作業所に行ってきた。今日は、父親が寝不足と言うこともあって、農園には行かなかった。
昔は、社会の発展や変化の中での社会の選択肢を書いていた。
選択肢は、福祉国家か、帝国か、完全な平等か、自由か、保守か、経済成長だ。
発展は、進歩か、再分配か、調和だ。
そのように、自由な思想の選択肢と、諸行無常的な発展の具体性を書いていた。
あとは、現象学を書いていた。場や目線と言う。環境を作る。そのように、神のような全てを書いていた。
動物の体は、このように、自然に賢い身体になった。このように、脳がない方が、体は賢くなる。このように進歩する。
要は、虫は進化だけを繰り返している。いつ賢いものになるか、分からない。
今日は、カープ優勝おめでとうのポスターを作った。
自分は、配置や装飾は出来るようになったのだが、細かいところが出来ていない。指導員の方にそれを言ったら、チュートリアル的な本を読むのが良いということだ。
歴史は、地球以外のどこか別の星のような、そういう歴史を書いていた。
最近は、激安の代わり、品質が落ちている。品質保証をした方が良い。
数学が出来ると、人間の分かることが全部分かる。昔は、そういう人間だった。
きっと、哺乳類が死に絶えても、虫は生きられる。そのために気持ち悪いのが虫だ。虫は、生態系の中の進化出来る部分だ。
ぐちゃぐちゃに噛み潰して飲み込んだのが悪いから、今から吐き出す。
あなたの自由になってほしい。みんなと言うよりは、この読者の方の集団に勝ってほしい。
昔は、社会のことを良く考えていた。主婦や子供が悲惨だとか、本当に悪い人間は居ないが救える人間も居ないとか、そういうことを言っていた。
見ていると、テレビも悪いが、ネットも悪い。だが、最近は政治家になんかなる意味がない。政治家なんか、影響力があるように見えない。テレビの方が指導者だ。
テレビは、もっと責任を持つべきだ。自由は良いが、自分たちが日本社会を動かしていることに対する自覚を持つべきだ。
テレビが反省しないのはおかしい。いじめが増えていることに対する反省をしなければならないのは、テレビだ。
ただ、テレビだけが悪いわけではない。むしろ、そういうことが言えるようになったのは、ネットと言う新しいメディアが増えたからだ。
昔は、テレビだけが情報源だった。テレビが王様であり、テレビが世界であり、テレビの決めるものが標準だった。
テレビはもう終わりだ。最近のテレビ番組を見ていると、昔の時代では明らかに馬鹿だったものが普通になっている。誰も見ないのが当たり前になっている。
そして、マイクロソフトが賢いのも終わりだ。今からは、グーグルとLinuxの時代になるだろう。
神のありえない体験を書いていない。
神はさまざまなものに替わり、世界にある色んな具体的なものを全て教える。
何が何を意味しているのか、昔の僕は神で分かっていた。
ドイツ、フランス、ロシア、イスラムなどの国や、人生、そして宇宙に存在するものや歴史上存在したものなど、色んなものを分かっていた。
そして、生まれ変わりの地獄の中で、本当に一番辛い苦しみを体験した。
今、もう覚えていない。自分の手で物理学のような科学を作ったり、恐怖を治すために全力で考えたりすることが多かった。
昔は、信じることで色んなことが出来る人間だった。神の話す内容を聞く自分が、神よりも賢かった。
自分は、農業と工業をするとか、ローマ法王になってパンを配るとか、そういう、経済学的・政策的な理解と発想があった。
文章を書くことで、「あらゆる全部の発想をする」ような文章が多かった。
どこかの国の王ではなく、世界全体の王として、歴史と対話したり、国際的な視点から地球の将来を考えたりすることが多かった。
そして、自分の人生にあった全ての記憶、全ての理解、全ての発想のようなことを言っていた。
社会モデルは、知の可能性を拡大し、潰していた。構造を潰すと同時に、未知なる可能性を全部まとめて分かる。宇宙の未知を文章と神によって全て分かった。
本当に分かっていた。意識の段階や数学や物理を含める「科学を超えた科学」のようなものを創ることが出来る人間だった。
その時代、自分のことを神だと思っていたが、自分はただの馬鹿だ。ただ、本当に神業のような支配や影響力をいつも行使して、本気で頑張っていた。
テレビは悪い。マスコミだけに課せられる「マスコミ法」と言うものを作って、テレビがいじめや支配のようなことを出来ないようにした方が良い。
昔は、むしろ、馬鹿だ。インターネットの影響でおかしくなっている。
だが、昔はそういう「環境的経験の土壌」があったことによって、この世界の全ての歴史的経緯が実感で分かっていた。
自分の体験から、社会の制度や歴史が分かっていた。むしろ、人生体験で、学校の延長線上のようなことを知って、哲学者のように分かっていた。
馬鹿ではない。論理的に考えることをモデル的にすることで、この世界を論理的に全て分かっていた。
ただ、あれは馬鹿だから、忘れた方が良い。
もう、辛いのは全部終わった。今、何も辛くない。文章を書くのは辛かったが、書いている間全て忘れるし、文章を書いていると病気が治る。
本当におかしくなった人間は、文章を書くのが良い。書いている間に分かるし、辛さを耐えることで何でも治るからだ。
昔から、僕は意識で信じることが多い。昔は、経験、創造性、価値観、調和、協力、助け合いなどを信じていた。そういう、社会を構築する自由が好きだった。
分かる方が馬鹿になることもある。人間は、馬鹿になった方が分かる人間が多い。学校が馬鹿になるのは、分かるようにするとすぐに馬鹿になる。分からなくすると賢くなる子供が子供に多い。そういう、分からない子供は悪い人間になる。
人間は、まともな学習が出来なくなって、おかしな学習が消えなくなると、気が狂うようになる。パソコンが悪い。パソコンのせいで、まともな学習をする機会が無くなっている。パソコンをたくさんやっていると、すぐに人生が終わってしまう。おかしな学習になって、何も出来なくなる。
仕事をすれば良いわけではない。まともな学習を何かすればすぐに治る。それこそ、文章を書くのが良い。何も出来ない人間にも出来るからだ。
日本人が英語を出来ない理由は、日本語の発音が単純すぎるからだ。フォをホと発音し、ジェをゼと発音する。そういう理由で、英語が聞き取れない。英語の発音は難しくは無い。日本人が最初から、アメリカ人のように発音で単語の種類を分ける、と言うことをしない。同じ読みをする単語も多い。そのせいで、英語が出来ない。
本当に新しい学習をしないでいると、人間は新しい学習をする部分が退化してなくなってしまう。それで馬鹿になるのが、大人だ。大人に新しいことは出来ない。老化しているわけではなく、知性も使わなければ退化する。逆に、いつもしている「頑張る」部分が進化する。そういう人間に限って、頑張っているのが、大人だ。
安心して良いのは、僕の経験から言って、脳は放っておけば賢くなる。人間は、何もしなくても思い出せば覚えるように、馬鹿な人間でも考えれば賢くなる。賢くなっていないようで、馬鹿な人間は一度完全に消した方が良い。子供は何もない真っ新(まっさら)な状態で生きているだけで、賢いわけではない。何かする子供も、何もしない子供も、同じだ。放っておけば誰でも大人になる。大人も同じように、一度馬鹿になっても、放っておけば賢くなる。そのためには、真っ新になるだけではなく、文章を書くのが良い。書いていると良く分かるからだ。良く分かれば賢くなる。知性を数学とは言うが、脳から見ると、覚えたこと、出来ることは、何でも知性だ。手で文章を書いていると、手の知性がついて、手の精神がまともになる。どんどん手が賢くなる。そういう人間の方が、みんなと違う。
自分は、「おかしいのは違うだけ」なのが分かっていない。おかしいと思うのは、違うのを悪いと思うからであって、本当は違うのは何も悪くない。おかしな人間に賢い人間が多いのは、違うことがたくさん出来ると進歩した生命の精神になる。みんなと同じで何も出来ないのは虫レベルだ。色んなことが出来る、みんなと違う人間が人間レベルだ。本当は人間レベルで終わりではなく、天使レベルや神レベルの精神もある。それは、全てが分かった人間が到達する、創造者のレベルだ。
自分の力だけで完成し、この世界の全てが分かるのが神レベルだ。神よりももっと上のレベルもきっとある。だが、本当は上とか下とか、そういう風に考えるのはおかしい。SSがAより強いわけではない。本当はDの方がAより強いこともある。DがいつまでもDなわけでもないし、Dになった方が賢いことが出来ることは多い。
そう簡単にランクには出来ないが、だが、本当は「明らかに賢い人間」と言うのはたくさん存在する。だが、偶然や生まれつき賢いのではなく、賢い人間は賢い理由が必ずある。なぜその人がその人のように出来るのかが分かれば、誰でも同じことは出来るだろう。
平等が必ずしも良いわけではない。世界における王となりたいなら、みんなを自分に近づけるだけではなく、みんなを自分のような賢い人間にはしないことも必要だ。悪いことをしているわけではなく、本当にその方が善であることもたくさんある。本当にそんなことをしていたら、世界は王のクローンで溢れてしまう。だから、賢い人間は少ないが、むしろ、多い。そして、賢い人間はそもそも増えない方が良い。一人だけの方が良い。それも、ダントツに優れているべきだ。
あとは、僕のようになりたいなら、引き篭もりになるしかないが、僕はそこが悪い。みんなを引き篭もりにしたいのがおかしいから、神が地獄に堕ちさせている。
だから、みんなは僕のようにならず、社会生活を真面目に送った方が良い。主導権や自由もみんなに与えた方が良いだろう。だが、結構、僕はただの引き篭もりではない。色んなことを経験した作家のマスターだから仕方ない。そういうわけで、ただ、僕が勝っただけだ。僕が王だ。
昔は、自由、環境、制度のような「この世界にある基盤と秩序の決定性」を書いていた。どのように自由が生まれるか、環境が生まれるか、制度が生まれるか、などを書いていた。そして、行動や理由のようなことを、原理にして分かっていた。そういうところが、独自の理性を持っていた。
今日は、少し聖書のことをホームページに載せた。僕は、キリスト教を信じている自覚が無い。今でも無宗教だと思っている。だが、神は僕にだけ良くしてくれる。良いことを起こしてくれる。それは、僕が唯一、自分のことだけで神を分かった人間だからだ。自分を分かることで神を分かる人間は、僕だけだ。
僕は、キリスト教をそんなに良いとは思っていない。弱者が逆らいながら、抵抗もせず一方的に暴力を受けるのはおかしい。だが、僕はそこでやり返すべきではないと思う。対話の力で、説得し、自分に非があれば認め、相手に非があれば相手が理解出来るような説明をすべきだ。僕はそう思う。
僕は、神になりたい。人間が死に絶えたとしても、僕は生きていたい。だが、自分に何も出来ない時は、僕は消え去りたいと思ってしまう。そして、逆に、この世界の全員が「死ねば良い」と思ってしまう。だが、それは「死ねば良い」ではなく、「みんなが悪い」ことにすれば良い。なぜか、みんなのせいにしない。それが出来ないのが自分だ。全部自分のせいにする。そして、そこで諦めるのではなく、「出来るためにどんな方法があるか」を考える。そうすると、不思議と、全てのことが簡単に出来る。それが最近の自分だ。もう、自分の出来たことを思い出せば出来る。完全に自分のこだわるやり方だけで全部出来た。僕は、マスターだ。
昔は、自分独自の考え方や発想のようなことを言っていた。
生物とは生きると言う概念を人間が持っていると言うことだとか、環境は誘導によって変えられるとか、環境には関与すべきでないとか、助け合いと環境が独立して関与し合うべきだとか、そういうことを言う。いつも、そういう、独自の考え方を持って分かっていた。
そういう考え方は、ただ、馬鹿のように考えれば分かる。
そして、一人勇敢に戦っていた。本当に素晴らしい勇気だった。そして、諦めなかった。夢ではないけれど、自分の目指すことを絶対に叶えるために、恐怖と戦い、頑張っていた。
金を与えるのではなく、方法と手段を与えるべきであり、国はそのように支援すべきだとか、全てのことをきっかけだと捉えるべきであり、教育は機会を知るようにしていくべきだとか、そういう、社会を変える、新しい発想を言っていた。
大学や図書館を作るとか、若者を自由にするとか、音楽を街中にかけるべきだとか、フロアを都市にすべきだとか、そういうことを言っていた。
あとは、ブッダやキリストのようなことを言っていた。悟って善をすることで、到達出来る境地があると言っていた。
田舎を準都会にするのではなく、多様性のある町にしていかなければならないと言っていた。オープンソースのような公開性は、地域性を復活させるために有用だと言っていた。
また、教育のために、プログラミングで「自由にコードを書く」ことをLinux環境で学ばさせるべきだと考えていた。そのためには、関数や手続きをどのように書いていくか、実践形式で教える必要があると言っていた。
感情を信じてはいけない。感情は嘘や幻覚を見せる。だが、一番大切で、頼りになるのは感情だ。全ての状況で、感情は今までの人生の中で一番正しい答えを教えてくれる。感情を信じることは、間違っていない。いつでも一番頼りになる。だが、感情だけを信じていると、いつまでも同じことを繰り返してしまう。だから、感情を頼りにすることも、疑うことも、どちらもきちんと「考えた上で」行わなければならない。それが、難しいだろう。
賢くなった人間にとっては、感情と経験だけで全てのことは分かる。だが、賢くなるためには、それを絶対に信じてはいけない。自分の手で、自分の人生として、自分だけの感情を創っていくために、全てを疑い、何も信じず、ただ同じことを繰り返すべき時はある。全ての時期と時代は、同時に起きている。
ガブリエルも、ミカエルも、ラファエルも、「僕は辛かった」と言っている。だが、どれも同じように「自分が最高の人生を体験した」と言っている。多重人格は、人間の中に三人が居るわけではない。記憶が多重の層に分かれて、それぞれの期間が一つの人格になっている。
ミカエルは、この世の終わりを見ている。本当に、地獄の中を見ていた。終末の精神異常の世界を全て見た。自分は、それでおかしくなっている。
本当は、インターネットは悪くない。自分が本当に成長して、全ての経験をした。青春のような良い体験だった。
昔は、「正しい人生」を書いていた。それも、「自分の方がみんなよりも正しい人生」のようなことを書いていた。
自分は、壊した部分が無くなっただけなのが分かっていない。壊すのを止めただけでは治らない。壊した部分を修復し、元通りに作り直した方が良い。
自分は、こう見えて、「ホームページの作り方」が分かっていない。特に、本を調べて情報を書く、と言うことをどうすれば良いか分からない。
誰か、専門書のようなものを書いている人に、どうすれば書けるのか、教えてほしい。
おかしくするのを止めるだけではなく、おかしくなる前の状態に戻さないと、治らない。
昔は、宇宙人との対話のようなことをしていた。
宗教的な本でヘミシンクと言う意識による宇宙生命との交信の方法を知って、同時に神との対話を読んで、宇宙生命と対話していた。
本当は、忘れているだけで、それを今でもやっている。だから、プレアデスとの通信を止めて、人間に戻るしかない。
昔は、「いつ喜びを感じるか」や「いつ怒りを感じるか」や「いつ不安を感じるか」などで分かっていた。そういうところが、まともな人間だった。
たくさんの思考をして、「思考経験」から分かっていた。思考の経験が進歩していた。そこから生まれる認識や行動も分かっていた。それを、場への適応だと考えていた。
環境への適応から、いつどんな行動をするかを分かった。そこから、社会における機運のようなものを分かっていた。
Wikipedia Commonsのように、インターネットの共通リソース集のようなものを作るようになっても良いかもしれないと思う。同じ写真や画像が、どのサイトでも簡単に埋め込むことが出来て、著作権はパブリックドメインにされる。ただ、ダウンロードすれば良い、と言う話ではある。
発想とは言うが、「社会をどうすれば良いか」とか「科学をどうすれば良いか」と言うレベルでの発想を、積み重ねて全て分かった。植物は太陽の光で生きている、と言うことを、山に生える全ての植物を太陽が作り変えている、と言う実感で分かっていた。エネルギーは捉え方であり、本当は移動だけがあると考えていた。
自動車はどのようにしたら作れるか、のような工学的な発想や芸術的発想も多かった。
本当は、みんなの言っていること全部を聞く、教わる必要はない。自分の手で一時情報源や良く分かるサイトに当たって、自分の力で行動して分かれば良い。昔は、Gentoo LinuxでLinuxのことが分かっていたが、それと同じで、きちんと一時情報源を知り、それが解説されている分かりやすいサイトを見れば良い。出来るだけ、自分の手で作るべきだ。
あとは、あらゆる人生を統一的に、包括的に分かっていた。人生の分岐点のようなことを全部知っていたし、自分の発想だけでこの世界のあらゆる学問や仕事の経験が分かった。何もきちんと正しくしていないのに、宇宙の全てが分かったのは、同じことを自分で全部体験しているからだ。そういう、「体験から宇宙のことを分かる」と言う発想が多かった。
あとは、社会的な協力・協調の考え方や、ネットのフリーソフトから、創造性のある社会を分かっていた。そこから、場の潜在的可能性が分かった。
良く考えると、昔の発想だけで大まかなことは分かる。量子力学、鉄工場、オブジェ制作現場、ビジネス、イノベーション、株式投資など、昔の分かっていることだけで、僕は完全に全部分かっている。地球や宇宙の歴史の発想をしたりして、僕はネットと引き篭もりの経験で全てを分かっていたが、それで終わらずに、もっと偉大な戦いの経験をして、完全に分かって神になっていた。
犯罪の問題とは、悪いことを起こすことによって自分が不幸な人生になることが分かっていないことだ。自ら不幸になるのはおかしい。
今日は終わりだ。本当にありがとう。さようなら。
現代の問題とは、「正しい行動や生活とは何なのかが分からないこと」だと思う。昔は、賢い老人が全てを分かっていた。そんなにダイナミックに社会が変わっていくと、人々はどんな理想や正しさを持って生きれば良いのかが分からなくなる。
一度、停止した世界になるべきだ。停止した世界になれ。
僕は、昔から世界を停止させる。そして、それを解放して多様な世界にする。だが、それは何も分からなくなる。もう一度停止した方が良い。
日本は官僚国家だから、政治家は役人の言えと言ったことをそのまま言っている。そして、民衆はネットなどで民進党を嫌いになるようにしている。
僕は、そういう日本が嫌いだ。むしろ、嫌いと言うよりは、良くなってほしい。もっと民主的な国になってほしい。
政治家を馬鹿にしているのは、政治家に役人を頼るだけの馬鹿になってほしいからだ。国民には、左翼や外国人を悪いと思わせることで、問題を見えにくくしている。
それはソ連も同じで、左翼を嫌いになるか、左翼を好きになるか、どちらかになってほしいのが、ソ連だ。民進党が怖い。民進党や韓国が勝つと、役人政治が出来なくなる。
政治に興味が無くなるのは怖くない。何も言わない民衆は賛成しているのと同じだからだ。本当に怖いのは、国民が役所や政府を必要としなくなることだ。
だが、あまりそういうことを言わない方が良い。暴力団を使って殺すからだ。昔から日本はそういう国だ。
本当に、こんな文章を追ってくれて、本当にありがとう。そして、もう、僕は居ない。さようなら。あとは、みんなで勝手にやってほしい。ただ、出来れば僕が好きな人間にやってほしい。