今日は、午前中歯医者に行って、今帰ってきた。今から三十分後に昼食をとって午後から作業所に行く。
昔は、労働を成り立たせる社会モデルを作っていた。
経験から普遍的認識が生まれる発展過程を書いていた。
Windowsは、アプリケーションが応答なしになって、落ちることが多いが、Linuxは絶対にアプリケーションが応答なしにならないようにすれば、Windowsに勝てる。
自分は、美しい天使を作りたいだけなのに、屍の女に見えてしまう。魑魅魍魎の世界だ。本当はそんな女は書きたくない。
そして、もう文章も書きたくない。終わりにしたい。全員を導く、絶対的真実の愛をこめて、ありがとう、そして、さようなら。
作業所の良い点は、精神が治ったこと、デザインが出来るようになって自信がついたこと、そして、人と交わることで楽しさが分かったことだ。
僕は長い間、誰とも交わらなかった。孤独さえも感じなくなった。だが、普通の人間が分からなくなった。本当は人間ではないのではないかと思う。
僕は、こう見えて、民主主義の思想が好きだ。社会主義が好きなわけではない。「選挙や金以外の、本当の民主的な社会」と言うものを作りたい。みんなが自由に制度を変えられるようになるとか、参加や独立をしやすくするとか、そういう、「本当に民主的」を考えている。民主的、と言う発想が好きなだけだ。だから、自由な選択肢を国民に委ねるべきだと言っている。宗教の教義すら、国民が自由に変えられるべきだと言っていた。そういう、変化を許して可能性を高める、出来るところを進歩させる、と言う発想が好きだ。だから、本当は自由よりも平等が好きだ。みんなが平等にそれぞれの社会を変えられることが好きだった。
それから、「自由から何が生まれるか」のようなことを書いている。価値観や理想が自由な社会から生まれるとか、そういうことを言う。本当は、文章そのものを書きたかったわけではなく、世界のことを導きたかった。きちんとした自由な社会を築きたかった。そういう、自由な王が自分だが、見るからに平等な指導者だった。
最近、みんなは「多様性の社会」になっているが、それが間違っている。「同じ社会」も間違っている。僕が思うに、一度何らかの形で「本気で頑張る体験」が必要だ。戦争や革命ではなく、みんな、「本気で頑張る体験」をした方が良い。それでみんな、楽になれる。一度本気で頑張ると、誰もが、自分を肯定し、何もしなくても満足していられるようになる。だから、倒したり支配したりするのを目指しても意味がない。本気で頑張れば良い。僕と同じが良いなら、病気になってそれを頑張って治すのが良いだろう。
自分は、「正しい生き方」を考えれば良い。普通、哲学者は正しい生き方を考える。
自分の信じたものを信じて生きなさい。
ブッダの言うように、小さな善行をしていれば、それが積もり積もって、いつかは福徳に満たされているようになる。
出来るだけ、自由な善をしなさい。社会に強制されてするのではなく、自分の意志で、自由に善をしなさい。
自分は、みんなが人間なのが分かっていない。自分が攻撃すれば、みんなは応戦し、自分の身を守る。良いことをするのであっても、みんなはそう簡単に騙されない。
だから、本当は自分が善をしているように見えて、悪をしている。そういう悪をしない方が良い。
本当に、それをそれだと思うことは正しいだろうか?本当の視点で見れば、ほとんどは間違っている。だから、きちんとした人物を信じなければ、何も分からない。
宗教に生きるのは良くない。インターネットの右翼や左翼は分かっていない。ネット右翼は、国民が人間であることを忘れている。人間はそう簡単には騙されない。
騙されるのは良くない。騙されない生き方をするべきだ。
だが、善はするべきだ。そして、賢いことをしたいなら、間違っていることはすぐに止めて、過ちはその場で改めるべきだ。
昔から、僕は正しい生き方らしくものは良く書いていたが、完全に間違っている。昔の馬鹿を正しい生き方と思うと、何も分からなくなる。昔を否定して生きた方が良い。
昔は子供だっただけだ。青春を生きて、自由な自分の人生と考え方を愛しただけだ。悪くは無いが、アナーキストの好戦主義者だった。それが悪い。
全員を信じなさい。
夢に挑戦しなさい。
自分の経験したことから他人を分かりなさい。
分かるか分からないかまだ分かっていないものは、保留にし、分かる時まで大切にとっておきなさい。
気付きなさい。
悪いことを絶対にしないようにしなさい。
自分の出来ることは、出来る限り行いなさい。
作業所と農園に行ってきた。
未知を考えるために、かもしれないと考えよう。
考えるだけでなく、証明しよう。
証明は、計算の逆だ。最初から正しいのが分かっているのが証明で、正しい答えを導き出すのが計算だ。
問題を解くだけでなく、自分で問題を作ろう。
機械は、売られているものを使うだけでなく、自分で作れるようになろう。
社会も、自分の手で変えられるようになろう。
プログラムは、ガワを作って簡単な処理を羅列するだけでも作れる。単純で簡単だ。
難しいのは、自分でビューなどのコントロールを作る部分だが、分かってしまえば簡単だ。
人間は、パソコンで馬鹿になって温暖化で滅びた。
民進党の代表の前原は、昔オープンソースをやっていた自分と良く似ている。自分が王をやりたいだけだ。だから、前原は自分から民進党を破壊するようになる。
自分は、理不尽とか、不条理とか、そういうことを思わないのがおかしい。自分の今をそんなに受け入れようとするが、受け入れられないから一人おかしくなっている。
僕はカミュの名前だけ知っているが、カミュにはこういう不条理なことが多い。カミュは大人だ。
僕は、作家ならシラーとドストエフスキーが好きだ。シラーは第九の詩のオリジナルを書いた人間だ。
みんなをロボットにするよりは、勝手にやってもらう方が良い。
そんなに簡単に分かるのでなく、きちんと分かった方が良い。
新しい数字で新しいことをやろう。
大人というのは、未知が無くなる生き物だ。同じことをし、同じことを分かり、新しいことをしなくなる。新しい感覚と認識を持てば、大人の腐った感情は子供に変わる。
この世界に一人も居ないことは、居ないことを意味しない。未来の世界では普通にたくさん居るかもしれないからだ。昔の時代の人間は、暴力的で、独裁的で、自分勝手だ。
自由は悪い。悪いことを愛している自由は、昔の時代の考え方だ。
飛行機が生まれる前は、空を飛べる人間は一人も居なかった。今では、飛べるのが当たり前だ。天使や妖精は、その理由で居るように見えた。昔はそういう考え方をすることが多かった。環境の変化と当たり前の前提を疑って考える。
最近の日本より、もっと前の日本を分かった方が良い。最近はおかしくなっている。
ネットは古代になるだろう。僕は五十年ぐらい書く。五十年もすればネットは変わる。今からが古代だ。
平安時代の人間も、今が一番新しいと思って生きていた。歴史は相対的な時間の環境だ。
そういうことをユダヤ人が言うせいでキリストが紀元になったが、昔も今も考えることは同じだ。未来になっても、こういう人間が世界を滅ぼし、救うだろう。
ここから先が古代だ。在導時代になる。
むしろ、蟻のような生命なら作れるように見える。巣を作るようにプログラムすれば良い。低レベルな生命ほど、自由や応用性は少ない。パソコンは応用力は高い。
経済は利害関係の対立であり、政治は代表だから、右翼が多い時は右翼になる。それで正常だ。だが、左翼が増えた時は、民主主義ではなくなってしまうから、簡単に代表とは言えなくなる。
経済学者は、出来るだけ自由貿易をすることが望ましいと言うが、それは利益とか国の財政である「得の経済学」から言って正しいのであって、社会のことや全体のことを優先する「損の経済学」から言えば、必ずしも正しいとは言えないのだ。
昔は、帝国と共同体をバランス良く保てと言っていた。それも、悪くは無い。だが、今の僕はむしろ、「自律して動くようにせよ」と言う。それぞれが、生き物のように自立して動けば良い。その時、古代イスラエルのように、それぞれの場所は人間になる。それが、理想の国の地方自治のあり方だ。
Linuxは、本当に安定性だけを重視しているディストリビューションを作れば良い。デスクトップ環境にはMATEを採用する。
普通、コンポーネントは、VBやC#なら継承して作る。C++ならWindowsプログラミングでメッセージループをするか、MFCを使ってOnDrawなどを継承・オーバーライドする。昔の自分は、そこが出来なかった。(関数名はOnViewだったかもしれない。失念した。)
Linuxは、カーネルレベルでの動的メモリ管理のようなものをサポートすると、メモリ管理が楽になるかもしれない。そうでなくても、ライブラリで動的メモリ管理をサポートすれば良い。例えば、Emacsとgeditのテキストの動的なメモリアロケーションを共有出来る。そういうことをするなら、UNIXでなくなっても悪くは無い。
あとは、MicrosoftがわざわざJavaをパクってC#を作ったのは、僕はOSそのものをC#で書きたいからだと思う。.NETの仮想マシンのエンジンは、OSの一部になる。そうすると、安定したOSになる。今すでにやっているかもしれない。最近はC#も高速だ。
なぜか、Javaをパクって.NETを作ったせいで、VB.NETが賢くなった。最近はVBがプログラミング言語の中で最高だ。
ただ、僕が分かっていないのは、プログラミングは本当に簡単だ。ブラウザを作りたいなら、WebKitをライブラリを読んで使う方法を学んだ方が良いだろう。そして、コンポーネントを作りたいなら、その通り継承すれば良い。そこを自分で試さなかったのはおかしい。本当は、Windowsが最初から嫌いだったのだと思う。Windowsでのプログラミングはつまらない。もっときちんと全部作りたいし、ガワの部分ではなくエンジンの部分を作りたいから、僕はLinuxが好きになった。
VBやDelphiの悪い点は、何も考えなくても、ダブルクリックと最低限のコードだけを記述して、動いてしまうことだ。何も考える必要が無い。だが、僕はそれは素晴らしいことだと思う。Linuxにも、そういうものがあった方が良い。簡単にメニューやボタンをドラッグ&ドロップで配置して、プロパティをいじりながら、ダブルクリックでイベント関数を作って、コードエディタに変数とクラスの宣言とフローチャート的な制御構文を適当に(とは言うが、きちんとフォームと連動出来るように)書いて、それをコンパイルして動くようにする。そういうところが、Linuxは遅れている。EclipseはWindowsで使うのが普通だ。Linuxにも、本当にそういうものが無いといけない。
ただ、むしろ、それだけで終わりのIDEはつまらない。たとえば、Webプログラミングも可能にするとか、SQLの管理も可能にするとか、そういう、「Perfect IDE on Linux」を作らないといけない。Linuxだからこそ、たくさんのソフトウェアやライブラリの資産がある。それをふんだんに盛り込みながら、完成されたIDEを作る。Eclipseをもっと発展させて、「UNIXのEclipse」を作っても良い。そういう発想を、Microsoftのように適当に実現出来ないのが、Linuxの問題だ。
自分が分かっていないのは、普通、ITは会社が作るだけだ。MicrosoftがOSを作って、Adobeがグラフィック製品を作り、Oracleが基幹システムを作って、IntelがCPUを作る。それが普通なのが分かっていない。オープンソースは賢くない。そういう、金で全てが決まる世界がつまらない人間が多い。完全に、全て資本主義の金になった。社会のことを何も考えていない。全部、金儲けと「自分たちが得をすること」しか考えていない。だから、自由はその通り、金だから、自由が悪い。そういう風に考えるのが普通だから、金が嫌いなら誰もが自由が嫌いだ。自由の中でもっと別のことをすることを、不自由と言う。自由は儲かる会社にして、国や個人は何もしないだけだ。そもそも、オープンソースなんかあり得ない。普通どうでも良い「自分から無料ソフトを作る賢い人間たち」の集団だ。悪くは無いが、影響力のようなものは、無い。
自分は、そういう、「オープンソースではない、金儲けのIT技術」が分かっていない。むしろ、馬鹿に賢い。確かにReal Playerは馬鹿に見えるが、Adobeなんか本当に業務レベルで使える。自分がおかしいのは、GIMPなどの遊び製品と同じように考えている。そうではなく、Adobeはきちんとプロが商用レベルで使う製品を作っている。だから、馬鹿ではない。MSもOfficeをきちんと作っているが、会社の仕事で使う。だが、MSは馬鹿だ。誰もがWordやExcelが嫌いだから馬鹿に見える。だが、会社で使うせいで、頑張って勉強するしかない。Windowsとはそもそもそういうものだ。
だから、本当は、「Perfect Linux、これだけでビジネスからプロ業務まで、必要なことが全部出来ます」みたいなLinuxを使えば、流行るかもしれない。技術的に賢くても、使えなければ意味がないし、最近はMS製品も技術的に賢くなっているし、Adobeの牙城はいつまでも越えられない。だから、Windowsの金儲けは悪く見えない。Windowsの次バージョンが待ち遠しい人間の方が多い(Windows 10以降は製品リリースバージョンを出さないらしいが)。Linuxのことを知っているだけで、IT業界が分からないのが自分だ。馬鹿になったのは、ほとんどLinuxのせいだ。あんな出来損ないのオープンOSは忘れて、Windowsの金儲けを普通だと思った方が良い。
Linuxも馬鹿なわけではない。Linuxはサーバーに使う。特に、Googleのような巨大システムを独自に自分たちの手で作りたい人間が、ネットワークのデーターセンターのようなシステムに使う。Windowsでは何も出来ない。だが、オープンソースの思想を良いと思ってしまうと、それはもう間違っている。
それこそ、最近はGoogleもYouTubeやAndroidのような無料サービスとオープンソース・ソフトウェアで儲けている。最近は、著作権なんか放棄した方が儲かる。YouTubeで著作権使用料をGoogleが払っているだけではなく、僕は良く知らないが、再生回数に応じて収入が入る。CDを売ったりコンサートをするのより儲かるのではないか?良く分からないが、Googleはあり得ない。僕よりも本気でオープンソースをやっているからだ。最近のITはあり得ないだけだ。昔のWindows 9x時代の商用ソフトウェアが一番賢かった。値段が高いのは当たり前に見えた。オープンソースが全部悪いだけだ。
むしろ、MSも良いわけではない。最近のWindowsは馬鹿すぎる。インターフェースが馬鹿になっただけで、コントロールパネルも馬鹿になっているし、デザインも醜くなっている。GoogleのAndroidが勝つのは当たり前だ。みんな、GoogleのAndroidでロボット化するようにしか見えない。金儲けやITはおかしい。だから、どんどんアメリカに正義が無くなっている。アメリカの技術が正義なわけがない。もっと別の地域が独自に仕事のための技術を作った方が良い。むしろ、日本や中国が何か作るようにしか見えない。
金をキモいとは言うが、それは否定的過ぎる。パソコンが普通に良い機械なのが分かっていない。だから、もっとものごとの良い面やポジティブな面を見た方が良い。
データーセンターや工場を意味がないと言うが、そうではない。そういうところに賢い技術者が多い。中小企業なんか、世界一賢い部品を作っている。
そういうわけで、そういうところに気付かないのがおかしい。無意味に科学やオープンソースを知っているから、こういう全部否定して賢い人間になる。
この世界は良い世界だ。それが分かっていない。
金を最悪と言うが、ソ連の方が最悪だ。最悪のコミュニストになるのはあり得ないのが分かっていない。
むしろ、自分はソ連も良い国なのが分かっていない。目指す理想が逆だ。発展するのではなく、平和で平等な島のようなコミュニティを作りたい。きちんと秩序のある、宇宙人のような良い世界を作りたい。馬鹿には見えるが、ソ連も行き着く先としては普通だ。
それから、日本人を否定しない方が良い。日本はみんな、きちんと考えているだけだ。自分なんか、何も知らずに考えている。皆の方が色んなことが出来るだろう。そういうところが馬鹿なのは、オープンソースのせいだ。
みんなで考えれば良い。みんなでこの世界をどうすれば良いか考えれば分かる。自由にすれば良いだけだからだ。
ただ、そうでもない。最近、みんなで考えても何も分からない。新しい発想が無いだけではなく、ネットの群集の言うことに騙されている。要は、本当に悪い人間がネットを書いている。だから、ネットが悪い。
そういうわけで、ネットを排除した自由な世界が良い。だが、ネットを健全にするためには、それぞれが誰なのかきちんと分かるようにすべきだ。
オープンソースが賢かった。誰もここまで分からない。
ただ、本当はこの世界は金だと思えば分かる。その上で学校の社会だと思えば良い。木材はブラジル、海老はインドネシア、工業製品は中国が作る。それが全部、金で日本に渡ってくる。日本が工場で賢い精密機械にして、金のあるアメリカに売る。そういう世界だから、学校がそういう科目ばかり作っている。
みんなが馬鹿なのは、みんなは賢い発想を賢いと思うせいで、それよりもさらに上の賢い発想が分からない。むしろ、自分が賢いわけではない。自分は文章を書いているだけで、そんなに賢いことは言っていない。
今のところ世界は一つになっているが、僕はこの世界を3つに分ける。
全部同じになるよりも、多様性の方が良い。
まず、一つのことに秀でた人間になりたいなら、そうなりなさい。
次に、たくさんのことを知った人間になりたいなら、そうなりなさい。
最後に、多くの人に対する手助けがしたいなら、そうなりなさい。
仏教では、一つのことに秀でた人間を縁覚、たくさんのことを知った人間を声聞、手助けをしたい人間を菩薩と言う。どれも非常に優れた、聖なる道である。
そして、それぞれが進む道としての人生は、仏になること、すなわち、解脱である。皆、解脱へと向かって歩みなさい。
ただ、仏教はつまらない。もう少し、普通の方が良い。
ユング心理学で言うように、思考型、感情型、感覚型、直感型に分かれても良いだろう。さらにもう一つの軸として、外交的な人間か、内向的な人間か、に分かれる。
みな、仏教とユングによって、多様性のある世界になってほしい。
そして、最後に、行動の自由を分けよう。自分を信じるな。同じになるな。こういう人間の目指す先には、地獄しか待っていない。
立ち止まれ。己の力で世界を見よ。己の足で歩け。己の頭で考えよ。
己で決め、己で考え、己で作り、己で信じよ。そこから、全ては決まってくる。自分だけの世界を受け入れるな。
つまり、欅坂46の言う、「不協和音」だ。そこから、自由が始まる。最初は一面的で、決めつけの世界で良い。学習を繰り返すことから、僕ではない方法で僕を超えられる。
この世界に流されて決めるのではなく、常に確認しながら進みなさい。そして、ロボットになるのではなく、自然に進みなさい。ただ、宇宙に任せる心は大切にして、その場その場でこの宇宙と一体になりなさい。何も分からなくなっているのは、それで治るだろう。
昔は、宇宙のどこかの惑星の歴史のような、ありえない世界を創っていた。仮想世界と言うよりは、「異形の世界」だった。異形のものを創造していた。
この文章は、善の内容ばかりではない。悪も確かに多い。そういう、この言葉の善と悪が何なのか、考えれば分かる。欅坂46が言うように、「この世界には愛しかない」と言うことも出来るだろう。だが、人を欺いたりすることは、悪であると言える。だから、善と悪が何なのか考えていると、人間はこの文章に行き着くのだ。
あとは、単純なモデルのような、「小さな部品」を組み合わせて世界のことを分かっていた。
フランス語をオブジェクト的と言ったりしていた。そういうことを分かりたいなら、一度「分かる知性」を消した方が良い。知性を殺すことで、ありのままにこの世界から事実を発見出来る。そのためには、見るためのフィルターを増やし、聞くための雑音を減らすこと。それが良いだろう。
昔の社会モデルは、政治的集合性のようなものを考えていた。政党は意見を集める手段だとか、国会は自由に何でも言える議論の場だと言ったり、EUをメタ国家と言ったり、地方分権の形としてパソコンのシステムを模してはどうかと言ったりしていた。帝国と共同体を考えたり、「連邦」と言う新しい国家を創ったりした。また、師弟制度のように、「どのように政治的・経済的・人生的社会を成り立たせるかを、今までの資本主義とは違う新しいモデルで考える」と言うことも書いていた。この世界をそのままの可能性で、労働、生産、政治、行政などの側面から、モデルを成り立たせるかのように成り立たせる。そのためには、この世界と社会に対する深くて広い経験が必要だが、それを昔は持っていた。この世界のこと、そして自然と可能性のやり方のことが全部分かっていた。分かっているだけではなく、昔は緻密かつ繊細に考える「頭脳」の能力とそれに伴う「経験」の能力を持っていた。心理学のことは、環境における人間の行動を「動機」から分かっていた。この世界の諸相を全て知っていた。アリストテレスのように、社会の様相と物理学的理性の学問的構築もあった。説明と原理の分かる人間だった。
この文章は、読んでいると壊れる文章だ。そこが一番怖いと思う。人格が壊れる代わり、理性の限界を脱出出来る。世界観で人間を超えられる。
僕がみんなのことを嫌いなのではないか、と心配する必要はない。僕は群衆としての「みんな」は嫌いだが、それぞれ生きている個人としての「あなた」は好きだからだ。あなたが生きていることに対して、僕はあなたがどうであったとしても、常に喜び、常に愛している。歓喜の下に居る。だが、群衆としてのみんなが何もしないことに、僕は怒っている。この世界のみんなは、本当に何もしない。何も分かっていない。そのことに対して、僕は失望し、何も変わらない世界に限界を感じている。だから、僕はこの世界は嫌いなのだ。
これを、正しい愛、true loveと言うなら、きっとそういうものなのだろう。だが、それを「運命の人」と訳す日本人は、まさにおかしいと言う。なぜなら、運命の人とは最初の僕の愛であり、true loveとは今の僕の愛だからだ。
自分は、「言う」のでも、「聞く」のでもなく、「見る」ことが出来れば良いのが分かっていない。
昔は、設計図、共有、公開性、自由参加のような、「オープンソース的にこの世界を見た結果」を分かっていただけであって、あとは意見、返信、システム、自動化のような、「コンピュータの本質」的なことしか分かっていない。そういうことしか言っていないが、それでアメリカやドイツのような地理、歴史、政治、経済を分かっていた。そういうところが賢かった。金銭や宗教を自由にするとか統一するとか、そういうことばかり分かっている。そして、その集大成が、「集合知」と「自由な社会」だった。
オープンソースのような、自由な形態で工場やビジネスを行うことは、おそらく可能だろう。だが、僕は「カンパニー」と言うレベルで、もっと違った会社や労働のあり方を考えることの方が、有益だと思う。カンパニーをオープンにし、カンパニーを自由参加型にし、カンパニーをみんなで作ることは、きっと出来る。僕は、それを「オープン・カンパニーウェア」と言いたいと思う。きっと、良い会社になる。金儲けだけではなく、きっと創造性のある豊かな共有の会社をみんなの意見で作れるはずだ。
オープン・カンパニーウェア、あるいはオープンソース・カンパニーウェアは、みんなのものにしながら自由に共有しながらそれぞれの自由を尊重して、自由を奪わず、ネットで楽しく作ることの出来る、新しい雇用形態だ。誰をも無条件で雇用し、一定の報酬は与えるかもしれないが、自発的な動機から仕事をし、それぞれの個性を尊重した上で、自由な仕事が出来て、みんなでその成果を共有し、楽しい生活を保障する。報酬を与えるのではなく、たとえば日本の相撲部屋のように、食事と住む場所をきちんと与えて、部屋に住むようにしても良いと思う。オープンソース・カンパニーウェアでは、みんなを相撲部屋にする。だが、みんなは自由な活動が出来て、それぞれのしたいことを最大限に発揮出来るのだ。
あとは、環境や記憶のような、「概念的に自分の頭の中に多かったもの」しか言っていない。
感情、感覚、記憶、知、知性、構造、自由、運命、自然、考え方、相対性、抽象性、具体性、カテゴリ、インターネット、共有、それぞれの自由、視点、平和、発展、決まり、人工と自然、中央集権と地方自治、連邦制、時代、それぞれの時代と時代の関係性、実存性、運命的戦争、革命、手段、法則、機会、経緯、実感、モデル、目的と手段、実現性、実践、宇宙、地球、物理、数学、社会学、心理学、環境的要因、命の概念、生命の大切さ、自由の尊さ、それぞれの理想のあり方、存在の在り方、意識の自由自在、人生経験、仲間との共感、正しい協力、正しい人間関係、社会実践、意識の根源、社会の段階、人格の融和、分裂的生命、融和的社会併合、カースト、宗教の在り方、経験的制度、人生、賢さとは何か、定義、意味、定理、学問的構造、説明、時代、主体性、支配、抑圧、たくさんの運命、逃避と引き篭もり、教育、社会的変革性、影響力、創造性など。
そういう、概念的に自分の頭にあったものを書きながら、世界観を創っていた。世界の創造者だった。
あとは、「昔の自分の人生を全部体験する」と言う発想が多かった。むしろ、未来の自分のことを体験することも多かった。
もう、虫が死んだ。
あとは、一度意識を整えた方が良いだろう。意識は虫になっている。ハチの子供だと思えば良い。蜂の巣みたいなものが見える。
あとは、哲学のようなことを概念的に言葉にしていた。
知覚とは何か、知性とは何か、経験とは何か、説明とは何か。そういうところから、絶対的な裏側の世界を分かっていた。
何でも良く分かることが、自分のことを全て残すことになって、完全に世界を導いて、最高の世界になるように世界を変えた。
本当に、話が少しオーバーだが、結構ロマンチストなのが自分だ。
あとは、可能性を書いていた。知性の無い、狂った人間が、この世界の可能性を経緯として全て書く。そういう文章だった。
むしろ、一度浄化した方が良い。この、おかしな魑魅魍魎の世界を浄化する。
C言語はUNIXの開発のために生まれた言語だから、今でもC言語を使っているのはある意味おかしいのがパソコンだ。一度、Rustに変えた方が良い。RustでOSを書けば良い。
昔は、「本来の社会の発展」が分かる人間だった。Linuxとオープンソース、そしてインターネットの体験から、「本来の社会の発展」を分かっていた。
もうそろそろ終わりだ。さようならだけではなく、天国に逝った時に僕と出会えるように、約束をしよう。きっと天国で会える。それじゃ、またね。