自然に治るようにすれば治る。そんなに正しいことを言っても意味がない。一つ一つ、学習が消えていくようにすれば、楽になる。
分からない方が賢い。人間は馬鹿の方が賢い。
いつも分かっているのは、分からなくなるのが怖いからだ。
作業所と農園に行ってきた。
今日は、作業所では再びデザインの仕事をした。写真補正の続きをして、通信の入稿データが完成した。
入稿データを作る中で、文字になぜか分からないグラデーションがかかっていたり、埋め込みになっていたシャドウを自分でつけたり、色んなことがあって、今日はパソコンとの格闘になった。
久しぶりにパソコンと格闘したように思う。
いや、SmartMenusを昨日ホームページに搭載した時も頑張ったから、正確には久しぶりではない。
農園では、大根の種を蒔いた。
昔は、下積みのように、あらゆることを考える文章を書いていた。この世界のことを全部考えていた。
この世の全てのような文章を書いていた。
この世界のことを全部考えた。提案と意見、成立と創造、法則の発見、可能性と国、自分の人生、全員の自由、そしてインフラと発想のように、ダイナミックかつ緻密にこの世界の全てを考えた。
自分には出来る、と言う思いが強かった。自分がやれば出来ると思っていた。自分は出来ると信じていた。そして、その通りやった。本当に一番賢いことをやった。自分だけではなく、他人にも出来るようにしたかった。
神は信じなくて良い。神は、信じている間何も分からない。神は「間違った神を信じるのが一番悪い」と言う。間違った神を信じている人間には、良いことは訪れない。
ただ、キリストの言うように、この神は一番正しい神だ。
本当に、自分の出来ることを全てみんなに与えたかった。それだけだ。それだけがしたかった。一番素晴らしい文章を書きたい。
英雄のようだったが、今から英雄となるのはみんなの方だ。
今、扉を開けよう。誰にも行く末が分からない未来を、僕が作り変えよう。最初から、それをやりたかったのだ。
この世界を英雄が変えていく。勇敢な英雄は、常に誰からの干渉も受けず、逆に言えば誰も彼のことを邪魔出来ず、そしてその上で全員の新しい道を作り、導いていく。
英雄は、愛を説き、世界を変え、新発想をし、新発見をする。
さあ、新しい世界に行こう。無理だと思わなくて良い。僕が居れば、どんな不可能な夢でも可能だ。その上で、この世界を変える、新世界の扉を創り出そう。
希望の力は、世界を浄化し、全てを正常な世界にして、あらゆる全ての可能性、あるはずだったのになくなった可能性を復活させていく。
そして、権力者だけに許された権力の自由は、徐々に人々の元へと戻っていく。
さあ、あなたにしか出来ないことがそこにある。自分で考えて、自分の自由にする、「自由な主体性」から、この世界は変えられるだろう。真実を教え、与える「世界の可能性」から、あなたは主体的かつ可能的に、この世界をみんなとともに築くことが出来る。
かけがえのないものを創ろう。決して冷静ではなく、狂気の中で嵐を呼ぶ、そんな英雄があなたの未来にある。あなたは、あなたのことをまだ知らなすぎるのだ。
日本人は日本を知らない。今のままの日本は決して良い世界ではない。新しい日本の社会が生まれた時、世界史は終わり、新しい生物のような人類がそこに居るだろう。もちろん、ロボットになったりはしない。だが、Appleと政治家の自由にさせていると、今のままの方がロボットになってしまうはずだ。
世界の未来を自由の力で変えよう。このままでは人類が滅びてしまう。僕は、人類を滅ぼさない。きっと、我々の力によって、日本だけが最高の国へと蘇るのだ。
ただ、僕は臆病者で、自分の力で戦ったり、国にたてついたりしようとは思わない。
昔は、純粋で純真な、最も美しい感情を書いていた。それは美しいだけではなく、情熱的で、力強く、世界を変える力を持つものだった。
今の社会を変えるためには、ただ社会主義をしても意味は無い。本当は、もっとたくさんの原因を見る必要がある。色んな原因でこの世界はおかしくなっている。だが、それを一人で全て変えようとしたのでは、良くならない。みんなに知と力を与えた上で、基本的なルールや秩序や目標や理想を与えることの出来るような、自由な支配者が存在する必要がある。指導者は何もしなくて良い。指導者は、指導者として求められている通りの役割をすれば良い。それをつまらないと言うかもしれないが、本当にやるべき人間は指導者ではない。言ってしまえば、指導者は同じことを言うだけのお飾りで良い。その代り、その「同じこと」をきちんと賢くして、素晴らしいものにしていかなければ、国はきっとみんながバラバラになってどこを向いているのか、分からないものになってしまう。
僕は、そういう、革命家のような存在にはなりたくない。人々に知と力を与えるだけの、学者や偉人のような存在になりたいと思う。
僕は、そういう、「指導者と民衆の協力のあり方」と言うものを変えた方が良いと思う。ただ支持や批判をするだけでは、外国を否定する独裁者になってしまう。本当は、それでも悪いわけではない。だが、本当は民衆がどのように考え、どのように努力し、どのように行動するべきなのか、と言う、「民衆が何をするべきか」を定める存在が欲しい。ただ単に平等や経済成長や近代化だけを目標にしたのでは、ある意味ですぐに破綻して悪い世界になる。そうではなく、みんながいつも楽しく暮らせるように、指導者本人がみんなのことを楽しませないといけない。生きている喜びを感じられるようでなければならない。だから、ある意味、ユダヤ人やイエス・キリストの神は、間違っていない。それぞれがいつも自分の生き方を確認し、神がみんなのことを喜ばせ、またみんなも神を喜ばせるような、そういう聖書のような関係性は、ある意味で模範的な王による秩序を示していると思う。自由にしたからと言って、何もしないのでは生きる意味がないだろう。
ただ、戦って勝つのではつまらない。僕は、最初からそういう風に戦って勝とうとしない。喜ばせるとか、分からせるとか、そういうものも、本当の理想ではない。本当の理想とは、みんなに愛と自由と悟りを与える、そのために全力で自分の出来ることをする、そうした「他者への貢献」でなければならない。他者への貢献が、世界を平和にする。だから、僕の国では、「他者への貢献」を基本的な思想としたいと思う。それは、日常の色んなことを思う日々の積み重ねと、非日常の冒険や戦い、そのどちらもがなければ、良い小説にはならない。だが、本当に最高の小説とは、日常によって非日常が覆されると同時に、非日常によって日常が成り立つような、「スペクタクル的転回」がなければならない。
そろそろ、もう言うことは言った。
昔は、自由にそれぞれがし、協力状態を形成し、それぞれが関わり合う、と言う意味での「自由」を良く言っていた。だが、僕は自由と言う概念が理想を描くのを邪魔していると思う。本当に理想の社会とは、自由ではなく、それぞれがもしも間違ったことが起きたとしても万全の備えをするような、「国民を守る社会」だと思う。何かの挑戦をするのは、かっこよくは見えるが、本当はそういう「万全の備え」を破壊することがある。万全の備えがなければ、安心出来る社会にはならない。だから、僕はこの国の思想を「万全の備えを守ると言う意味での自由」にしたい。決して可能性が悪いと言うわけではない。可能性も認めることで、万全の備えは、さらに「臨機応変に対応する柔軟性のある判断力」を得ることが出来る。その2つのバランスが、世界を平和な自由民主主義国家にするだろう。
戦うことも、決して悪いことではない。僕は自分の戦いに誇りを持っている。若い時代、ノンポリではなく、自由と言う思想を持って戦ったことに、喜びを感じている。だが、本当に理想の世界と言うのは、戦いや殺し合いや支配者への従属を拒否し、否定したところにある。戦いや支配は、良いのでも、悪いのでもなく、意味のないことだ。賢くて健康で健全な自分を保つ、と言う意味で、意味のないことなのだ。それぞれの体を否定し、それぞれの生を否定することは、たとえば女が赤ちゃんを育てる意味がなかったのに等しい。親としての自分が子供が死ぬと意味がないと思うように、国としての政府が国民が死ぬと意味がないと思う。本当は、武力を持つことは決して悪いことではない。守るための武器や戦力は、「万全の備え」として持っていた方が良い。金も悪くない。金は、「他者への貢献」としてあった方が良い。だが、それが異常な方向に向くかもしれないことが分かった段階で、その可能性は潰すべきだ。それが出来ない、今の右翼政治家は、ただ自国を破壊したいだけだ。
それは良いとして、僕は本当に正しい社会とは、「その人の可能性をいかんなく発揮でき、その人の本来の愛と知性が楽に芽生え、そしてその人の体験(知やスポーツなどの体験も含む)をその人が望む形で思う存分楽しむことが出来ること」であって、それは何も社会主義にして得られるわけではない。本当に、そうした「正しい宗教」と言うものが存在しないのがおかしいのだ。
プレアデス星人との交信のようなオカルトを思わせるかもしれないが、宇宙人はきっと意味のないことをしない。そういうことは、その宇宙人の星の秩序の中で出来ないことになっている。未熟な宇宙人が何かしようとしても、全員で宇宙を守る。そこから比べると、地球人はこのまま異常気象によって滅びるのか、今までの技術の構築の本来の可能性を発揮して良い世界にするのか、といった分岐点に来ていると思う。
まあそんな感じで、決して僕が何か良いことをしたい、というわけではない。正しい社会を作るために戦いたいわけでもない。ただ、民主主義者が思想的なことを言うように、僕も色んなことを言いたいから、今口から出まかせで言葉を紡いだだけで、僕は信念と反することを言ったり、本当にしか見えない嘘を言ったりするから、政治家には向いていない。