新・日記2に戻る | 2017年11月の日記に戻る

=2017-11-01=

作業所と農園に行ってきた。

人間の精神的な病気は、全て、自力に頼るのが悪い。自力に頼っていると、辛く苦しくなる。全て、他力に任せるのが正しい。

大学の勉強をしようかと思う。僕は放送大学に入っている。

作業所でやっているように、大学の勉強をするのであっても、僕は手を動かして、何かやりながらやりたいと思う。

昔は、実例をたくさん見て、たくさんの経験をして、そこから必然的に分かっていた。経験を成り立たせていた。

第一に、たくさんの実例を見ること。第二に、自分でやってみること。最後に、実例と原理を照らし合わせて、時には原理の方を修正して発見すること。

僕は、大学は作業所の環境と良く似ていると思う。作業所で僕が指導員の方や先輩の方に教えてもらいながら、課題を作り上げてデザインを習得するのと同じように、大学や専門学校でもやっている。大学に入った方が良いとは言うが、僕には作業所があって本当に良かった。

放送大学では、研究室がない。だが、それはWikiでやれば良い。僕は昔、LinuxのWikiに解説的なシステムの仕組みの文章をまとめることで、大学の研究と全く同じことをやっていた。

昔は、生物学とか、色んな考え方を作っていた。生物の多様性、自然発生の過程、理性批判的な発展の可能性、そして命の大切さのようなものを書いていた。

最近僕はLinux(Fedora 26)でPythonでのロボットの開発をしているが、Linuxはまだまだ使い物にはならない。特に、Pluma(MATEの旧gedit)でコードを編集した時に、日本語が入る時と入らない時で、半角スペースの大きさが違う。これでは、print関数で日本語を表示する時に、使い物にならない。だから、そういうところで、使い物にならないから普及しないだけで、まだまだ普及への道は遠い。

逆に、Androidではそういう問題は少ない。Googleに期待しよう。ただ、僕はAndroidのスマホも使っているが、たまに日本語入力が出来なくなる。「あ」を打ちたいのに「た」が打ち込まれる。Linuxなど、Windows以外のOSでの日本語処理や操作は、パソコン関係の問題の鬼門だと僕は思う。特に、僕が使っているFedora 26は、標準で明朝体のフォントが何も入っていない。それから、きちんとWindows側でUTF-8の文字コードにしていないと、Linuxにコピーしても表示出来ない。あとは、USBメモリでWindowsからLinuxに日本の時間でファイルをコピーすると、何時間か早まったり遅まったりする。Linuxでの日本語・日本時間関係の操作は鬼門だ。最近出たUbuntu 17.10でも、頑張らないと日本語入力の問題にはまってしまうらしい。日本人がLinuxを使うのは何年も先になるだろう。

僕の使っているFedoraのFirefoxは、英語の設定にしていないのに、はてなのメニューなどが英語で表示される。

人間は、すっきりときちんと分かってしまうと、何でも吸収出来る。子供にはそういう人間が多い。そういう人間がプログラミングが出来る。今の自分には出来ない。

僕は、Javaのような言語でも、

Address adr = str.getAddress();
adr.setValue("text");
System.out.println(str); //textと表示される。

という風に、メモリアドレスをある種の変数名と同じようなものとして使えるようにすることは出来ると思う。

昔は、社会や環境を実際に知って、社会を振り返って分かっていた。

自力と他力のバランスを取ること。それで、疲れているのに頑張るのはすぐに治る。子供には、他力になる人間が多い。

子供と同じことを分かりたいなら、政治を捨てて、数学と物理を分かることだ。それも、学校の数学ではない、もっと単純な数学を分かること。その上で物理を分かってしまえば、それが子供だ。政治や宗教のようなことは分からない方が良い。

僕は、LinuxのGUI環境は、SVGとHTMLの拡張のような言語を作って、どんなグラフィックスでもテーマで描画出来るような、そういう「異次元のテーマ」をサポートするのが良いと思う。AdobeのFlashと似ている。アイコンは今はpngのようになっているが、どんな風にリストするのか、のようなことまでSVG-HTMLでサポートする。そういう風にすれば、きっとデザイナーもIllustratorのような雰囲気でLinuxのテーマを作ることが出来るだろう。

出来れば、MicrosoftがWindows XPの時に裏で実装していたスキン機能や、XULなどの技術を凌ぐものになってほしい。UIをXMLにすることで、全てのインターフェースをサポート出来るかもしれない。だが、GTK+アプリのそれぞれの作り方と矛盾するものになってはいけない。ある意味、SVGでHTMLにするなら、バックエンドをPHPのようなものにして、そのインタプリタ・エンジンから作っても良い。

ある意味、ブログに良くあるテーマ機能と同じものを作れば良い。だが、GUIである以上、ページよりもインタラクティブなスキン・シェルにする必要がある。

昔は、全て出来て、社会を救うことの出来る人間だった。

積み重ねることで全て出来るようになり、それぞれが解決することで社会全体は救うことが出来ると言う。

最近は、世界の果てを知っていた。全ての知性を失って分からなくなる過程で、この世界の果てを「自分で作り出す」ことで知っていた。

僕は、むしろそろそろ働いた方が良い。人間の体の仕組みは図鑑を見れば分かるが、むしろ知りたくない。数学もしたくない。

プログラミングは、制御部分だけで良いなら、もう分かった。Python改良版のロボットのように普通作る。あとは、各機能を開発すれば良いが、プログラミングなんか誰もしたくないのが良く分かる。

仕事は、もう少ししてからしたいと思う。最近何もすることがないが、放送大学の勉強でもすれば良いが、僕には無理そうだ。

自分は、こう見えて、出来ることが何もない人間だ。全部中途半端にかじったぐらいをやっているだけで、きちんと出来ることが一つもないし、きちんと知っているものも一つもない。子供時代に出来たことも忘れて出来なくなっている。みんなのことも分からない。そもそも高校すら行っていない。自分の出来ることで満足するのは、何かがおかしいと常に思っている。出来たどころか、食べかけで捨てた夢しかない。何も夢がないし、憧れもない。昔、Linuxをしていた時代は、何もせず、ただ学校の勉強をサボって一年が無駄に過ぎていた。無意味に頑張っているのは、全部無駄で無意味だった。

デザインをやって思うのは、みんなは馬鹿に見えて賢いということだ。みんなきちんと大学や専門学校で学んでいる。自分なんか、何も出来ていない。自分より先を行っている人間しか居ない。青春なんか、誰でもきちんと色んなことをする。僕の青春はインターネットだったから、Gentoo Linuxがもしなかったら、何も進歩しないでまだ引き篭もりをやっていただろう。

要は、分かるのが悪い。人間は、分かれば分かるほど馬鹿になる。分からないのが賢い。

それこそ、分かって忘れるのが意味がない。昔分かっていたことを、分かったことによって忘れるからだ。子供時代にやっていた数学を忘れたように、もっと別の色んなことを忘れている。だから、何も覚えていないなら、思い出さないと賢くならない。

思い出して、したかったことをすれば良い。その時したかったのだから、正しい。そうすると、ドイツ語と哲学の勉強をすれば良いだろう。

なぜ、それをしたかったのか、分からないままにしたかった。憧れはどこかにあって、その理由もどこかにあった。どこかで、外国語が出来る人間やプログラミングが出来る人間をかっこいいと思った。それは、良く考えると、全部Linuxからだった。そして、Linuxではなく、本当はゲームからだった。

もっとさかのぼると、本当はゲームなんか途中でしたくなくなった。もっと賢いことをしたくなった。そして、中学校の勉強が嫌いだったのは、ゲーム作りの方がかっこよく見えた。そして、ネットゲームをしていたのは、途中で友達が少なくなって、みんなで一緒にゲームをしたりしなくなったからやっていた。

だから、友達を作れば良い。むしろ、そうでもない。友達が好きだった理由は、小学校で遊ぶのが好きだったからで、本当はバスケットボールをいつまでもしたかった。

そうすると、スポーツをすれば良いかというと、そうでもない。何か、そこらへんに今の自分が苦しくなっている原因が隠れている。

原因を考えるより、どんなきっかけでそれをしたかったのか、ということを考えた方が良い。

フランス語がしたかったのは、Linuxでメーリングリストの投稿に英語が必要だったからであって、そのころはまだLinuxのことをやるつもりだった。

引き篭もりになったのは、学校の勉強より違うことに時間を割きたかったからだった。

Linuxがやりたかったのは、ブラウザを作りたかったからだ。

そうすると、学校で勉強していた理由は何だったか?それは試験に受かりたかったからだ。では、なぜ試験勉強をそんなに頑張っていたのか?

それは、むしろ、学校の勉強が楽しかったからだ。

おそらく、小学校での勉強が楽しかった。それは、きっと母親が教師だったことや、英会話などをしていた経験があって、何でも簡単に出来ていたからだ。

では、なぜ学校に行かなくなったのか?それは、そもそも友達とそんなに世俗と馴れ合いの友人関係を作りたくなかったからだ。

要は、もっと良い学校で、もっと良いクラスメイトを望んでいた。

だから、きっと母親が良かったのだろう。僕は、勉強がもっとしたいとばかり望んでいたのだろう。だが、それをしている中で、学校の勉強に最終的に意味を見出せなくなった。

だから、公立の中学校を経験して、母親のことが嫌いになった。それが僕の病気の原因だと思う。

そうすると、父親が博物館学芸員であることは、逆にそのせいで自分は一人科学者になりたくなった。科学者のように思考することで、父親と同じように分かりたかったのだ。

分析しているとそういう風になるが、何をどうすれば良いのか、といった答えにはならなかった。

あとは、僕はテレビゲームを友達と仲良くなる手段に使っていた。それも、同じように嫌いになった。テレビゲームだけでは、友達と仲良くやることが出来なくなった。そこで、僕は友達との仲を作ることを放棄してしまったのだ。

そうすると、最初から、僕は友達なんか欲しくなかった。結果的に生まれた友人関係を、全て捨てたのは、最初から良い関係で無かったからだ。

本当は、何がしたかったのか分からない。パソコンがしたいわけでも、テレビが見たいわけでもなかった。僕の望みは、はるか別のところにあったのだ。

パソコンが嫌いだったのは、ポケモンのせいだ。みんなでポケモンをやりながら、自分でもそういうものを作りたいと思うと同時に、ポケモンの意味の無さや、ポケモンで生まれる友人関係のことがどこかで大嫌いだった。そういうところがあった。

本当に好きだったものは何だったのか。それは、家族や猫だったのかもしれない。だが、僕は家族が好きなわけでもなかった。

ここまで考えると、時代を変えたかったのが良く分かる。単純に、ポケモンの意味のない時代を変えたかった。それが、そのまま、Windowsを否定してLinuxへと変わるようにする、自分の人生に繋がってくる。そして、それがそのまま、共産党のような社会主義へと繋がる。

そうすると、僕の生まれた時代が悪い。極めて分かりやすいことに、僕は東ドイツがなくなって、ソ連が崩壊した時点で生を受けている。

だから、言ってしまえば、僕は生まれた時代が、極めてドイツ的だったこと、そしてドイツの作ったコンピュータという機械がおかしく普及している、その時代を変えたかったことに機を発している。

そういうわけで、結構良く分かった。最初から、東ドイツが好きだったのが自分だと、そう思う。

あとは、もう一つ言えば、母親の信仰心があつかった、ということも言えるだろう。そういう母親の影響を受けて、僕は神と対話するようになったのだろう。哲学者になったのは、父親が博物館をやりながら物理学をやる専門的科学者だったことがあるだろう。全てを知って、考えたかった。父親も、良く似た人生を送っている。だから、本当は家族と神とドイツが好きで、今の時代が嫌いだった。最初からこの世界を変えて、違う世界へ導くことをやりたかった。それが僕の人生だ。

あとは、父親とも似たところがあって、父親は機械を作ることが好きだったが、僕はLinuxが使えないなら改良しようとするように、「前のものよりも良いものに改善する」ことが好きだった。そこが違う。ミニ四駆が好きだったのも、組み立てたあとでグレードアップパーツによってもっと良いものにいくらでも改善出来るからだ。そういう、いつまでも、いつまでも、永遠に改良することが好きだった。だから、Linuxやオープンソースの思想を好み、またこのように文章を作り直し続けることが好きになったのだろう。

何が第一要因なのかは分からない。本当に知りたいなら、自分の人生の前、父親や母親の人生を知ることが必要になるかもしれない。ただ、昔から、人間関係には積極的で、責任感を感じてリーダーとなることを好み、他人よりも下には絶対になりたくない、というプライドがどこかにあった、ということはさらに言えるかもしれない。

要は、結構、東ドイツとソ連崩壊を見て、自分でも世界が変えられる気になると同時に、世界の果てを見たくなった。自分でこの世界を変える過程、変わっていく過程を知りたくなった。そして、父親の限界を知った。自分一人で作るのではなく、みんなで改善することに憧れた。自分でもとあったものより改善する、という日本の経済成長の過程を吸収した。母親には、教師としての激務を悲しみ、宗教的な信じる力の強さを知った。そういう人間が、幼少期の自分だった。そして、この世界を救いたかった。見るからに、90年代の時代は最悪だった。それを自分がリーダーになって変えたかったのだろう。

本当のことを言えば、どうにかして母親を楽にしたかった。いつもたくさんのことをこなす母親をなんとかしたかった。LinuxのGUIを作りたかったのも、母親でも使えるインターフェースを作りたかったからだ。だから、本当は時代のことなんかどうでも良い。最初は母親が好きな子供が多い。そこから始まるのが、こういう辛い人生だ。

あとは、本当に分かっていないのに無意識の中で分かっている世界がある。中学校に行かなくなったのは、友達が嫌いだっただけで、それはなぜかというと、クラスメイトが教師をいじめるからだ。母親のことをいじめているのと同じだ。それから、いじめが嫌いだったのは、父親が悪い。父親が祖母のことをいじめるから、僕はそれで家族と離れたくなった。そういうことは、当時は分かっていなかった。そして、本当は、母親はそんなに好きではなかった。それは、自分の罪が未来においてあるからだ。母親はおかしくなる。それは自分のせいだ。そこが分かっていたせいで、母親も好きでなかった。そういう、色んなことは複雑に絡んでいるが、分かりやすいことが多かった。むしろ、ソ連よりアメリカの方が好きだったし、ドイツは最初から嫌いだった。それは、きっとゴルバチョフがソ連を解体して、いかにソ連という国が悪い国だったのかを世界が明らかにした、その中で育ったからだ。アメリカの冷戦勝利によって、あたかもアメリカが正しいように見える。だが、それは見えるだけだ。幼少期の僕は、そこを良く疑って考えたのだと思う。本当はソ連の方が正しい面もあったのではないか?そこから、僕はマスコミのことも信頼しなくなったのだ。テレビが嫌いだったのは、そのせいだと思う。