昔は、人生の考え方のようなものを書いていた。人物、人間、社会、生物などの、考え方のようなことを言う。
天国ではブッシュが王となるとか、バッハはバッハという人間の人格を音楽で遺しているとか、翼を分かると生物が分かるとか、宇宙人は原始生活をしながら高度な文明を生きているとか、そういうことを言う。
近代までの歴史の考え方や、自由など、色んな考え方を人生で起こった「発想」のように書いていた。発想を吸収していた。
世界モデルで捉えれば、人間は全員理解出来る、などと言っていた。
文章は、環境を作っていた。全てのことを、構造的な環境を作ることで判断して分かっていた。
そして、観念を書いていた。理解、発想、環境、習得、自由、歴史など、様々な観念を言葉にして考えていた。あらゆる捉え方をしながら統一・包括して分かっていた。
宇宙的な人生の考え方、のようなことをいつも書いていた。どんな内容だったか、もう覚えていない。
英会話教室に行ってきた。今日は英会話教室の帰りに本屋に寄った。
本屋では、読みたい本や買いたい本が一つも無かった。
自分は、もう本は買わない。今、家にある本で十分だ。
もう本を読まないかもしれない。
僕は、地域の書店は早晩つぶれると思う。地域の書店には、読みたい本が一つもない。誰も読まない本しか置いていない。
ネットで買った方が良い。概要をネットで検索し、書評をチェックしてAmazonで安く本を買う、というスタイルがこれから定着するだろう。
地上の全てのような文章を書いていた。地上の変化を全て網羅していた。
歴史のようなことを、自分の人生から分かっていた。悪の女王が世界を支配するとか、国家体制や民族性や思想のようなことを、全て自分の人生から分かっていた。
相対的に考えていた。この世界を、相対的な仮象の様相から分かっていた。
そして、自分はエロ度合いや悲惨度合いを下げれば良い。そういうものがあまりに度合いが強すぎて「恐怖の心」になっている。度合いを下げることで、エロは恐怖から楽に変わる。そういう風にすれば、きっと気持ち良く安心出来るだろう。
全てを分かって、基礎を作って、積み重ねて、いよいよこれから人生を頑張る、というところで、人間は突然の終わりが来る。ここからが人生だ、と思ったところで、急に人生は暗転し、最悪の地獄の病気になる。人間とはそういうものだ。そうした人生を生きている人間の方が多い。突然の地獄は、きちんと自分の力で治すと、何事もなかったかのように平凡な人生へと戻る。だが、そこで終わりではなく、それから先は出来ることをただ続けるだけになるのだ。突然の終わりは悲しいが、人生ほどに素晴らしい体験は無い。人間は素晴らしい。