新・日記2に戻る | 2017年11月の日記に戻る

=2017-11-08=

今日は、作業所で写真補正と軽作業をして、農園に行き、ピアノでトトロのさんぽを弾いた。少し疲れた。

僕は、資格の勉強をするのが良いと思う。家に姉の使っていた基本情報技術者試験の参考書がいくらかあるから、それをやってみても良いと思う。

基本情報の本を見ると、僕の今の技術レベルに良いと思う。知らない技術、それも僕の知りたい技術のことがいくらでも書いてある。

あとは、いつものように文章を書く。

昔は、リーダーシップのある子供だった。小学生ながら、みんなをまとめるのが好きだった。自分の家にみんなを集めてゲームをしたり、ミニ四駆大会をしたりしていた。

そして、中学生の頃は、少しだけ普通より荒れたクラスの中で、みんなを独りまとめる代議員をやっていた。

そういうわけで、そういう理由で、民衆の意見よりも正しい、独裁者のような、反抗するみんなを独りまとめるような人間になった。

あとは、漫画やゲームをやっていて、荒れ狂った殺し合いの世界をやっていた。そういう風になる。

あまり意味は無い。

昔は、学習を予測して分かっていた。

しかとその目で世界を見て分かっていた。

世界の見え方の変化から、哲学的事象を分かっていた。

最近は、世界を統率する王のような体験をしていた。絶対に滅びないように、全てを考える、努力の王だった。

それが好きだったから、今でもそれをきちんと書きたくて文章を書いている。

全てのことを自分が決めて、絶対に滅びないように世界を導くような、そういう王をやっていた。

善良な戦いだった。悪い支配や抑圧をしなかった。最高の王だった。

そして、世界の構造を作っていた。

精神は、殺し合いをやれば治る。

そして、出来ることと出来ないことを良く考えること。人間には何が出来るのか、何が出来ないのか良く考えると、天使なんかにはなれないのが分かる。

自分に出来ること、人間に出来ること、そして精神が出来ることを良く考えないといけない。

昔は、「発想モデル」のような文章を書いていた。この世界を具体的な観念の構造にして、自由自在に発想していた。

死にたいと思わないのがおかしい。死にたいと思えば精神は死んで治る。

昔は、数学的モデルを作ることで、数学者のようにこの世界の事象を分かっていた。

また、経済学者でもあった。論理的に考えることから、独自の「神の経験へと至る経済学」を作っていた。

僕は、パソコンに関することはもうやめようと思う。基本情報の内容は良いが、ただパソコンが作れるようになるだけで、意味がない。

パソコンは間違っていない。IT技術が分かると、昔の自分のように、この世界のことが全部分かる。パソコン以外、賢いものなんかない。

僕は、前々から言っているように、生物学のことを知りたいと思う。僕は生物が好きだ。

数学や物理をやりたいと言うが、昔の自分の経験を無視するのはおかしい。論理的なことは、昔、全部既に分かっている。

哲学的真理のようなことも、人生のようなことも、全部昔分かっている。

やりたいことは他にない。永遠に生物学をやりたい。