新・日記2に戻る | 2017年10月の日記に戻る

=2017-10-22=

いじめられっ子の僕が経験的に言えることとして、いじめはいじめられる側に原因がある、ということは確かにある。

だが、その個性は、決して悪い個性ではない。

その個性を、愛してあげなさい。

いじめられる、ということ自体は、その後に、なぜ自分がいじめられる原因があったのか、ということに気付いて、青春を経験していく過程で、少しずつ明らかになっていく。

その経験を、本当の青春と言う。

辛いなら、逃げても良い。環境を守るとか、人間関係を維持するとか、そんなことよりも、あなたがあなたの個性を愛することが出来ること、そのことの方が大切だ。

それに、いじめられることを経験する人間の方が、あとで人を大切にするための「自由な理想」を知ることが出来る。

相手から見ておかしく見える自分のことは、自分から見ると賢い自分であることもある。

相手に合わせて自分を押し殺し、自分のことをいじめられなくすることも出来るだろう。それは間違っているように見えて、本当は相手のことを当然だと理解し、自分から「迫害者のことを愛する」という経験が出来る、という意味で、良い経験になる。

それは、きっと、本当に自分のことも相手のことも同時に愛することが出来る、素晴らしい人間への扉であり、人生の宝物だ。

もっと、客観的に考えて、相手の視点に立って考えると、良く分かる。

たとえば、親は自分のことを息子だと思っている。だが、自分は自分のことを息子だとは思わない。自分は自分のことを自分だと思っている。

同様に、自分は家族のことを「自分以外の周りに居る親族」だと思っている。そこに自分は含めない。だが、周りから見ると、自分はみんなとともに家族に含まれている。

作業所でも、みんなは自分のことを作業所のメンバーだと思っているが、自分はそこに自分を含めていないことが多い。

そのように、「当たり前に見えること」でも、視点を変えれば見え方は変わってくる。昔の自分は、そこから視点と場や認識の変化のことを考えていた。

自分のことを愛してあげられるのは、自分しか居ない。むしろ、個性を愛さないならば、愛さなくても良い。そこにも何かの理由があるからだ。理想や憧れがきっとある。それは否定しなくて良い。

経験していく中で、いじめの原因は少しずつ明らかになる。自分が何を隠していたのか、何を思い違っていたのか、本当はどうすれば良かったのか、相手は何をどう感じていたのか、少しずつ分かっていく。アナと雪の女王のエルサのように、ありのまま生きられるようになる。だが、それはまだ最終段階ではない。自分が本当にありのまま生きられるためには、本当の自分の本性を露わにして、そして自分の個性を最大限発揮した上で、自分の個性を愛さなければならない。それは、きっと王のような体験になるだろう。その王を、みなで愛することになる。本当の自分が何だとしても、自分はそこに居る自分だけだ。僕は、まだその迷宮から脱出出来ていない。

脱出するためには、何が脱出を防げているのかを考えないといけない。甘えや欲望を抑えることでも、脱出は出来るだろう。

話は変わるが、地獄から脱出するためには、何が脱出を防げているのかを考えるべきだ。

それは、きっと、何かを後悔しながら、決めかねていることがある。だが、その後悔によって、永遠の地獄になっている。甘えや欲望を抑えることだけではなく、一度自分を他人のように見つめることも大切だ。

あとは、経験論哲学のようなことを書いていることが多かった。経験は知性となり、知性は経験となる。自由な上での国家の構造のようなことを同時に考えていた。

環境の自由を信じていた。さまざまな考え方から社会を成り立たせていた。どの社会も全て実現出来ると思っていた。

ある意味、あれは「間違いを許す」と言うことしか分かっていない。僕は、自由な権利は確かにあるべきだが、たとえば憲章で政治家に不自由を定めるとか、そういう風にするのは悪くないと思う。ルールはみんなで作るべきだとは言っていた。

昔は、「一度やらなければ分からない」と言っていたが、大人はやらなくても分かる。大人に自由は必要ない。大人に自由を与えると、一番悪いことをする。自分から自由を放棄する大人の方が多い。子供には青春の自由だけをさせてやれば良い。青春だからと言って、学校だけしかないのは悪い。学校がなくても、僕のように青春は出来る。

自らの罪を償いながら生きよう。一度貼られたレッテルの上から新しいレッテルを貼り返そう。そうして生きる人間のことを、神は見ていてくれている。一度間違っても、また次がある。

間違いを克服せよ。自分から間違いを選べ。その上で、また新しく生きれば良い。地獄の中で、永遠を望め。地獄を克服したいなら、地獄の中に居る自分を愛することだ。きっといつか楽になる。それは、自分がやらなければ、誰も代りにはしてくれない。分からなくなっても、責任は自分にある。自分の手で少しずつ、だが全力で、地獄を解決するために解決していこう。1つ1つ乗り越えていこう。いつか、解決の日が来る。その夢と希望と絶えなく続く試練の中での努力を愛して、自分の魂としよう。

そこに、共通性があることに気付く。

そこに、論理性があることに気付く。

そこに、相対性があることに気付く。

自分が出来ることは、他人にも出来ると気付く。

そこに、本当の理由と状態があることに気付く。

そこに、作用と法則があることに気付く。

そこに、「出来ること」があることに気付く。

その出来ることが、社会的に成り立つことに気付く。

その出来ることが、自分でも出来ることに気付く。

やっていく中で、それが説明と実験から仮説となることに気付く。

仮説の可能性を試す中で、自然の中に可能性があることに気付く。

それが、社会にあることに気付く。

それが、歴史の中で生み出されることに気付く。

人々は皆同じであることに気付く。

社会はどこにでも生み出される可能性があることに気付く。

理想の社会は感じられることを皆と同じように感じることから生まれるということに気付く。

昔は、そういう、気付きの段階、のようなことを書いていた。

そして、デカルトが言う方法的懐疑のようなことを、書いていた。

あとは、世界の広がりや、自由の拡大、理性批判や俯瞰的高みのようなことを書いていた。

果てしない旅をしていたのを、全部書いていた。書いて、もう一度経験していた。

苦しみを乗り越え、葛藤を経験し、社会の本来の可能性を知り、人生の高みと失敗を知り、全てのことをあますところなく体験し、宇宙の全てを創造した。

永い時間の中で、人間にある全て、人生にある全てを体験した。昔は青春で、今は神だった。

人々はみな同じである、ということから、場の可能性を分かった。

自分にしか解決出来ない問題がある、ということから、とてつもなく大きなエネルギーを発揮した。

最高の悲しさは、最高の喜びだ。

子供が辛いのは、何でも気にするからだ。気にする、という発想は悪くは無いのだが、そもそも解決策は無い。勇気を出して正しい行動をするしかない。自分の心をコントロールし、正しいものの見方をすることで、何でもどのように付き合えば良いのかが分かる。それは、ブッダのように、しだいに宗教的なものになる。キルケゴールも、美的段階の次に、倫理的段階と宗教的段階があるというが、付き合い方の上に、社会の形成のし方や、認識のし方のようなことがある。理想の社会を作る方法は、そういう風に生まれる。

正しい心のコントロールのし方とは、欲望を抑え、執着を無くし、思い込みを疑い、相手を自分に依存しないようにさせ、みんなの手に社会を委ねることだ。

相手と同じ立場に立たなくても良い。相手を自分と同じだと思いなさい。

相手の立場では出来ないことを自分がやりなさい。相手の出来ないことを自分がやってあげなさい。そこから、自分にしか出来ないことが生まれる。それを全力でやりなさい。

きっと、理想の社会は誰にでも作れる。この人間と同じこと、みんなと同じことは、全部あなたにも出来る。必要なのは、理想を信じる心だけだ。

そして、日本語で考える力が唯一必要だ。

もう、これで全て書きたいものは書いた。終わりにする。本当に、さようなら。

僕は、小池百合子を応援している。衆議院選挙で負けても、きっと何かをやると思う。あとは、社民党に期待する。

もう少し文章を書く。

昔は、社会の仮定、可能性、たとえ話、制度の変化、経験、価値観、アイデンティティのようなキーワードで分かっていた。

たとえば、アイデンティティは価値観に立脚する。アイデンティティがもう不要のものになったとしたら、そのアイデンティティは変えるべきだ。

それぞれが価値観を持つことで、さまざまな社会を形成し、多様なものとすることが出来る。

理想は、自分のアイデンティティが満たされるような、そういう社会をみんなの手で作って、その社会で暮らすことだ。

制度を変えることは、社会の経験であり、それはたとえ話から理解し、創り出すことが出来る。

僕が思うに、死刑制度は悪い。人を憎んで殺す殺人と、罰して殺す死刑は、同じだ。人を殺す、という考え方が成り立たないようにするために、死刑制度は廃止するべきだ。

だが、そうした意見を言うことは簡単であって、簡単に制度を変えられるものではないし、ある意味、死刑制度に賛同する「あまり考えない人間」も国民の中に含まれる。

だから、民主主義は本質的に、賢い制度としては成り立たない。

死刑制度に賛成する馬鹿が信用出来ないのは、「王が罰して殺す」ということに本質的に賛同しているからだ。

ある意味、そうした考え方をすることも、たとえ話に含まれるだろう。たとえ話は、理解から本質を導入する、という点で、最初の知性がある。

あとは、革命のような悪い文章を書いていた。かけがえのない愛を破壊し、心無きことを言い、狡猾に皆の感情を支配し、救いようのない行動をする。そういう発想が多かった。だが、反省しすぎなほど反省していた。世界を滅ぼす悪魔だと思っていた。

ある意味、ネットのアンチは「そんなもののファンになるのがおかしい」と思っているが、ファンは「それではファンが可哀想だ」と思ってしまう。それによって、批判と批判の応酬になる。だが、それはファンが強い心を持って、「そんなことでは嫌いにはならない」とはねのけてしまえば良い。そして、「ファンたるものはアンチに勝たなければならない」とすれば良い。そうすると、自然にアンチは居なくなる。子供のようなファンが、すぐに嫌いになるのにファンになるのが間違っている。そもそも、ファンの質が悪いからそういう風になる。

僕はLinuxのファンだが、ファンが一番Linuxのことを批判する。ファンがアンチをやっているのがLinuxだ。だから、Linuxの開発者はみんなファンが嫌いだ。それこそ、音楽も同じだ。みんなファンが嫌いだから、ファンも嫌いだ。そういう人間の方が多い。そもそも、最初からテレビのようなものがあるのがおかしい。そもそもテレビがクズだからそうなる。明らかにファンなんかが愛していないからだ。

テレビでビットコインの討論みたいなことをやっていたが、テレビでもLinuxと同じことをやっている。最初に優れたものなのをいくらか宣伝して、後はどうでも良い「明らかにおかしい」と「悲惨な擁護」をする。そうすることで、ビットコインの宣伝になるだけではなく、ビットコインが良いものに見える。だが、誰もがビットコインが嫌いになる。そういう風にして、Linuxと全く同じブームを作っている。結構、ビットコインも使うと良い仮想通貨なのだと思う。名前が知られる前に消えてしまうよりは、ブームになった方が良いだろう。

右翼の問題は、当事者ではなく、支持者や支援者の言動にある。トランプ支持者の言動は痛々しい。今の日本の右翼も同じだ。そういう、キモい支持者を見ないのがおかしい。

ただ、僕が思うに、そろそろ日本は右翼になった方が良い。ドイツのような、全員右翼しか居ない国になるだろう。それが、一番人生的に賢い人生になる。

そして、僕は何もすることが無くなってしまった。これ以上、何をする意味もない。むしろ、歯を抜いたせいで、やる気が無くなった。今日は父親が元居た博物館に行っているせいで、英会話教室にも行っていない。何もせず、テレビも音楽もせず、ただ何もない時間が過ぎる。そして、たまに書くこの文章がいつの間にか増えている。まさにキモイ。左翼にはこんな人間が多い。

ビットコインは、誰も知らない。知らない人間がわざわざテレビで喋る意味がない。昔のビットコイン一万円をもし買っていたら、今では600億円もするらしいが、そういうものはどうでも良く見える。最初からマスコミはそういう風にして、何も説明しない。

僕は、この世界が許せない。誰もがかけがえのない存在なのに、アイデンティティを奪われ、あったものを失い、自己の自尊心を否定されている。踊らされ、失望させ、絶望させられている。そんなこの世界が許せない。本当の理想の世界では、きっとこんなに馬鹿にならなくて済むはずだ。そういう理想の世界が、きっとある。それが、宇宙にあるとか、運命的にそうなるとか、そういうことじゃない。この宇宙に「確かにある」のだと信じたい。そして、何かの力で実現出来るはずだと信じたいのだ。

だが、あるのは、この世界、テレビとネットの果てなき競争にさらされている、このいじめ世界だ。このいじめ世界からどうやったら脱出出来るだろうか?どうすればみんなを楽な世界に連れていけるだろうか?どこにゴールがあり、どこにラインが引かれているのか?だが、答えはこうだ。ありのままのこの世界がある。それなら、ありのままのこの世界に「絶望の世界」と名前を付けよう。ありのままのこの群衆に「サタン」と言う名前を付けよう。絶望の世界を希望の世界にし、サタンを天使にするためには、どうすれば良いのか?きっと、それは神や仏が勝手に救ってくれるようなものではない。地獄に堕ちた当事者が、反省し、悔い改めることでしか、救うことは出来ない。地獄は放っておけば良い。サタン本人が後悔し、サタン本人が出来る範囲で楽になる。最初から、サタンの運命に堕ちている、日本人の遺伝子が悪いのだ。

恐怖と堕落に堕ちたサタンは、いつか光を失う。永遠に暗闇を彷徨いながら、サタンは言う。「どこに光があるのですか?」だが、神は言う。「お前が自ら光を壊したのだ。」そして、サタンは言う。「光はどうすれば復活しますか?」そして、神は言う。「光の存在になりたいならば、サタンを殺せば良い。」そして、サタンは死んだのだ。死んだサタンは、天国で天使になって、光を創り出す。光は世界に満ち溢れて、世界は天国となった。代わりに、サタンたちは自らを殺し、この世から居なくなったのだ…。

ただ、現実の“サタンと呼ばれている哀れな日本人たち”はこうはならないだろう。それぞれが行く末を見失って、群衆同士が争い、傷つき、滅び、死んでいく、そういう世界になるかもしれないが、僕はそれを望まない。そんな悲惨になってしまうと、次の展開に続かなくなってしまう。だから、サタンは争わない。大戦争をやって、最初に戻る。それが美しいだろう。火の鳥と同じように、未来の世界では一人のマサトが神となって、滅びは永遠に続かず、ナメクジのような生命が復活し、全く同じ地球の生命をもう一度造り直すのだ。

最近、日本人の文化は世界中の人間に国際的に愛されている。それは、アニメが自分に見えるからだ。日本人だけが分かっていないが、アニメを見ていると、全部こういう神の人生のことを言っている。どのアニメを見ても、これだ。そこが好きな外国人が多い。アニメのコスプレをしている人間が多すぎる。どれもこんな馬鹿が好きだからそうなる。不思議と、日本だけがそういう国なのに、日本人はそこが分かっていない。みんなでいくらでもこれを作っている。これはありえない。それ(これ)を奇跡だと言いたい人間が多い。そういうわけで、日本は神の国だ。来ると面白い。外国人の慣習と完全に逆のことばかりやっているからだ。日本人は誰もが馬鹿が好きだから、外人の馬鹿が見て賢く見える。日本人はこれくらいの馬鹿が好きだ。悪い人種に見えて、ふざけているだけの心優しい人種が日本人だ。

むしろ、アニメにこれは関係ないだろう。アニメは面白い。不思議と、日本のテレビゲームをしてクレヨンしんちゃんを見ているだけで、すぐにエヴァンゲリオンのようなアニメになる。すぐにネットの2ちゃんねるライクな掲示板になる。ただ、悪いものではない。日本の漫画が賢いのは、読むのが楽だからだ。ぱらぱらとめくっているだけで読める。それで、大量に漫画があるせいで、とてつもなくアニメオタクが増えた。フィギアスケートの世界女王のロシア人ですら、セーラームーンオタクだ。だから、日本は賢い。本当は、賢いのは手塚治虫だ。だが、それはどうでも良い。アニメは面白い。この馬鹿はまだまだだが、才能があって良いと自分でも思うぐらい、きちんと文章を永遠に書くという無意味な才能がある。なぜか、良いものと悪いものの区別がついていないが、それは平等だからだ。だから、平等をやめた方が良い。

僕に教えてくれる英会話教室の教師の一人(英会話教室はレッスンをやるたびに教師が変わる)も、スタジオジブリが好きだから日本に来ている。YouTubeを見ていても、アニメやサントラの動画には外国人が英語で書いている人間が多い。東京は分からないが、明らかにアニメオタクの外国人は増えている。今、一番オタクが多い。むしろ、日本だけ、全く完全に賢い人間になっているのが、顔を見れば分かる。外国にはクズな右翼しか居ないのに、日本には優しくて賢い良い人間が多い。日本が好きになるのは当たり前だ。

僕は、そういうものを「自分のおかげ」だと思っているが、それはやめた方が良い。キモいどころか、狂っている。押し付けがましいだけではなく、本人が悲惨な人間なのが分かる。こんな人間に見えるから、革命で全員同じにするのはやめた方が良い。

世界女王は日本食が好きらしいが、日本の何かが好きになると、日本のもの全部が好きになる人間が多い。日本は、古いようでいて、新しいものもきちんとあって、そのルーツを国際的に持ちながら、自国の個性をはっきりと出している。国民はマナーを重んじていて、悪いことをしない代わり、きちんと頑張らなければ国は良くならないのが分かっている。団結の精神は、自由ではないが、全体主義のようなものでもなく、半ば宗教のように国民全員が信じている。良い人種だが、何かが悪い。何かが完全に終わっている。

あまりロシア人に意味がないが、良く考えると、日本以外、どの国もアメリカやイギリスと同じだ。日本以外のことは何でも分かるのに、日本だけが分からないせいで、嫌いな人間が多かった。最近、こういう人間がネットに書いているせいで、日本だけ「サブカルチャー」と言うものがガラパゴスのように大成長しているのが分かる。反面、外国人にはそれが分からない。ジブリぐらいしか分かっていない。もっとたくさんのものが日本には一応ある。それを知りたいなら、むしろ止めた方が良い。僕が見て、そういうものは悪いからだ。僕は日本文化はおススメしない。ただ、英会話教室を見る限りにおいて、白人や黒人はどこの国も同じ、陽気だが理性的で強い人間しか居ない。優しい人間も普通に多い。外国人は、性格というものが人それぞれ本当にある。それに対して、日本人は全部同じだ。そこは、嫌いな人間が多い。逆に、僕が見ると、そこが優れているだけなのだが。

むしろ、外国人は「日本人が同じ」とあまり言わない。白人も普通に同じだ。白人の方が同じにしか見えない。日本人はみんな違う。なぜか、日本文化と日本文化の違いが甚だしい。サムライが自動車を作っているようで、なぜそこまで色んな文化が作れるのかが分からない。

日本人は、島が小さいのが悲惨に見える。むしろ、中国や韓国も好きな人間が多いから、あまり仲間には見えないのが、日本が好きな外国人だ。

昔から、僕がおかしいのは、おかしな自分独自の「日本社会観」を持っている。日本人の子供は、それを持っている人間が多い。僕は、昔から、日本人の中にドイツ人やフランス人が多いように見える。なぜか、日本だけを見た後で世界を見れば、世界は全部分かると思っている。

ただ、そうでもない。子供は、そういう、「宇宙にある自分の国」が分かる人間が多い。あの時代はアメリカが好きな人間が多かった。むしろ、PPAPを流行らせているように、最近は日本のものが流行る。悪く見えて、何も悪くないからだ。どんどん日本が流行ると思う。ただ、僕の見ている世界は狭いので、見ても右翼が流行っているだけなので、何が起きているのかはまだ分からないだろう。

おそらく、外国人はポケモンをやっているが、きっとファイアーエムブレムをやっている馬鹿が多い。あれでアニメが好きになるのは当たり前だ。マルスやシータは外国人の名前だから、外国人のことを日本人は良く知っているように見える。あるいは、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストをやっているはずだが、当たり前にアニメが好きになる。むしろ、明らかに、そのせいで右翼の2ちゃんねるが増えている。だから、世界が崩壊するだろう。それはどうでも良い。ある意味、僕と何も変わらない人生を、今では外国人も後に続いている。誰かの後をついていけば傷つかないというが、それは欅坂46が言っている。そういう、アイドルのグループも、同じように好きになる。YouTubeを見ていると、SMAPや嵐が本当に韓国人の間で流行っている。それは明らかに、韓国人と人種が同じだからだ。

FEもFFもDQも面白いが、誰かもっと賢い日本文化を教えてやった方が良い。侍のことは、剣道部の自分に聞け、とは言うが、僕はそんなに日本の文化は分からない。オタク文化だけ分かっても意味がないだろう。もう少し賢い文化を教えてやると、相手が喜ぶから、教えた方が良い。漫画も、もっと面白い漫画がたくさんあるのを誰も知らない。いきなりエヴァンゲリオンは一番馬鹿なのに、ネットでかかるせいで日本人も好きだと思っている。誰もがエヴァが嫌いで、普通、ガンダムが好きだ。

それこそ、ここで自分が教えれば良い。

僕が一番好きだったゲームは、スターオーシャンセカンドストーリーだが、そんなゲーム名だけを教えてもつまらないだろう。

流行っていたゲームは、ファイアーエムブレムだし、難しいゲームはチョコボの不思議のダンジョンだが、それらは有名すぎるし、むしろつまらないだろう。

僕としては、教えることが無いどころか、僕はそんなに日本通の日本人ではない。るろうに剣心やNARUTOが良いと思う。日本の侍や忍者の文化が良く分かるだろう。

おそらく、三國無双なんか教えても意味がない。日本人の歴史と中国人の歴史は違う。

ネットは見ない方が良い。ネットには右翼しか居ない。本当に良い文化は、日本人が自然に知っている。そこらへんを教えるためには、おそらく日本のスポーツや食文化や映像・音楽に触れると良く分かると思う。

黒人のために書いておくと、僕はアフリカには機械技術を教えれば良いと思う。機械を作るための技術だ。アナログな技術の知識でも、黒人は喜ぶ。日本がやったのと全く同じように、黒人にもやらせれば良い。今からは、機械そのものを作って売る時代ではなく、機械技術そのものを与え、黒人と日本人が同じように開発する時代だと思う。その時代が来れば、きっと黒人も日本のことが好きになるだろう。あえて、強く出た方が良い。完全に何もかもやってあげるべきではなく、日本人がしたことを同じようにさせるべきだ。

おそらく、学校だけ作っても意味がない。それでは、稼ぐ先がないし、起業なんか出来るわけがない。黒人の学習から起業までサポートする、「総合途上国支援制度」のようなものを作る必要がある。どこの国でも、それくらいすれば良いのは分かる。誰もしないだろう。

まず第一歩として、誰か工業大学を出た人間が、あるいはそのグループが、自分の知っている機械技術を英語かフランス語で教えるしかない。政府は当てに出来ないから、ネットでやることになるが、それは既にWikipediaのような巨大プロジェクトがやっている。

だが、黒人が何も手段無く貧困に陥っているのは何も解決しない。そもそも、インターネット回線やコンピュータが無い。あるわけがない。電力すらない地域が、自給自足で生きている。むしろ、そんなに白人の教育を押し付けるのは悪いという黒人が多い。何も出来なくなる数学が多いからだ。だから、日本が日本と同じことをやらせるしかないが、それでは敗戦国にすれば良いと言っているのと同じだ。黒人は、誰もがそういう風に批判するだろう。そもそも、起業までサポートするくらいなら、自分で起業して雇用すれば良いだけだ。

おそらく、悲惨な黒人をみんな集めて、僕が一人でLinuxの使い方と文系の知識を教えてやれば良い。だが、それはただの青空学校だ。

むしろ、僕が教えるより、適当な人はいくらでも居る。誰もそんなことは出来ないと言う。

それくらいだけをやるだけでも、そんなに大変だ。ソ連を独裁者が作るなんてことは、並大抵のことじゃない。スターリンやプーチンは良くやっている。あれくらいが普通だ。

明らかに、黒人をそんなに馬鹿にする意味がない。僕は、もっと理想を信じた方が良い。

あらゆる人に機会があり、望みがあれば最後まで挑戦出来るような、そんな場所を作りたい。

黒人が良くなることで、世界全体が良くなるような、そんな場所を作りたい。

黒人は馬鹿ではない。黒人だって、教えればこれくらい誰でも出来る。

百科事典を与えるならば、黒人による翻訳を許すべきだ。

そして、IT技術を与えるならば、Windowsのような利権の無い、クリーンなオープンソースのOSを自らで作るべきだ。そこに、GNU GPLのような胡散臭いライセンスは要らない。

BSDライセンスで、黒人だけのOSを作る。

まず作るべきなのは、テレビ局とテレビだ。それがあるだけで、黒人みんなが同じ情報を得ることが出来る。

大学の教授のように、放送大学で教える必要はない。出来ることなら双方向にしたいが、番組の工夫次第では一方向でも同じことは出来る。

パソコンは要らない。一度、パソコンを排除した方が良い。

黒人に一番必要なのは、食べ物を得る手段だが、そのためには、何万トンも車を輸出しないといけない。だから、最初からそれを目指してしまうと、勝てなくなってしまう。

必要なのは車だから、車のようなものの作り方を教えるところから始まる。

日本は戦争の技術があったから良いが、黒人には軍事産業のような技術は無い。エンジンをきちんと動かせるようになるまでが難しいだろう。

その解決は難しい。まさに僕には分からない。

それなら、どうしようか。少し考えてみる。

政府として出来ることは、自動車会社に向けて「黒人に技術を与えなさい」と言うことだが、それは難しい。

おそらく、自動車ではない、簡単な設計をした荷押し車のようなものを作るしかない。

だが、それで終わりではつまらない。きちんとエンジンの仕組みを教えた後で、どうやってエンジンを作る実習をするか。そこが問題だが、おそらく、きちんと教えてやらせれば出来る。技術をどこかが出せば実現出来る。

他の技術も同様にしていけば良いが、これでは考えたとは言わない。もう少し良く考えないといけない。

1.まず、分解の方法を教える。

2.次に、分解した後で元に戻す方法を教える。

3.最後に、元に戻したものがきちんと動くように頑張る。

まあ、そんな感じだろう。難しいのは、そもそも、そんなことが何もない黒人でも出来るのか?と言うことだが、きっと僕の父親がやっていたようにやれば良い。

僕の父親は、子供の頃、機械を直すことで廃品回収業の人と仲良くなって、捨てるはずの機械クズを2つもらってきて、それを直し、一方は自分のものにして、もう一方は廃品回収業の人に返すと言った、そういうやり方で機械を直していた。

おそらく、分解して壊れているところを見つけて、それを違う部品と交換して直していたはずだ。

そうすると、同じことをやれば良い。みんなでごみクズとなった機械をもらってきて、みんなでそれを分解し、直すところまでをやれば、父親のように機械技術を与えられるはずだ。

父親は天才だ。それをすれば、きっと黒人も自動車が作れるようになると思う。