新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-07=

昔は、ネットを見て行動し、出来るようになり、成長し、真理に目覚めていく過程を書いていた。

昔の人生が、もう思い出せる。

人々のことを、包括的に知った。包括的に成長することで、全員を自分の体験から分かった。

メタ的に、作るためのものを作ると考えた。環境、方法、手段、システムを作ると考えた。

学校の問題は、子供たちに普通出来るわけがないことをやらせていることだ。普通出来ることだけをさせれば良い。

問題を解決するだけで、全て出来るようになった。

作業所のスタッフの方からのアドバイスもあって、自分の独自の発想や個性を大切にしようと思った。

昔は、テレビと戦っていた。戦いと言うよりは、一方的な恋愛だった。テレビが僕を殺しても、僕は愛している。

ただ、僕はもう少し誠実な人間になりたい。他人を馬鹿にしたりふざけたりすることが無いようにしたい。

パソコンの関数は、何度も実行出来る。引数によって万能になり、返り値によって式になる。

関数は引数による自動の実行処理であり、引数が変わると処理する内容が変わる。

引数はその場その場で変えられるが、オブジェクト指向ならデータをオブジェクトにすることも出来る。

あなたがどんな人間でも、あなたは僕に愛されている。

時に、専門レベルより素人レベルの方が分かることはある。

他人を信じることでしか、人間は賢くなれない。

応用的に考えていけば、人間は何でも分かる。基本的には、状態と状況を考えれば良い。

命題を作って、実現を実証し、パターンを知り尽くして、未知を経験すれば、子供のように思考出来るようになるだろう。理由と目的を考えれば、青少年の青春と同じだ。

僕は、進化論は間違っていないと思う。だが、進化は突然変異ではなく、親の人生を総合して、親の記憶が何らかの形で子に受け継がれると考えるべきだと思う。優れた人生によって、生物は進化する。そして、動物は、植物が考えて生み出した。植物は、生物全体を考える部分であり、今の生命を作り出したのは植物だ。

今日は、スタッフの方に「個性はあるのだが、万人に理解されることは難しいかもしれない」と言うことを言っていただいたのだが、僕はそうかもしれないと思う一方で、「本当に理解し合えれば、誰でも同じように共通理解を得ることも出来る」と言うことを昔考えていた。素直に正直に理解し合えれば、きっと分かり合うことが出来る。社会の争いも、理解し合うことで、解決出来ることがあるかもしれない、と僕は思う。

パソコンのくだらない発想として、ファイルの中にディレクトリを作る「ファイルディレクトリ」と言うものを作れば、コピーが速くなったりするような気がする。ファイルディレクトリの中の必要な下位ファイルだけをコピーすれば良い。それならコピーが速くなる。

昔は、「意識の全て」のような文章を書いていた。

この世界の意識を全て書いて、世界を自由な多様性のある正しい環境にする。

そういう、意識が、まだ生きている。

意識は、ものを適切に分かっている。宇宙から木まで、何でも分かる。それは、最近ではなく、昔の「意識環境論」によって分かっている。

たとえば、「意識は、環境、それぞれの関係性、決定と基盤から、多様性のある自由になる」と言った風な文章を書いていた。

そういうわけで、この世界の意識を今からきちんと変えると楽になる。

ただし、僕の意識は、「死にたいだけ」の昔と「殺戮」の今になっている。

それになれば治る。だが、それでは悪い。この世界の意識を変えるなら、自由より、正常な秩序のある世界にした方が良い。

しかしながら、と言う言葉や、なぜなら、と言う言葉を使って、この世界の全てを断言的に、意識の深層を掴んで書いていた。

ホームページは、サブページを作った。悪くは無いが、更新が大変になるかもしれない。

昔作った多様性の意識の中で、モデルがまだ生きている。その構造を消した方が良い。

周りにある意識は、全部おかしい。それらを消すしかない。