昔は、ネットでみんなと同じ立場に立って、「平等な抑圧」を経験し、そこから救世主のようになっていた。
世界を倒していたのは、愛していたからだ。本当に、純粋で最高の愛から世界を倒した。その上で、自分を失った。それは、悪かったから、そして愛していたからだ。
悲しみを乗り越えて、僕らは生きていく。
作業所に行ってきた。以下は、ケータイにメモした内容である。
発展や進歩を書いていた。決まりが時代に応じて変わっていくと言う。細胞分裂や自由な社会についても、発展や進歩の中で書いていた。
賢い時代に戻りたい。
みんなは悲惨でないし、馬鹿でない。みんながみんなのことを馬鹿だと思うのは、賢いものがなくなったからだ。
知性から自由や権限を考えて、それを発展や進歩にし、そこで何がどうなるかを考えていた。
昔は、賢かった。何でも書けて、全部分かっていた。
友達の輪に入れない人間は、堂々としていれば良い。堂々としていると、それだけで大人に見える。
頭の疲れた学習は、壊せば治る。続いていくのをすぐに壊せば良い。精神の虫を浄化すれば楽になる。そこまで辛くなったストレスの精神にしか、虫は居ない。それが、足の学習と精神だ。
虫が居るところに辛い精神がある。そこまで辛くなると、人間も虫になる。
人間は、後悔しなければ賢くならない。馬鹿なことをしたとしても、後悔すれば賢い人間になる。
後悔したくないなら、一度後悔して二度と同じことをしなければ良い。それが唯一正しい人生だ。
失敗を恐れて何もしないのは間違っている。それでは、普通分かることが分からなくなる。
自分は、子供だから馬鹿で、怖いから子供になっている。何が怖いのかは分からない。若い時代が長いだけ良い。
人間は、悪いものを否定した方が賢くなる。ネットなんか馬鹿だ。ネットはすでに意味のないものになっている。昔のネットは良かった。
あとは、機会を良く考えて文章を書いていた。
本当は、後悔しないことも馬鹿なわけではない。この文章は、いつも後悔しないように書いている。それで、ここまで書けた。これで完成だ。
自由、秩序、進歩、知性を考えて、いつ出来るかを知れば、社会が分かる。経験することが大切だ。
全てが自由へと向かっていく。
ホームページを読んでくれる人が増えたので、もっときちんとした文章を書かないといけないなと反省している。自分は昔から馬鹿な文章しか書いていない。そもそも悪い戦いの文章だった。悪い女王にしか見えない。
他人を操ったり、利用したりするのはやめた方が良い。そういうことをすると、賢くならなくなる。
みんなが心から笑えるようになってほしい。そういう世界を作りたい。
自分は、政治的な上手いやり方が分かっていない。これでは自分が死んだ時に滅びる。
パソコン以外で何か良い学校はないかと思う。出来たらデザインや音楽や哲学も除きたい。
自分は、自分が良い人間なのが分かっていない。マララと同じに見える。
むしろ、そんな活動家には見えない。教師で聖職者が本を書いているように見える。
この文章は、そもそもが戦いの文章だ。だから、情け容赦なく人々を終わらせる。ある意味魔法使いだ。
人間は、絶対者を信じると良い人間になる。
自分は、何をやりたいのかが決まらないが、いつか学校に入りたいと思っている。専門学校が良いと思う。
ケータイのメモはここまで。
スペイン語の入門本を読んでいる。
スペイン語は、分かりやすい言語だ。言語とはこういうものだ、と言うことが良く分かる。語学をする際のとっかかりとして良いと思う。
スペイン語は、言語がどのように出来ているのか、と言うことを分かりやすくまとめた、Gentoo LinuxやDelphiのような、「語学の模範」のような言語だ。
昔は、社会の文化的側面のようなことを分かっていた。価値観、アイデンティティ、自然、主体性、自立性、初期投資、再利用、共有のようなことを、社会の文化的側面として分かっていた。そういうところで信じる人間だった。
要は、そういうマイナーな分野に、分かりやすいものがある。必ず、どの分野にも一つ、そういう分かりやすい分野がある。僕は、スペイン語を分かったら、ドイツ語とロシア語をやるのが良いと思う。それが一番全てが分かる。生物学をやるのであっても、分かりやすい何かの分野がある。数学でも物理学でも同じで、たいていは量子力学になる。
昔は、「自由になること」から哲学的なことを分かっていた。多面的にさまざまな考え方と作用を照らし合わせて、戦うことから哲学を分かっていた。
最近、僕は自由になるのが怖い。だから、一度自由になってみれば良い。何も怖くないからだ。
自分は、遺伝子が衰弱する生物になっている。遺伝子を元気にすると、精神が治って楽になる。子供の頃から痩せているし、成長が早い代わり老化も早い。劣った野菜のようになっている。遺伝子を元気にすると楽になる。
ネットで、小池百合子のことを「自分の言葉に責任を取らない人間ではないか」と批判している人が居るが、それなら僕だ。僕が一番、無責任なことばかり言っている。
もっと大人の自覚を持って、自分の言葉に責任を持つような、そういう人間になりたいと、僕は思う。
むしろ、社会主義やファシズムは止めた方が良い。
こういう、自由になるのが怖い人間が社会主義者になる。本当は、自由でないものをすぐに倒すことによって、自分で哲学を考えられるようになる。
オープンソースの未来として、一番良いのは、僕はMSがMS-Officeをオープンソースにすることか、あるいは互換フィルターをオープンソースでMSが作ることだと思う。
LinuxでMS-Officeが動くなら、使う。
Ubuntu 17.10がもうすぐ出るが、GNOME 3とWaylandを採用し、Unity風のGNOME拡張のドックを付けるらしい。僕は、Unityでやっていた、アプリケーションのメインメニューをデスクトップのトップに表示する方式を、GNOME 3でもやってほしいと思う。簡単に出来ないなら、頑張ってGNOME 3の関係者と一緒に開発してほしい。
KDE Plasma 5でも、どこかのディストリビューションがアプリケーションメニューをトップに配置するようにしているところがあった。そういうMac風のデザインは僕は好きだ。
最近、作業所でMacを触ることがたまにあるが、まだ僕は使い方が良く分かっていない。でも、そんなに変わらない。見た目はデザイン性が高いが、僕はApple公式のデザインだけではなく、みんなでサードパーティのデザイナーがデザインを作ってスキンやテーマを変えられるような、そういう風にMacがなると良いと思う。僕は昔、Windows XPでネットの情報を見ながらスキンやテーマをサードパーティから入手して変えていた。これをするためには、公式のシステムのdllに少しパッチを当てる必要がある。だが、これはとても良かった。少しのパッチで、Windows XPが本来用意していたデザイン機能が有効になり、サードパーティで変えられるようになる。とても美しいデザインを使うことが可能になる。GNOMEやKDEのテーマ機能に近い。Macでもやれば良いと思う。ただ、僕はGNOMEの標準のテーマは地味すぎてつまらない。