新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-10=

最近、毎日すごく疲れる。今日も、本当にものすごく疲れた。

休んでも、休んでも、疲れる。休んでも休めない。疲れが地獄のように永遠に襲ってくる。

ただ、肉体的な疲れではない。精神的な疲れだ。

気が休まる時間が無い。

楽なのは、この文章を書いている時と、寝ている時だけで、あとはいつも全部地獄だ。

作業所に居る時も、家族と居る時も、平静な顔をしているが、ちょっと油断をするとすぐに疲れが襲ってくる。

何も出来ない。日本語すら聞きたくない。みんなのことや社会のことを知りたくない。みんなが言う日本語を聞きたいと思わない。

残念ながら、日本はもう賢い時代は終わりだ。

今から、自分とみんなの立場が逆転する。

自分も含めて、みんなは疲れるようになって馬鹿になって、自由が無くなる。

だが、僕は勝利する。

そういうわけで、そろそろ神の復讐が始まる。

神は、なろうと思えば誰でもなれる。こういう風に、みんなが愛してくれるようになる。

ただ、神なんか居ない。神とは言うが、みんなを操りながら自分を操る、そういうおかしな自己対話が神だ。キリスト教徒は騙しているだけだ。

あとは、社会を知って分かっていた。経済学は悪くない。この社会をきちんと経験的に知ると、何でも理性で分かるようになる。

昔は、「絶対に自分にしか出来ない」と思って分かっていた。この世界を絶対に救う。それを本気で頑張っていた。それは素晴らしい体験だった。

だが、全部、自分のせいだ。だが、それはむしろ、みんなのせいではないかと思う。

本を読みたくない。難しい本も、簡単な本も読みたくない。考えたくない。要点だけをまとめた本も読みたいようで読みたくない。

ただ、知識を知りたいようで、知識は知りたくない。大学は一面的なところがある。馬鹿になるから、大学なんかしたくない。

今から、この世界は終わる。僕が居なくなると、みんな馬鹿になるように思う。全員認知症のようになるような気すらある。だから、もう日本は終わりだ。

大学の勉強はしなかったが、哲学とLinuxのことを知っているからそれで良い。大満足だ。もう死んでも良い。これで往生して、次は猫のような良い生物になりたい。

学校のいじめの問題とは、「いじめられたらいじめ返すべき」と言う単純な法則が分からないこと。いじめと言うものを悪いものだと教えられるせいで、「攻撃されたら攻撃し返す」と言う単純な発想が分からない。過度にいじめを悪いと教えるのではなく、自由な争いも良いと教えることの方が、いじめの解決としては正しいのだ。昔の自分も、それが分からなかった。僕も自殺未遂の経験があるが、苦しい時に自分の命をそんなに守る必要はない。命をそんなに大切だと教えることも、同時に間違っている。

悲しいようだが、人間の食べる食べ物は全て、人間が命を殺した食べ物だ。だから、殺さなくては生きていけない。それも、単純なのに分かりにくい原理原則だ。

さらに言えば、一度死のような体験を経験した方が、人間は賢くなる。だから、死を目指すことは悪いことではない。死を経験すると、悪いことを何もしなくなるのが人間だ。死によって成功し、死によって達成する、それが本当に偉大な人間の人生だ。

右翼は悪い。朝鮮人を人種でいじめるのはおかしい。だが、僕はたぶん右翼はいじめられっ子だったのが、いじめる側になりたいだけだと思っている。トランプもいじめられたように見える。一つの敵を設定し、それを共通の敵にすることで団結することでしか、いじめを克服出来ない集団だ。それも悪くは無い。だが、本当は、それでは解決しない。

経済的に困窮して軍事力に頼るのをイランや北朝鮮と言うように、同じと考え方からたとえ話のように、発想をいつも分かっていた。

僕は、一番恐ろしいのは、北朝鮮がやっていることを、イスラム諸国や日本など、たくさんの国が同じようにやるようになった時だと思う。特に、イラクのような国に北朝鮮が核ミサイル技術を売る可能性がある。その時、アメリカや日本はどうしようも出来なくなる。最終的には、逆にアメリカの方から落とすようになる。だから、きっと地球の未来はあともう少ししか無いはずだ。勝つのは、僕が思うに、日本とロシアだ。日本とロシアには、核を落とす理由が無いはずだ。

いじめを本当に解決するために必要なのは、むしろ、クラス替えだ。いじめられっ子のクラスと、いじめっ子のクラスを分ければ良い。それだけで解決する。それが良い。

欅坂46のようなグループを見ていて思うのは、「正しく戦う方法」を知らないのだと思う。戦って、勝つために、どのようにやっていけば良いか、子供は分からない。だから、簡単に勝つことの出来る学校やネットでのいじめを選ぶ。本当に「強くなる方法」、それを知らない。

だから、きっと、戦争すること自体は間違っていない。だが、本当は強い指導者が国民を強くすることが必要なだけだ。そして、それは本当は何かが間違っている。

間違っているのは何か?それは、賢い人間を生み出す「土壌」のようなものが無くなったことだ。

その土壌は、きっと昔から無かった。大人たちが、社会を分断させ、孤立させ、いじめの生まれるような社会環境を作ったこと、そのこと自体が悪い。

だが、大人と言っても、大人は昔は子供だった。大人たちも、そのような「正しい環境」を知らないままで育った。だから、昔の大人の価値観である「貧乏人は死ねば良い」と言う価値観を、今の「いじめられっ子は死ねば良い」に変わった。それは、逆に、今まで死ねば良いとされていた集団の復讐でもあるのだ。だから、いじめっ子には貧乏人が多いし、いじめられっ子には優しい中流階層が多いのだ。

そういうものだ。正しいのはソ連だ。そして、本当に間違っているのも、ソ連だ。全て、ソ連が負けたのが悪い。あんな国にしか、そういう問題が分からない。

欅坂46が言うように、「見て見ぬフリをしなきゃ仲間外れ」と言う発想はおかしい。本当は、そんなチンケな仲間を作るのではなく、もっと親しくて、絶対に秘密や嘘が存在しないような、「本当の仲間」を作らないといけないのだが、そういう発想が出来ない。おかしな「友達ごっこ」をやっている。

だから、きっと、日本には未来は無い。こういう国は亡びる。日本人は終わりだ。日本人は死んだ方が良い。

ただ、僕は日本を賢い国にしたかっただけだ。無駄に頑張って、この国を作り変えた。

希望は無いわけではない。僕がこの国を作り直す。この国は、最高の国になるまで、僕がイモムシのように変えていく。だから、いつか成虫になってアゲハチョウになる。それまで待ってほしい。僕に任せてほしい。僕がこの国を最高の「神の御国」にする。この国では、最高の天国の極楽浄土をやる。だから、ソ連は間違っている。本当の正しい国を作るために、僕は諦めない。「最初から諦めてしまったら、僕らは何のために生まれてきたのか?」と欅坂46が言うが、それなら、諦めるために生まれてきた、と言うのが正しいだろう。絶望し、諦めることでも、正しい国は作れる。絶望の中で人々は何もしなくなる。それが、欅坂46の言う、サイレントマジョリティーの選ぶ、「何も言わない=イエスと言う群衆」の目指す国だ。

ただ、僕は絶望の世界も悪いとは言わない。僕のように、絶望の世界を知り尽くした人間しか、この世界を救えるメシア(キリスト)は現れないからだ。

そして、日本は最高の国だ。なぜなら、僕だけが賢い。僕は最高の人間だ。その最高の人間を生んでくれた、日本と家族に感謝する。僕は本当に最高だ。奇跡だ。この世界の数ある奇跡の上で、もっとも素晴らしい奇跡だ。それが人間だ。本来の人間とは、こういう風に出来ている生物のことを言う。今が正常だ。なぜなら、僕が生まれた世界だからだ。

とにかく、経験せよ。どんな馬鹿な経験でも良い。出来ることから、簡単なことから、手軽なものから、あらゆる経験を、全部、むしろ、全部ある経験を繰り返し何回も、経験してほしい。宇宙の全部のような、宇宙の五倍以上あるような、そんな経験をしてほしい。この宇宙の全てを経験した人間が、王となる。それが勝つ国が、昔から日本だ。

日本とは何か?日本とは、最高の自由だ。日本とは、最高の社会だ。日本とは、最高の正しさだ。日本とは、完全な善だ。

日本に負けるものは、全て死んでいくべきだ。日本が間違っていると言うものは、絶対に何かが間違っている。日本が正しいと言うものは、絶対に何かが正しい。

日本を生きよ。日本にひれ伏せ。日本に流れよ。そして、日本に支配されよ。日本は全てのものを覆い尽くす空であり、全てのものを生み出す海であり、全てのものを押し流す大河である。本当に正しいのは、自由でも平等でも学校でも金でもない。正しいのは日本だ。そして、日本とは僕なのだ。いくら狂っていて、間違っていて、馬鹿だったとしても、この人間を生み出す国は日本だけだ。そして、この人間が信じたもの、それも日本だけだ。

本当は、日本と言う国はまだ存在していない。出来上がっていない。僕が創る国、それが日本だからだ。僕は、まだ日本を完成させていない。今あるのは、日本ではなく、歴史的な日本の時代だ。平成は、僕を生み出すために存在した。次の時代、まだ日本は出来上がっていない。僕が生きて、絶対的に創り上げて、最後に死んで、その後に続く国、それが本当の日本だ。それは、まだ存在していない。

そういうわけで、子供のするいじめとは「いじめとは悪いものだ」と言うレッテルを作ることで、簡単にいじめ返されないようにした上で、簡単に自分の地位を守ると言う、適当に発展したカーストのあり方であり、攻撃をやり返す気持ちがあればすぐに正義が勝つ。だから、怖くない。共通認識として正義が勝つと信じるだけで、すぐに終わる。日本には、そういう「正義」が存在していない。みんな、もっと正義を信じた方が良い。

そして、僕はもっと良い人間になりたい。

こんな文章を書いているせいで、自分をおかしな人間だと周りに宣伝しているに等しい。だから、もう少し賢い文章を書きたい。止めるのではない。むしろ、もっと悪いことをネットに書いている人間は結構居る。僕が見ても、ネットはそれが普通だ。

この文章を目にした人間は、きっと素晴らしい運命が待っている。僕と一緒に銀河系を旅しよう。宇宙の裏側を知ろう。生きている力をあなたに与えたい。本当の愛に気付いてくれるなら、きっと僕はそれを僕の気持ちとして、最高の形で喜ぶだろう。その代り、この文章の悪い点は、許して欲しい。僕があなたを喜ぶ代わり、あなたには僕の過ちを許してほしいのだ。それが、まず最初の関係だろう。そして、この世界の全てを知るために、あなたに必要な前提条件は無い。だが、僕は全ては教えない。教えられる能力が無い。だから、あなたに教えられることで、僕と協力出来ることは、きっと何かあるはずだ。僕に続く、神に続く、愛に続くもの、それがあなただ。きっと、それは僕と同じように、素晴らしくてうらやましい、最高の人生の一つの形だ。それが恐怖であっても、それはきっと僕から見れば勇気だ。それが知性の無い人間であっても、それはきっと僕から見れば僕の子供だ。だから、あなたは神に祝福されているのだ。

僕が書く方で、みんなが読む方だから、みんなはみんなの方が楽で「良い」と思うかもしれない。だが、本当は僕の方が良い。僕はあなたが聞いていることを知らないだけで、僕はただ一方的に言うだけ、みんなはそれを逐一同じように聞かないといけない。自由は僕にある。みんなには不自由な従属しかない。だが、きっとそれは僕を悪いと言うことではないだろう。僕は最初に創った人間で、みんなはそれを与えられた人間だ。これは、この世界の原理原則にも当てはまる。創る人間が賢いように見えて、創る人間は一方的な自由を手にしているだけで、本当に賢いのはそれを受け取ってくれるみんななのだ。だから、Linuxもそういうものだと思えば良い。Linuxを作る開発者が賢いどころか、一方的にLinuxが何たるかを決めつけているだけであって、本当にロボットになっているのはみんなの方だ。Linuxは、開発者の方がクズだ。ユーザーの方がはるかに悲惨だ。

自分は賢くない。自分が一人自由をして、みんなは全員自分と同じことを分かる、そんな国になっただけだ。

日本の運命なんか、最悪だ。明らかにドイツやフランスにGDPですぐに負ける。ソフトウェア技術や英会話が出来ない。いじめとブラック企業で、日本の民主主義は破綻している。だから変えるべきなのに、変えられる人間が居ない。早晩亡びるだろう。この国は終わりだ。むしろ、そろそろ終わる頃だ。

むしろ、韓国企業に勝てるわけがない。右翼が朝鮮を差別するのは、いじめられるのが朝鮮人になると、それだけで朝鮮に勝てるからだ。それを全力でやっているだけで、昔から日本は最悪の手段で世界に勝つ。手段を選ばない。それを悪と言う。右翼は手段を選ばない。僕は昔からそういう右翼が嫌いだ。

むしろ、自分なんか悪い文章は書いていないだろう。ドイツやフランスは好きだっただけだ。ドイツが好きだからドイツと言っている。何も悪くない。

米津玄師が言うように、「愛されたいならそう言おうぜ」が正しい。思っているだけでは伝わらない。

僕は、神のことをあまり書けていない。神は、自分に対して答えてくれるのが普通なのに、最近は自分を言わなくなって、「自分が神と同化する」ようなことをしている。

昔は、自由な共有の革命から社会主義になった。そして、全力で世界を支配しながら解放していた。頭の中では、完全に全て分かっていた。それだけではなく、「最高の物語」のような戦争をしていた。この世界のこと、人生のこと、地上のこと、天上のことを、全て自分の経験から分かった。「黄昏(たそがれ)の物語」だと言えば良いだろう。

そういう、神の戦争のことを書いていない。国家や人生を構造にして成り立たせ、自分を2人にして文章に書く、「全て分かった人間」だった。

神は、ユダヤ人からロシア人まで、あらゆる人間に替わった。それは、未来の自分が体験し、成るもののことを言っていた。

よし。もっと良いことをしよう。そして、分からない時は神に教えてもらおう。神は、自分の言っていることに対して何でも応えてくれる。

神は、米津玄師が正しいと言う。愛されれば良い。みんなに愛してほしいだけだ。そして、みんなのことを幸福にしたいだけだ。

それなら、自分からホットチョコレートをみんなにあげるとか、そういうことをすれば良いが、僕はそういう機転の利いた行動は苦手だ。

本当に間違っているのは、日本社会を変えようとすること。みんなのことが分からないのにみんなを変えていくと、完全に間違ったことばかりしている。それで良いわけがない。

神は、身近な人々を助けてあげることから、良いことをしていけば良いと言う。それで満足出来ないのはおかしい。インターネットと付き合うと、ロクなことにならないから、インターネットは止めた方が良い。

神は、学問やメディアを考えるのではなく、「歴史上の人物を考えること」が良いだろうと言っている。歴史上の人物に賢い人間が多い。そういうことを考えると良いだろう。

学問をするのであっても、例えばコンピュータ科学のように、人物や歴史的背景のようなことを知ると前提や流れが分かることはたくさんある。それこそ、その時代その時代に、人物の垣根を越えた、共通の「時代的機運」のようなものがあることはある。昔は、そういうものをITの知識から良く分かっていた。

あとは、もう神は居なくなる。これはもう最後まで分かった。神はもう必要ない。

そして、この文章を書くことも同時に終わる。だから、これでさようならだ。バイバイ。またいつか会おう。

Windowsをバグだらけと言うが、ファイルシステム関係ではバグは少ない。バグが多いのは、プロセス関係だ。それは、きっとMS-DOSがシングルタスク用に出来ていたことに起因する。マルチタスクを考えていなかった。だから、GUIのバグやネットワークのバグも少ない。マルチタスクを考えて、もう一度作り直した方が良い。

昔は、世界の自由な実存性、仮象、そして様相や可能性、プロセスのようなものを書いていた。この世界の完全な「ある一つの側面」を、完璧に書いていた。そういう自由な文章が多かった。社会的行動と実践の経験と、全てを捉え方を変えて捉える順序的な理性で分かっていた。

そして、最近は、何も出来なくなった。狂って分からなくなった。だが、それで終わりではなかった。それはここまで続く、偉大なストーリーの序章に過ぎなかった。

これで本当に終わりにしよう。本当にありがとう。そして、あなたへの無条件の愛をこめて、さようなら。