作業所に行ってきた。
編集長とタイトルデザインは、別の人にやってもらうことになった。メイン部分のデザインと写真補正は引き続き自分がやる。
昔は、心理学を実例や実体験や具体例から分かっていた。人間の中身をモデルにしていた。また、視覚的かつ時空的に分かっていた。
昔は、自由を論理的に考えていた。そして、共同体が多様になっていく過程を論理的に考えていた。
僕のことを許さなくて良い。その代り、みんなには、もう何も伝えない。むしろ、伝えすぎる方がおかしい。
僕は、自由の良い点は、「放っておいても自然に良くなること」だと思う。それぞれに自由を与え、それぞれが出来るだけ自由に頑張り、努力し、作り、発展させることで、自然に良くなり。多様性が生まれ、柔軟で大胆な考え方が生まれ、それぞれの社会は自律的な秩序を持つことが出来る。
自由において、良い社会を作るために必要なことは、「許すこと」だと僕は思う。それぞれに自発的な努力と成果をあげられることを許す。
そして、ルールについても、みんなで変えられるようにする。
だが、本当は強制的な不自由にも良い点はある。支配されることで、自動的に、何も考えなくても、強制的に行わせることが出来る。強制と自動化は同じであって、ある意味自由にしてしまうと、手動でやらなければならなくなり、同時にそれぞれがバラバラになったり、極端な小数の支配者が生まれ、強きものだけが強くなる「格差」を生み出す。その格差は、「強弱」による格差であって、決して「努力」による格差ではない。強いものはより強くなる。弱者が努力していないわけではないのだ。
それは良いとして、僕は自由を悪いと思わない。価値観や社会の変化から、共同体は多様になるだろう。昔は、厳密かつ緻密に、そうした社会がいついかなる理由でどんな変化が生まれるか、と言うことを真剣に考えていた。だから、あれは賢い人間だった。
最近も馬鹿ではない。王の執筆者は、全力で世界のために頑張る。なぜ、他人の幸せを自分のことのように喜ぶことが出来るのか?それは、今までたくさんの人々を幸せにするために努力をしてきたからだ。他人の幸せは目的であり、達成感だ。自分がいくら迫害されても、人々のために頑張り努力した自分の努力は変わらない。遠くから、敵のことであったとしても、自分と同じように愛することが出来る。本当に、そのために頑張ってきた。日本人は、そういう頑張った人間は少ない。
僕は今まで、人々のためにたくさん頑張ってきた。そして、自分が悟るためにたくさん考え、経験してきた。その努力は、神を信じる人間ならば、いつか必ず叶う。それは、100%確実に神が叶える。だから、何も心配しなくて良い。自分の道を今一歩進むことだけを、考えていれば良い。
考えられることを全て考えて、自分が出来る限り最高の生き方をしたつもりだが、今までやったことは全部悪いだけだ。人々を狂わせ、破壊し、陥れ、嘘をつき、騙し、そしてそれらを無自覚にすることはもう止めた方が良い。悪くは無い。自覚がないのは、自分がきちんと頑張っているとか、自分が何か今きちんと賢いことを言っているとか、そういうことに関しても自覚がない。今までの自分の全てを使って、最高のことをきちんとやっている。むしろ、王とは代表であり、国を維持し万全の備えをするものであって、そういう生き方をしたいなら、こういう風に生きれば良い。みんなを自分と同じ幸せの人生にしたいのは、結婚だ。だから、何も悪くない。この世界と恋愛し、最終的には一人一人自分の知らないところで結婚している。良く分からないが、そんなに相応しい相手が居ないから、仕方ない。結婚ではない。僕は、こう見えて、彼女も居なかったし、恋愛もしない。僕は非恋愛主義者だ。もちろんセックスもしていない。だが、きっとそこらへんは、明らかに自分が自分の女でその2人がカップルだ。そういう意味でのセックスはいつもしていた。良く分からないが、まあ、そんなことを言いたいのもおかしい。笑って受け流してほしい。
自分は、怖い人間が多い。この人間はあまりに怖い。見ていることが出来なくなるくらい、何も分からなくなって恐怖に怯えるようになる。レディーガガが怖い人間は、きっと僕のことも同じように見えるはずだ。そして、怖い理由は、僕はこの文章を何も見ずに書いている。過去に書いた文章を見ないだけではなく、この世界のあらゆる文章や言葉を知らない。だから、きっと僕には干渉出来ない。その上で、僕はこの世界を支配しているつもりだから、最強に強いのだ。その、強さが怖い。
こういう風にすると、むしろ、ドラえもんと良く似ている。ドラえもんも、怖いし、悲しいし、毎週たくさんのドラマを描きながら、長編の映画を作っている。あれが面白かったのは、こんなことをやっているからだろう。もちろん僕とはやり方が違うだろう。だが、似たようなことをやっている。怖くして、悲しくすると、それだけで感動し面白いストーリーが作れる。夢を見たり、負けそうになったりしても、最後まで諦めず頑張る。そういう精神が、きっとドラえもんにも、僕の今までの人生にも見て取れる。
今までのこの文章は賢くない。もっと、全く違った文章を書きたい。むしろ、ドラえもんと比べるのは早すぎると皆、言うだろう。ドラえもんは最高の映画だった。一番面白かった。僕が身に染みて分かっている。残念なのは、もう少し早く生まれたかった。自分が最初に見たのは、おそらく雲の王国だったと思う。もっと以前の映画ドラえもんや、さらに古い鉄腕アトムをリアルタイムで見たかった。僕はビデオやテレビでドラえもんの映画はほとんど見ている。だが、小学生の頃に藤子不二雄が死んでしまった。それではつまらない。