もう書かないと言うが、思い出すとまだ書くべきことがたくさんあることが分かる。何か一つ書けることが浮かぶと、それをどんなことがあっても書こうとしてしまう。意志が弱いわけではない。強すぎるのだ。こちらはそういう、趣味を楽しんでいるだけの普通の人間だ。女性に見えるのは、悪の女王がそのまま大人になったからだ。
そして、このカップルは面白い。若い女王に青年の英雄が仕えているように見えるからだ。
英雄は20歳で、本当は剣道が好きだった。女王はまだ9歳だ。女王はどんどん成長するから、16歳ぐらいになった時に結婚するだろう。最初から結婚相手として決まっている。
こういう風に面白おかしく人生を書いているが、本当はただの何もしないクズな大人だ。9歳どこか、既に老人の域に達している。老人と何も変わらない。これがオヤジだ。
2人に名前を付けよう。英雄はジークフリートで、女王はクリームヒルトだ。ニーベルンゲンの歌の英雄たちだ。
ここまで嵐の中を進むのは、結構辛かった。でも、紙ひこうきのようにフラフラと進んだのでは決してない。本当に、自分の力で高く、強く道を作ってきた。嵐のままをここまで来たのは、みんなも同じだ。ここがどこなのか、どこに行くのか分からなくても、僕らは一緒に居るから迷子ではない。僕らは赤い星を並べてどこまでも行く。BUMP OF CHICKENが言っている。
ドイツは終わりだ。全てが死んでいく中で、一筋の光を信じた、この世の全てを見て自分が希望の光になった、そういうパンドラの箱の女王だった。最後に出てくる希望とは、自分自身が新しくなることを言っている。この人間は10年後に救世主になって、世界を救うだろう。そういうものだ。エヴァンゲリオンが言うように、少年は神話となった。
本当は、この人間は人間ですらない。人間に見えて、蝶だ。普通、昆虫は死んで成虫になる。21歳で成虫になって、蝶になってみんなを導いているのが、僕だ。
この蝶は、黄金色に輝き、世界のもの全てにカラフルな色を付ける。この世界を全く別の世界と見間違うような幻想を見せる。だが、世界の方は何も変わっていない。蝶だから何も考えていない。いつでもひらひらと舞って、儚く死んでいく。いつも独りぼっちで孤独だったから、友達を欲しいとかそういうことを思わなくなった。だが、恋心を抱くことは忘れていない。誰をも狂わせる代わり、誰もが治る。心の病気にした張本人が心の病気を治していく。君が居たから答えは必要ないと、AAAが言っている。全ての存在は、神が宿ることで特別の存在となる。
天国とは、蝶の舞うユートピアのソ連だ。民主主義の方が昔は楽だったが、馬鹿だった。今から、社会主義も民主主義も超越した、最高の良い国になるだろう。それが、最後の日本だ。第三次日本帝国だ。帝王は、この文章だ。そして、その第三帝国のソビエトの日本は今、もう終わった。あるいは、この文章が終わる時に終わるだろう。僕が一番嫌いだった、最悪の狂った地獄だった。だが、この人間が居たせいで、決して忘れられることは無いだろう。
本当は、過激なことなんか言いたくない。真実をそのままに記述し、事実だと僕が思っていることをありのままに遺しているだけだ。
第一次日本帝国は軍事的発展と富国強兵だった。第二次日本国は経済成長と平和だった。第三次日本帝国は、平等と完成された国になるだろう。平和を止めるわけでも、強さを諦めるわけでもない。だが、そろそろ平等にして、みんなの意見を一つにするべきだ。それが、最後のソ連だ。
あとは、色んな発想を言っていた。モデルと言うよりは、人生経験と自分が見たこの世界から、構造的に全ての発想をする。のっぺりとした切れ目のない完璧な全ての発想をしていた。
僕は決して右翼ではない。右翼を愛する左翼だ。だから、ソビエトのような国になる。そのために革命のような暴力的な労働者の団結はしない。インターネットの時代だから、この文章が適当に人々の間で有名になれば、きっとこの世界は変わるはずだ。きっとそうなるだろう。そして、それは偉大な永遠の星となるだろう。
ドイツ帝国が戦後のワイマール共和国からナチス・ドイツになったが、日本も同じになる。だが、右翼の方になったのがアメリカだから、きっと左翼の方は日本になるだろう。最後まで、アメリカと北朝鮮が戦う中で、日本はきっと良いことが出来ると思う。ただのソ連にはならないだろう。
人生経験と執筆の発想は、世界の全て、人間の全て、宇宙の全てを分かっていた。それぞれを自由にすることも大切だが、本当は積極的に全員を平等に幸せにすべきだ、とか、民主主義を超えた新しい経済理論のようなものを書いた。だが、民主主義は別の形、別の形態で、選挙や金ではない形でも、実現出来るとしていた。そのために、権利を与え、参加させ、システムを作るべきだ、と言っていた。最終的には、手段と共同体が多様になり、経済的にも、自治的にも、世界は自由へと近づいて行き、人間は何にでもなれて何でも出来るようになるだろうと言う。そうした、マルクスが構造的に考えていたのとは逆の、ドイツのような理想を良く考えていた。理性的な思考と時代の実像を捉えることによって全てが分かり、またあらゆることを発想出来た。その上で、ヘーゲルの人生論のようにあらゆることを俯瞰的に遍歴していくような、そういう人間だった。全ては想像力と言葉と経験だった。
僕はそろそろ、本当に右翼を倒す。右翼は、右翼を信じれば良い。それで、僕を信じなければ良い。それですぐに倒れる。アメリカやヨーロッパの右翼も、韓国などの右翼も、全部倒れる。右翼は本当に、右翼を信じれば、すぐに僕に勝てる。僕に勝つことで、僕の世界は終わって、右翼は終わる。右翼の時代は、僕が勝っているから続くだけで、単純に僕を信じずに、本来の日本と言う国を信じれば、右翼は終わっていくだろう。
僕は右翼なんか嫌いだ。右翼には僕のことを信じないでほしい。
本当は、右翼なんか、倒れる兆しが見えればすぐに自分から消え去る。僕が倒れると言っただけで倒れるはずだ。それが自由主義の現実だ。
英会話教室と農園に行ってきた。
僕は、ハローワークのような情報の集積地は統一した方が良いと思う。第二のハローワークが出来て、情報が分散するのは、良い結果を生まない。共有した方が、その一つの集積地での多様性は高まる。だから、統一によって多様性が生まれることはある。決まりを統一することで、結果的にその決まりの中で、バランスの良い多様性が生まれる。だが、僕は専門化は悪くないと思う。求人雑誌のように、特定の意味合いで雑誌を作ることは考えられる。そうした時に、統一するのが必ずしも良いか、と言う問題は生まれるだろう。
僕は、世界を治したかった。自分でおかしくしたこの世界を、自分で治したい。だが、本当は原因を取り除いて自分が去ったとしても、みんながそこに居る、と言う事実は残る。自分をどんなに否定しても、自分がそこに存在していること自体を変えられないし、みんなから自分を取り除けたとしても、みんながそこに存在している事実は変わらない。だが、僕はみんなを治すために努力した。その結果、この世界が正常になった、ということは言える。特に、アメリカと比べて、日本や広島ははるかに楽になっている。だが、その楽になっているという事実自体が、新しい辛さを生んでいる。適度な苦しみがないと、人は辛くなっておかしくなる。そうは言え、僕は本当にこの日本という国を治したかった。自分だけではなく、全員を治したかった。そのために全力で努力した。
今日は、「取り付ける」という発想をすれば機械の仕組みが分かるのが分かった。自動車はエンジンにタイヤを取り付けて作っている。昔は、そういう、考え方による全ての発想を分かっていた。文章にも、構造と説明と網羅からこの世界のシステムを全部作っていた。それが凝縮されている考え方が、そうした発想的考え方だ。全て創造していた。
昔は、オープンにすることから社会のことを分かっていた。この世界がオープンであったとしたら、この世界に見えられるものは何が見られるかを考える。この世界でどんな風にオープンで自由な社会が成り立つか考える。そうした自由を客観的に考えながら、社会の段階を分かっていた。
信念から価値観が生まれ、価値観から社会が生まれるのを良く分かっていた。立場の違いと関係から、信念は生まれ、常に作り出されていると言っていた。
自分は、歴史的なことを覚えると良いだろう。ただの通史を覚えるだけではなく、百姓がどんな風に農作物を作っていて、武士や代官からどんな風に徴収されていたか。歴史を覚えると、良いことがたくさんある。さまざまな歴史を覚えることで、応用的な文章を書くことが出来る。もっと経済学をして、さらに経済のことを分かっても良いだろう。生物学を制覇するよりも、経済学や歴史を学んだ方が、さらなる発展があるはずだ。
あとは、文章を書く時の注意点として、なるべく普通に書けば良い。そんなに自分を破壊して、無理して頑張る必要はない。ただ、普通に書けば楽だ。もっときちんと書けば良い。自分はいつも頭を破壊していたせいで、破壊するのが常になっている。
自由とは正義だと言っていた。愛と思いやりの上で、自由な正義を書いていた。この世界の自由を、全て正義に変えていた。自由な正義の段階と関係のようなものから、社会の理想を作っていた。まさに自由だったが、ただの思い込みではなく、論理的で数学的な倫理学だった。
自分は、人格がどんどん次に変わっていくのがおかしい。普通、人格は分からないから、こういう風にすると人格がまともになる。人格はおかしい方が良い。その人格が、普通、最初に生まれて、いつも分からずにやっている。僕の場合、その最初の人格を拒否して、次の人格へと変わり続けるだけになっている。それでは辛い。
注意点として、思考を全部殺して楽になると、病気は治らない。治るためには、逆に思考を全部生かして元気になった方が良い。思考が元気にならないと、人間の病気は治らない。おかしく思考が生きるようになると、誰でも最初の全部死んだ状態に戻そうとするが、それが逆に自分を弱めて病気の進行を助長してしまう。思考は元気であるべきだ。
自分は、ニキビを治すと治るのが分かった。また、虫歯も治せば治るのが分かった。そこから、深呼吸すれば治るのが分かる。疲れているのは、全部体の中に二酸化炭素が溜まっているからだ。深呼吸をいくらかしていると、そうした二酸化炭素が出て、内臓が治るようになる。悪いのは、小学生の頃の持久走の体験だ。そこからおかしくなった。
もっと、恥をかけば良い。昔は、そういう、恥のようなことを良く考えていた。そういう体験のことを良く書いていた。
自分は、適度なストレスはあった方が良いのが分かっていない。いくらか辛い状態を生きていると、人間はそれが一番楽になる。日本がおかしいのは、適度に辛い昔が終わって、楽になったからだ。そのせいで狂った人間が多い。
世界に対して、自分から何もしない方が良い。自分から何かをすると、みんなは甘えてしまう。みんなはきちんと分かっているのに、自分が居るせいで何も出来ない。それは、全部自分がみんなの分までやってあげているのが悪い。みんなは、みんなが自立して、みんなの力でやらなければならない。
そして、2ちゃんねるのように全部否定するのは良くない。むしろ、全部肯定しなければならない。
再度言うが、思考は生きた方が良い。思考を殺して治していると、多重人格になって病気が治らなくなる。思考を生かしていると、心が治って、多重人格はきちんと2人の生きた心になる。元気な方が良い。弱くなって何もしないよりも、元気になって頑張っている人間の方が、全て楽になる。そのために、適度なストレスと辛さを感じること。それで元気になるだろう。
色々言いたかったが、全部は忘れた部分があって書けなかった。そういうことを適当に言いたかった。もう終わりにしよう。本当に、この世界を治したかっただけだから、みんなには治した後のことをやってほしいと思う。
右翼は、倒れる兆しが見えると倒れる。だから、みんなが右翼が滅びると思えば、すぐに自分から消え去る。
posted at 11:14:46
昔は、さまざまな体験や戦いをして分かっていた。それをもう一度しないのが悪い。
posted at 11:13:47
昔は、制度や価値観など、社会的なことを分かる段階を書いていた。
posted at 11:13:10
怖いと子供になる。だから、子供をやめれば怖くなくなる。
posted at 11:12:31