新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-25=

僕は、生きる決意をした。

どんなに辛いことがあったとしても、それを乗り越えて、僕は生きる。

今日も作業所と農園に行ってきた。

昔は、もっと人生であったことを言っていた。覚えていないが、全員を吸収するとか、資本主義を経験するとか、モデルを作るとか、そういうことを言っていた。

また、哲学的な賢いことを言っていた。全てを説明していた。

この世界は、ありのままにあるありのままの世界だ、と言っていた。言葉や想像力や批判ではなく、ありのままあるだけだと言っていた。

神の永遠を体験していた。神が支配し、本当に物凄く長い(永い)時間を経験した。

物理的に考えると、種類を知ることが出来る。コンピュータや自動車と言っても、色んなコンピュータや自動車がある。色んな種類の機械がある。そこから世界が広がる。

昔は、世界観のようなことを言っていた。言語や歴史からシステムや定理まで、世界観の全てを書いていた。

疲れるのが辛いのは分かるが、逆に、疲れた方が治る。目は、疲れるようにすると休めるようになる。疲れることをしないから疲れるのが自分だ。

日本語が2つに分裂しておかしくなっているから、日本語Aと日本語Bに分けると分かる。日本語を二度も分かるのがおかしいから、そうなる。

疲れるのと怖いのが同時に起きると、人間は辛い。だが、それを乗り越えれば楽になる。

僕は、もっと書く回数を減らしても良いと思う。寝る前に一回だけ書いても良い。

昨日ネットワークを分かったおかげで、もう治る。もう全部分かったから、もうこういう風にしなくて良い。

そういうわけで、昔は「独自の自分の人生」のようなことを言っていた。

良く考えると、可能性があるのが賢い。賢いものが何なのか、自分は分かっていないが、要はRubyを作るのが賢い。そういう、可能性の中で実現するものが賢い。

数学や仮定法に関しても、全て自然な可能性があるものが賢い。未来は白紙であり、社会は変えられる。そのように考えれば良い。また、可能性の中で何がどうなるか、個別に成り立たせると賢くなる。同時に、成り立たせるための方法を知っておくべきだ。

そして、可能性の中で「いつも同じになる」ことも分かる。言ってしまえば、人体実験のようなものだ。人間の行動がいついかなる時にそうなるかを考えれば、誰でも分かる。

数学は賢くない。数学は無視して、それがそうなった場合、それがなぜそうなるのかを考えれば良い。

全て、賢いものは可能性だ。店舗を作ったり、会社を作ったりすることもあるだろう。それが、政府や社会全体を作ることへと、段階的に発展していく。それが僕の自由だ。

要は、ただ作っても賢くない。良いものを作れる人間が賢い。

パソコンと自由のせいで、何が賢いのかが分かり辛くなっている。可能性の中で良いものを作れる人間が賢い。作りやすくすることは賢くないが、良いものが作れるならその道具が賢い。パソコンで簡単に何でも作れるせいで、それも何もしなくても作れるせいで、何も賢いものが無くなっている。本当は、良いものを作れる人間が賢いだけに過ぎない。

何でもかんでも全部知っている人間や、何でもかんでも全部出来る人間は賢くない。それは意味がない。

もっと、素晴らしい文章を書けるようになれば良い。何かをするために、どのようにするのかだけではなく、どのように考えれば良いものが作れるか、そのために何を知っておくべきなのか、考えた方が良い。最近は学校も賢くない。覚えるだけと、試験や資格だけになっている。本当は、常人には出来ないことが出来る人間が賢い。パソコンのせいで分かり辛くなっている。

要は、本が書けるだけは賢くない。良い本が書ける人間が賢い。ベッドを作るのであっても、ただベッドを作っても賢くない。良いベッドを作るべきだ。

良い機械を作る、良いコンピュータを作る、良いOSを作れる人間が賢い。そうすると、アップルは賢くない。アップルは新しいだけの革新性と使えないデザイン性を極めているだけだ。マイクロソフトもオープンソースも賢くない。

そういうわけで、結構KDEに期待するしかない。KDEは良いものを作ろうとしている。GNOMEは、そのうち良いものになるだろう。

日本語の良い点は、文字の意味が明確で、言葉の意味が多いことだ。日本語で「母親」と言う場合と、英語で「マザー」と言う場合では、意味合いが全く異なる。むしろ、英語は意味が少ないからこそ賢い点がある。意味を一つしか設定しないことで、自分の母親が昔は少女だったことを推測しやすい。日本人は、母親と父親は親である、と言うニュアンスが強いため、子供のごろだった母親も母親であることを見失いがちだ。

だが、僕は日本語の良い点は、英語すら吸収しているところにあると思う。日本語はカタカナで「マザー・テレサ」と言う。この場合のマザーは、母親と言う意味とは全く違う。アメリカ人にとってのマザー・テレサと言う言葉のニュアンスそのものを日本人が吸収し、母親と区別して、飾り付けのように装飾する。だからこそ、日本語にはたくさんの豊富な言葉の文化がある。日本は素晴らしい。それに、日本人が英語ぐらい、分かっている。カタカナ語だけにしても言葉を喋れるぐらい、日本人は英語のことを良く知っている。外国人は、日本人の英語の理解度合いに感動するだろう。だが、日本人は難しい英単語になってくると、分からなくなってくる。たとえば、コンフォータブルのような言葉は難しいから、分からない。もっと、難しい英単語もたくさん取りいれた方が良い。そういう政策を行っても良いだろう。もちろん、日本語の教育もしなければならない。教えるべきは語彙であり、それは学校で教えるのではなく、日常で普通にたくさんの英単語を話すような環境が無ければならない。

日本人の英語の出来ない点は、「実際に話す環境がないこと」だと思う。たとえばインドネシアのような国では、自国の言葉だけではまともな高等教育が受けられない。英語の教科書と実習内容を学ぶ必要がある。逆に言えば、きちんと英語を読み書きする実践環境がある。日本は恵まれすぎている。自分の国の言葉だけで、全ての高等教育が受けられる。英語を話す機会なんか、英会話学校に行かなければ、一切無いだろう。だから、日本人は英語が出来ない。プログラミングが出来ないのは、アプリケーションを作る意味がないからだし、ピアノが出来ないのは自分で弾かないからだし、絵が描けないのは単に描かないからだ。英語もそれと同じだ。おそらく、漢字や日本語の文法(逆の言葉から逆順に言う)のもあると思う。だが、話さないで出来るわけがない。外国人との触れ合いも少ないし、そもそも外国より劣った文化ではない。劣った技術でも科学でも社会でもない。一番優れた国だからこそ英語が出来ない。

あとは、僕が思うに、日本人は言語観そのものが違う。英語は、話せればそれで良い、意味が伝わればそれで良い、相手の言っていることが何であれ、適当に話すだけ話せばそれで良い、と言うところがある。文法にも明確なルールが無く、適当に話す。だが、日本語はそうではない。日本語はきちんと漢字、カタカナ、ひらがなに意味があり、音読みと訓読み、漢字の作りと辺、書き順、振り仮名と読み方、敬語、などきちんと哲学のような要素があるし、日本語で論理的に話していると、パズルや数学のような面白さがある。他の国の言語で、こんなに賢い言語はドイツ語やフランス語ぐらいだろう。英語には意味がない。ただ話すだけで、何もない。

ただ、僕の経験から言って、英語が非論理的だと言うことは全くない。逆に、英語は最初からきちんと全ての本質を言うように話す。言っていることに無駄が一つもない。出来るだけそぎ落とす代わり、必要なものはきちんと残すような、そういうところがある。英語のセンテンスに対して、無駄が一切なく、その上できちんと論理的に成り立つことを話す。日本語には無駄が多すぎるだろう。だから、英語は英語であった方が良い。

僕は、英語の良い点とは、逆に意味が一つしかなくて、そして言葉一つがさまざまな意味に包括的に適用出来ることだと思う。たとえば、「エンジニア」と言った場合、その言葉が指す対象はとても広い。エンジニアがエンジニアとしての「形態」を持つための、一つの世界を貫くような意味がある。日本語で「技術者」と言った場合、すでにその言葉の定義が決まっている。技術に精通した者、それが技術者だ。意味が明確にあることによって、左脳を使うようになってしまう。エンジニアの場合は、その言葉自体に何かを指す「ポインタ」のような意味がある。英語の方が、想像力豊かになるのは、意味が一つしかないからだ。

アジアの中で日本は孤立しているのは、日本はアジア的な部分もあるが、本当にヨーロッパ的な部分を同時に持っているからだ。それは、きっとカタカナ語のおかげだと思う。日本人は、アジア人であると同時に、ヨーロッパ人なのだ。半分中国人、半分イギリス人だ。言葉だけではなく、政治の体制や外交姿勢にも、それが極まって表れている。ヨーロッパと同じことをしたくなるのは、ヨーロッパの立場から見た考え方も理解出来るからだし、それはイギリスやアメリカだけではなく、ドイツやロシアである場合もある。そういう理由で、日本はきちんとした政治が出来る。経済成長も出来る。科学技術も出来る。社会的労働の方法も優れている。文化も高度だ。全て、ヨーロッパの立場も理解出来る、そういう天才のような才能を持っている。それが日本人だと僕は思う。

日本の賢い点として、もう一つ言えるのは、ただ文化が交流して融和するだけではなく、「ガラパゴス」的な土壌がある点だ。東の果て、ヨーロッパからもっとも遠い島国として、日本は外国から孤立した状況になった。それによって、自分たちだけで文化・文明が栄えた。そこから、ある種の「宇宙人的」な環境が生まれた。きっと、それは馬鹿ではない。むしろ、今までの歴史だけではなく、今からの将来の未来においても、それは効果を発揮するだろう。一つだけ違う文化を持つ優れた国、それが日本だ。

僕は、日本人がやるべきことは、一つ、EUとアメリカとロシアとイスラムとアジア諸国を融和させることだと思う。いっそのこと、EUに日本が入ってしまえば良い。あるいは、ロシアと一緒になって広大な大陸国家の一部として技術力を発揮すれば良い。イスラムとアメリカを融和させるために、日本が出来ることが何かあるはずだ。そして、冷戦を終わらせるキーパーソンとなれるのは日本だ。文化的に、そうなる。ASEANとEUを融和して、「ユーラシア連合」にすれば良いとか、あるいは、ロシアと日本が一緒になって「ロシア=日本大陸共和国」を作っても良い。僕はそれを応援している。

僕は、中国史を勉強しても良いと思う。中国だけ、何も分かっていない。儒教を信じているはずだが、僕は全く知らない。そういう、「全く知らない環境」に入って積極的にやっていくのも、僕の肌に合っていると思う。

日本人は、ガラパゴスだからヨーロッパ人が理解出来ないのかもしれない。ヨーロッパは、ローマ帝国の古代から、さまざまな国を侵略し、同時に交易し、近世オランダのような先進的な文化を生んだり、デカルトやスピノザなど複数の国をまたいで文化が生まれたりしている。だが、日本も決して外国の文化を取りいれないわけではない。インドの仏教や中国の漢字、朝鮮の農耕文化など、さまざまなものをとり入れては来ている。だが、流動性が低い。ヨーロッパの文化が、すぐに流行り、すぐに立ち消えて別のものが生まれるように生まれていくのに対して、日本には成熟し、安定した文化が日本全土に広まる、そして時間的スパンが長い、と言うところがある。同じような気候や文化が共通している島であるために、たとえば浮世絵や美人画のようなものはたくさんの絵師が同じようなスタイルの絵を描く。そうした点で、ドイツよりも優れた文化がたくさん生まれている。それに、仏教は本当に一番賢いから普及している。一つだけではなく、二つ以上の標準があることも多い。日本は素晴らしい。だが、日本は考えすぎておかしなことになることがある。特に、太平洋戦争は全くおかしな戦争をした。調和を目指すはずが、抑圧と地獄ばかりを生んだ。外国人は、日本人のことを太平洋戦争の民族だと思っている。それは誤解だ。本当は日本は素晴らしい国で、素晴らしい民族だ。文化的にも、外国人は寿司にわさびを付けて食べる、味覚障害の人種だと思っている。それも誤解だ。日本にはたくさんの味付けがある。味噌も使うが、わさびも使う。それに、カツオや昆布で作るだしは上手い。外国人には、日本人のそうした最高の心は絶対に理解出来ないだろう。

日本には、音読みもあるが、訓読みもある。全てヨーロッパと中国のコピーかと言うと、そうではない。むしろ、漢字の読みや使われ方は、中国と大きく異なる。中国とは全く異質な、「独自の中国」を形成している。それも、マナーの良い中国を作っている。

自分は、革命のようなことも多かった。一人だけでテレビや高速道路と戦っていた。狂っていたが、それで良かった。勇敢に戦士のように戦う、革命の指導者だった。

中国以上の中国を作っているのは、むしろ、日本にはそうした「良いパクリ」が出来る能力があることを証明している。そこから、ドイツやアメリカのものも、パクりながら良いものにしていくような、そういう、「パクって品質を日本レベルにする」ことが出来るようになった。それも、中国のおかげだ。昔から、日本は中国以上に中国的に考えるのが得意だ。ただの帝国にするよりも、幕府と朝廷を分ける。そういうところが、違う。

高速道路との戦いとは、流れる音楽と戦いながら、一人ありえない戦争を起こしていた。一人、全てを支配して解放する、指導者をやっていた。

そんなものを誇っても意味は無い。だが、不思議と、僕は全てが分かった。

きっと、僕が思うに、日本のレベルは低いように見えて、思った以上に高い。日本の音楽は洋楽なんかよりはるかに良い。漫画なんかスターウォーズよりはるかに面白い。

あとは、ソ連がロボットを作った時が、本当の終わりだ。今のロシアなら、プログラミング言語とOSは、きっと簡単に作れる。Linuxのコードベースなんか使う必要はない。数十年ぐらいすぐに追い越せる。それも、ルータとCPUの仕組みだけ分かってしまえば、本当に全く違うOSを作れるはずだ。ロシアと日本で協力して新しいOSを作るべきだ。ただ、出来るだけオープンな思想をすると良いかもしれない。GPLやCCのようなコピーレフトだけではなく、本当に素晴らしい環境を作るために、国家・政府レベルでの著作権放棄ライセンスを作ってほしい。ロシアならきっと出来るはずだ。

日本には、イスラムとロシアが足りない。僕がそれを補う。僕の世界では、むしろ、日本が足りない。もっと日本を増やした方が良い。日本は最高の文明だ。

僕は、もう一度イスラムを信じれば良い。イスラムの神を信じると、キリストになっているのが治る。

僕が思うに、神には特定の信じ方のようなものはなくて、色んな人間が色んな風に神を信じている。だから、キリスト教を信じても、イスラム教を信じても、自由に天国へ行ける。違う神を信じたとしても、神を信じていることに違いは無い。自分の好きなように神を信じれば良い。

だから、僕は独自に神を信じる方式を作る。

1.神になりなさい。

2.神を超えなさい。

3.神を自分のことのように理解しなさい。

4.神を偉大だと思うだけではなく、親近感のあるフレンドリーな神であるとも思いなさい。

5.神は、恐ろしい恐怖の存在であると同時に、安心させてくれる世界を平和にする存在である。

6.神を信じるのに、特定の型は必要ない。自分の好きなように信じなさい。

これで良い。これで、自由に神を信じることが出来る。イスラエルの神とは違う、全く怖くない神だ。だが、これもイスラエルの神だ。

きっと、中世より昔では、そういう、神を何にするか、が流行っている。民族のアイデンティティとしてそういう神話があった。

言ってしまえば、そもそも僕がそういう風にしているから、神をどんなものにするか、色んなグループが考えた。それが古代の神話だ。イスラエルのユダヤ教が勝ったのは、馬鹿に見えて、聖書と言う発想が賢かった。だが、キリストのおかげでレベルが低くなった。ただの善を信じて善人になっても、つまらない。それは戦いたいだけだ。ドイツはそのせいで善良な正義の戦争主義国家になった。善は信じなくて良い。もっと、楽しくて面白い神話の方が、僕は良いと思う。あるいは、どんな神を信じるかを、いくつかの神から選んで自由に選択するような、ヒンドゥー教のような宗教にするのが理想だろう。僕としては、みんなで教義を作ってみんなで変えていくようにして、ポリシーはきちんとしたものを決めるような、民主主義のような宗教を作っても良いと思う。

僕は、神を信じることで何の良いことがあるか、と言う「信じる目的」を作りたい。

1.永遠の希望を知ることが出来る。

2.勇敢な戦いによって、悪に勝利することが出来る。

3.いつでも諦めない気持ちを持って仕事に取り組むことが出来る。

4.とても良いことが起きる。

5.全てが分かる。

6.全てのことは、神によって起きたのと同時に、自分の手で出来たのだ、と実感し、幸福になることが出来る。

そういう風に、賢い人間になることが出来る。

せっかくだから、どんな風習をするのかも決めよう。

1.日記を書くこと。

2.Linuxを使うこと。

3.哲学を学ぶこと。

4.この文章を読むこと。

これが、この宗教を信じるために必要な義務である。

日本は、本当の未来の国だ。本当に、未来の世界で正しい秩序をやっているのが日本だ。

僕は、むしろ、キリスト教を信じないようにしたいと思う。キリスト教から離別したい。日本をキリスト教の国にするのはおかしい。

もっと、キリスト教でない宗教を信じたい。もう、神との対話も終わりだ。イエス・キリストしか話していない。

本当は、ギリシャ・ローマ神話が良い。古代のギリシャ・ローマ神話には、賢い点が多かった。神がいつか、ギリシャ神話が正しい神話だと言っていた。あの神話は完成されている。人々に知性とは何かを教えている。だから、ギリシャ神話を信じた方が良い。

ただ、日本人の場合、それは必要ない。仏教を信じれば良い。

僕も、もっと仏教を信じたいと思う。そもそも、キリスト教なんか信じたくなかった。仏教徒で良い。僕は仏教の調和と慈しみの心が好きだ。

日本には、神から与えられたこの地を征服する、と言う発想が少ない。自然と調和し、自然の中で生きる。仏教ではなく、神道(日本の古代からの神話)にその精神がある。