農園、英会話教室、本屋に行ってきた。
デザイン関係の本を買うことにした。本屋で少し見たものを、アマゾンで注文する。プロとして恥ずかしくないデザインの大原則、と言う名前だったと思う。違うかもしれない。
自分の精神は、脳の「自分の部分」を消せば治る。
明治以降から戦前の日本が間違っていたのは、「富国強兵」として、経済的豊かさと軍事的強さの両方を欲しいと考えたことだ。
軍事力と経済力の両方は、バランス良く成立するように見えて、そうではない。
経済的に豊かでも、軍事的に負ければ終わりだし、戦争は国民と政府を疲弊させ、経済すら破壊する。
戦後以降の日本が賢かったのは、平和主義だったことだ。戦争をせずに経済を発展させることで、国そのものの基盤や土壌が強くなった。
アメリカやロシアが馬鹿なのは、そういう、平和な戦後の復興と経済成長を知らないからだ。
だが、もう一つ言えることとして、競争や金だけで標準的技術を決めてはならない。良く考えて標準を決めるべきだ。
今の時代、標準はビデオや自動車のような「どちらに転んでも同じもの」ではない。WindowsやLinuxなどの「巨大ソフトウェア」は、技術的要素から作られている開発手法まで、あらゆることが全部違う。金や競争に任せて、どちらかに勝手になれば良い、と言うものではない。
だから、政府は良く考えて、Linux、Windows、Mac、そして*BSDを検討しなければならない。
本当は、そうした「環境的違い」だけを見るのは間違っている。技術的に本当にどういうものなのか、と言う点を、例えばOpenBSDがセキュリティを強化するように、考えていかなければならない。実際の技術的なモノを見るべきなのだ。
そして、技術も大切だが、デザインを学ぶことも大切だ。プログラミングは「どのようにものを作ることが出来るか」と言う「手段や方法」を知ることが出来るが、デザインは「どんなものを作るのか」と言う「目的」を知ることが出来る。
デザインをする時に必要なのは、仕事として考えるのではなく、本当にやりたいデザインを考えることでもある。仕事として考えて出来ることもあるが、純粋にデザインとして考えた方が良い時もあると思う。
自分は、人間の姿かたちはしているが、最近人間で無い。良く見ると、全く人間とは違う生き物として生きている。おそらく、天使や神ではなく、ネコのような新しい生命になっている。
今日は終わりだ。出来ることなら、もう文章なんか書きたくない。さようなら。ありがとう。