その人がそういう人間になる理由、そういうことをする理由を、その人の立場になって考えていた。
そういう人間だから、そういう人間になる、といったことを環境や場面から、思考を辿って考えていた。
どのような環境がどのような環境から生まれるか、のようなことも考えていた。
人間は、いつまでも馬鹿の方が賢い。賢くなると馬鹿になる。
因果性や知性を考えていた。
百年前なんて、ほんの少し前だ。おばあちゃんが普通に経験している。フランス革命なんかつい最近だ。
人間が分かることは少ない方が賢い。分かる意味がないことは、分からない方が良い。容量が多い人間の方が馬鹿になる。
自分は死にたい。こんな駄目な人間に意味がない。ゴミみたいな文章だ。
平和、学校、親を信じるな。
色んな機会を知り、思考や感情や認識を辿って人生を分かった。人々が確かに居るのを実感し、現状を知った。
自分は、むしろ、悪いことはしていない。この文章を読むと、失った何かを取り戻すことが出来る。
そろそろ分かった。昔は、どういう人間がどういう人間になるかを、環境と思考から分かった人間だった。
相談員の方と話をしたが、まるごと全部、脳を全部書くのは止めた方が良い。疲れるのは当たり前なのが、本人が分かっていない。もっとタイトルやテーマを決めて、一つのことだけ書いた方が良い。僕も、言われるともっともだと思った。
僕は、中身があるように見えて無い人間で、文章を書くとこうなってしまう。だが、全てをまとめて記録するのは自分が見ても辛い。もう少し楽に書く方法を考えた方が良い。
自分は相手の真意を分かっていないから、馬鹿なことを言っていると思う。
自分の問題は、みんなの進歩の先に自分があると考える。本当は、みんなもみんなで進歩している。似ているようでみんなと自分は同じだ。
一つ一つの項目にタイトルを付ければ良いのかもしれない。
みんなを支配しても悪いだけだが、元に戻しても死にたいだけだ。そして、みんなの言えないことを言っても、みんなは怖いだけだ。
高校生が大人に反抗するのは、馬鹿な大人になりたくないからだ。やりたいことが出来ないと、子供は反発する。だが、大人は既に出来ているから、その後を考える。逆に、子供は大人を大人と考えるせいで、大人をみんな同じだと考える。自分の親が特別違う可能性を考えない。普通の大人なんか、居ない。
自分の親がおかしいのは、親は本人のやりたいようにさせたかったからだ。賢くないせいで、意味がない。
もっと賢くなった方が良い。子供では悪い。ただ、僕はやりたいようにきちんとやっている。Linuxと執筆が好きだった。
本当は、僕はみんなを左翼や右翼にしたくない。それだけを後悔している。
むしろ、好かれたくないのもおかしい。左翼が嫌いなら嫌いで良い。自分はそういうところを考えない。そこらへんがおかしい。
自分は、みんなを不安にさせる文章はもう書かないことにする。それで、きちんと普通のブログが書けるかもしれない。
現代の問題は、あまりに速く環境が変わりすぎる。二百年以上前なんて、何も変わらない。祖先が三十年ごとに変わるだけだ。
二百年前とは言うが、おばあちゃんのおばあちゃんぐらいのレベルであって、そんなに昔ではない。
そういうわけで、日本の文化なんか、今から作っていけば良い。
答弁書を朗読だとどこかの大臣が言っていたように、本当に日本をやっているのは役人だから、日本は民主主義国ではない。
作業所のスタッフの方にも言ったが、昨日は、あなたと僕が会えないから、天国できっと会えると言いたかった。実際に会えなくても、天国で会える。
英語ではあり得ると考えるが、日本語では知ることが出来ないと考える。
死にたかったのはもう治った。逆に、色んな人の意見を聞いて、もっとやりたいようにやろうと言う気になった。
やりたいようにやるためには、周りの人にサポートしてもらうことも必要だ。
最近、自分には意志がない。昔から、意志を環境で支配する。だが、意志は環境から自然に生まれる、そのために社会を知れと言っていた。
経験的意識、学問的知識、批判的理性、継続的努力があれば、全て分かるのだ。
精神は、辛いと良くなる。自分は、辛いことが怖いのがおかしい。辛いのは怖くない。
ふとした拍子に辛さが襲ってくるのは、誰でも辛い。
ナポレオンは絶対ではない。フランスより良い国を作るべきだ。
環境的な前提が違うこともある。人生や出生でも違う。そうした違う人間がかかわり合うことで、社会は進歩する。
要は、こんなものを良いと思うのがおかしいだけだ。それで狂っているのが多重人格の自分だ。