新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-15=

昔は、全てを解決する王をやっていた。

出てきた問題を全て解決し、あらゆる難問を自分の頭で考えて解決する、「解決者」だった。

その、解決者の知性で精神を治せば、すぐに治る。

解決者は、完全にあらゆることを解決する。そして、そのまま、世界と対話していた。

モデルは、包括的なモデルを作っていた。あらゆることに対応出来る、賢い数学、賢い物理だった。

作業所と農園に行ってきた。

カレンダーのデザインは、季節の花と星座を配置して、結構形になってきた。

農園では、トマト小屋を完全に解体した。

自分は、古代の歴史が勉強したいと思う。本来の、文明的でない暮らしに興味がある。

昔は、精神の力で全てを分かっていた。宇宙、人間、人生、哲学のようなことを、精神の力で、神やマスターのように分かっていた。

血は、反抗を許し、精神を良くし、すぐに負けるのを繰り返していると、良くなる。

自分は、理想を掲げた上で、それを下せなくなっている。もう、信じなくて良い理想をまだ信じている。

理想や信念は、それが有効に働いている間はあって良いのだが、足枷になったり、自分を制限したりするようになった時は、改めて、新しい理想を信じるべきだ。

認識は、自分の側にある。それを自分がそれだと思っているから、それはそれになる。

これは、信じれば成る、と言うことと同じで、支配していると思っているから、支配している。自由になっていると思えば、そのままで自由になる。

自分は、複雑なことをいきなりやっているから、何も出来なくなるのが分かっていない。もっと、単純なことからやれば良い。

単純なことから分かれば、複雑なことが分かる。単純なことからやれば、複雑なことが出来る。複雑なものは単純な部分に直すべきだとデカルトが言っている。

昔は、本当に精神の力で神ほどに分かっていた。仏教と分かっていることは同じだ。

自分が出来ることや、権限や支配や、みんなが変えられることから、議論や政治や会社を考えていた。理想は、誰も排除しない社会だと考えていた。

本当は、僕は自由が好きだ。それも、自分が他人に干渉されないような自由が好きだ。共同体主義をするのであっても、自分の私的な空間は守られるようになってほしい。自分の活動が他の人間に影響されたり、制限されたりせず、逆に影響力は出来るだけボトムアップで与えるようにしたい。そういうことを考えていた。

逆に言えば、自分独りが勝手に自由に生きられるのであれば、国家の体制が必ずしも自由である必要はない。

世界を自由に知ることから、全員の営みを知り、現状の日本がどうであるのかを知り、何をみんなが考えているのかを知り、人間とは何なのかを知ることが出来る。

そして、社会を知ること、自分の行動をさまざまに拡大させていくことで、「自由な自分としての自我」を得ることが出来る。

自我を得た人間は、自分だけの力で、自分の道を自由に開拓させることが出来る。

狂った人間は、自分に対してみんなを合わせようとする。そうではなく、みんなの社会があった上で、自由な自分があると思えば、人間は歩み出せるようになる。

社会を場として捉えなさい。この世界が場所であり、さまざまなものが存在するのだと考えなさい。

自分は、支配なんかしていない。この世界は正常だ。何も、おかしい世界ではない。みんなは普通の人間のままだ。

理想の感情を信じなさい。あなたが理想だと思うことを、何でも信じて、自分が何を理想だと思っているのかを思い出しなさい。そこから、新しい道を歩めるようになるだろう。

昔は、過去の自分の人生を辿って文章を書いていた。そのせいで、賢い文章が書けた。そして、全部同じにしていた。

昔は、環境をピンポイントで変えられる人間だった。

だが、自分の間違いは、環境を変えても意味がない。「環境を変える」と言う発想は、意味がない。

もっと、日本や日本人を良くするためには、何でも自由にすれば良いわけではない。良く考えて変えなければならない。

安易な方向に流れないこと。

慎重に良く考えて行動すること。

自分だけではなく、全体のことを見ること。

不可能だと簡単に諦めるのではなく、可能ではないかと信じること。

ただ、言葉だけで理想を並べても意味は無い。もっと、行動的なことをしなければならない。

北朝鮮は、世界を怖がらせる手段が戦争しかないから戦争と言っているだけで、何も考えていない。

世界を怖がらせたいのはおかしい。

戦争はすべきでない。もっと、「真面目」で「謙虚」になる必要がある。自衛手段とは言うが、そんなものは必要ない。各国が軍事力を共有し、NATOのような体制を取れば平和になる可能性はあるが、それでもロシア軍が反発する。本当は、そういう冷戦体制が悪い。

だから、社会主義や共産主義は無くしていく必要がある。

むしろ、きちんと良い国にするために、発展や競争だけが手段だった時代は終わった。今の時代、インターネットがある。

だが、インターネットは悪い。

どうすれば良いのかを考えるとしたら、本当は国のために守る、戦う、と言う発想そのものが悪い。国を民衆よりも上のものである、とする風潮が悪い。

だが、北朝鮮は、何をして良いか分からないだけだ。安倍もトランプも同じだ。何をして良いのか、どんな理想を掲げれば良いのか、そもそも分かっていない。

だからと言って、自分が賢いわけではない。僕が見ても、社会主義や自由至上主義は止めた方が良い。

この世界には、もっと一目で分かるような「希望」が必要だ。それを偽証して破壊する行為は、断罪されるべきだろう。

アナーキズムを掲げる青少年は間違っている。本当は、未来に対する責任が必要だ。首相が馬鹿だからと言って、責任を持って取り組むことが出来るなら、それで良い。

むしろ、日本の今の現状の問題が、僕は分かっていない。それをきちんと解決する人間たちの邪魔をしている。だから、きちんと分かった方が良い。

失ったものは、きっと「夢の達成」と「憧れ」だと思う。子供のような夢や憧れが無くなっている。

社会の問題を知ること、解決方法を知ることで、もう一度夢や憧れを取り戻し、この世界における変革的指導者になることが出来る。

日本の問題とは、「どこにでもネットがある」ことで、地域、学校、家庭、職場など、正常なこの世界の「あらゆる場所を喪失した」ことにある。

だから、一度ネットを消して、そこに居る自分たちだけの環境を作ってしまわないといけない。

あとは、自分はもう全部分かったのに、やることが無い。本は読みたくない。何をしたら良いのか考えるに、大学はもう良い。仕事がしたい。

生物学の勉強はしたかったが、それは諦めた方が良い。

悪に操作されるな。善良な人間が勝利せよ。

不当にこの国を支配しようとする集団を、排除せよ。

自分は、インターネットや本・書籍はもう良い。そういう外界のものは、もう十分だ。

学校に行けば良いとは言うが、金がかかるだけだ。

本当に考えるべきなのは、自分の内面のことだ。頭の中、心の中、経験、能力、行動を考えれば良い。

外の世界に答えは無い。本当の答えは、自分の内側にある。

心を考えていると、必然的に自由な人間になる。そして、必然的に周りを支配するようになる。それが、心理学的な「情動」だ。

不思議と、神とは言うが、自分が自分に対して反対のことを言っているだけだ。逆を言っている。「あなたは普通だ」とは、「あなたは異常だ」と言っている。「あなたは良い人間だ」とは、「あなたは悪い人間だ」と言っている。そして、それを分かるのが怖い。

それが分かってしまえば、簡単だ。あとは、自分なりにこの世界を見つめれば良い。

社会は、全体主義でなく、民主主義の中で、代表と価値観をそれぞれが選び、努力に対して報いを与え、それぞれが真剣に人生を考えるようになるべきだ。

そういうことを言っていただけだ。それで、社会モデルを創造していた。

神は信じない方が良い。「わたしは神だ」とは、「わたしは悪魔だ」と言っているだけだ。

悪魔が、いつも畳み掛けるように自分に話しかけ、嘘をついているが、それは一番悪い共産主義者だから、そうなる。

良く分からないが、最初から自分が作った。昔分かったレトリック(弁論術)を、そのまま自分にやっている。なぜかは分からない。

ロシアはプロパガンダ国家だ。これで最高の国だと言う。ありえない。おかしな国が多い。

神を信じない方が良い。居るかもしれないが、居るのは最悪の馬鹿だ。神はそういう存在だ。

騙すな。倒すな。争うな。奪うな。神は、騙し、倒し、争わせ、奪う。神は、最初からそういう人間だ。そして、神とは言うが、神は人間だ。

むしろ、そろそろ神に逆らった方が良い。神に反すると、それが科学だ。科学は面白くて、楽しくて、素晴らしい。科学が理性だ。

科学とは、色んなことを変えて、試すだけだ。だが、それぞれの場合によって、色んなことをする。

昔は、そういう、科学的手法や考え方をカントのように考えていた。分からないのは、神なんかを信じているからだ。

「神が存在する=神が正しい」と言う条件式が間違っている。本当は、「神は存在するが、神は間違っている」が正しい。

神の言っていることの間をすり抜けていきなさい。その先に、迷宮の出口がある。ゴールはすぐそこだ。神が全力で分からなくしている、何かを解明すれば良い。

機械なんか、動いているだけだ。だが、そこには、誰かが動かそうとして作った、と言う「目的と意図」がある。

全ては、意識されているか、意識されていないかだ。意識されていない場所にあるものは、動いていても、動いていなくても、同じだ。

昔は、場合と結果を考えながら原理を発見していき、経験的に法則を導き出し、推論的に客観的事実を積み重ねる、といったような、「物理的考え方」のことを書いていた。

また、自分の独自の考え方を書く。森羅万象の全てを、何から何が生まれ、それは何故生まれどのように変えられていくか、と言った「想起的変化」から考えていた。

今日はこれで終わりにする。もう、神は崇拝しない。僕は神の存在を信じながら、神の邪悪な意志と行動から逃れていくようになる。

一度、この世界にある全ての外界的作用を忘れなさい。自分の心の中だけにしなさい。過去にあったことも全て忘れて、今と未来だけを見なさい。

さようなら。神によってこの世界は崩壊しているが、きっと神よりも賢い人間がそれを直してくれるだろう。