新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-24=

みんなは、神のことを誤解している。

僕から見て、神は全てのことを考え、作り、そして教えてくれる存在だった。

だが、みんなから見ると、神は支配し、自分と世界を素晴らしくしてくれる存在だと思う。僕も、本当はみんなから見た神がどういう存在なのか、分からない。

ある意味、そういうすれ違いが起きている。僕は神を自分の中の神だと思っているが、みんなはみんなの中の神を神だと思っている。

だが、みんなの中の神は、本当は神ではない。それは、神と言う存在が居たことによって起こった、みんなの中の現象であって、神はそれを神だと思っていない。

本当の神は、こんなに悪い人間で、そして、こんなにおかしな体験をしている。

それはそれで良い。みんなの中の神も、確かに神だ。

自分は、みんなも含めて、脳が分からなくなっている。昔のように、明晰に分かる頭脳が無くなっている。暗闇の中で何も分からなくなっている。

脳をつければ分かる。日本語が分からないのは、単純に「脳がないから」であって、脳をつけることで、すぐに日本語が分かる。

みんなが不幸なのは、みんな、日本語が普通に分かっているせいで、何も分からない。この世界に何もないのに、その何もないを分かっている。

人間は、日本語が分からない方が分かる。自分の側にあるものを知り、世界を知るだけで、ただの馬鹿でもきちんと分かる。

だが、日本語が分からないのはあまりに不幸だ。日本語は、脳をつければすぐに分かる。

昔は、段階のようなことを言っていた。知性から歴史まで、全ての段階を言う。社会から可能性まで、あらゆることに対して、具体的な段階を書いていた。

段階は、人間関係や所有から、社会の発展まで、あらゆることを仮象的段階で言葉にして書いていた。

本を書くために必要なのは、調べることではなく、精通していることだ。調べて書くとは言うが、その時引用するだけであって、全体の流れと色んなことを知っている人間なら、書く時のその時その時調べることによって、書けるようになる。僕がLinuxや哲学について書くのと同じだ。

日本は、最初の頃の平成に直すと、正常な世界になる。浜崎あゆみのような世界に戻せば良い。それで、楽になる。

本当は、狂いや支配は治さなくて良い。もっと、色んなことをすれば良い。それなら良い世界になる。治しても意味がない。

一度おかしくしたのは、その後に世界を支配するためだ。

僕は、自分のことが嫌いなのは、作業所のみんなは「疲れないように」と気遣ってくれるのに、自分はこの文章を書くのを止められない。そのために疲れてしまう。だから、自分のことを「死んだ方が良い」と思ってしまうが、本当はそれでは悪い。自分は生きたいし、ただ楽になりたいだけだ。

僕は、専門学校に入って本格的にデザインのことを学んでも良いと思う。コンピュータ系の学校でも悪くは無いと思うが、僕はパソコンのことはしたくない。

日本語が分かるようになったら、僕はネットワークのことを学びたい。ネットワークについてのみ、何も知らないからだ。

英会話教室に行ってきた。

昨日は、夕方に早く寝たせいで、夜の二時に起きた。その後に、七時まで起きていた。上の文章は、その間に書いた。

存在を吸収して分かっていた。

プログラミング言語は、Rubyが正しい。特に、ブロックの使い方が正しい。まつもとには、OSを設計してほしい。

物理的に考えようと思う。今からは物理の時代だ。

習得、予測、基盤や相互作用などの物理的考え方を書いていた。

全てを実証していた。

生物は、たくさんの種類が居る。たくさん居るおかげで、どんな環境にでも適応出来る。

昔は、そういう相対的な考え方を書いていた。

ものは意識が無くても存在出来るが、人間にはものではない意識の世界、すなわち世界観がある。

物理は、自分の中に構造を作って、知覚や感覚を考えると出来る。

その上で、可能性を留保して考えれば良い。

人々の言っていることを自分のことのように考えることから、全員の立場を高い視野で考えられる。

知覚は人間の側にある。意識がなくても、誰も見ていなくても、それはそこに存在している。