作業所に行って、今帰ってきた。今日は、ピアノ教室に行く。
作業所では、カレーパーティのポスターを作っている。作業所で、みんなでカレーを作る。
自分でも、デザインのスキルが、少しずつ上がってきたのを実感している。
昔は、自由な人生学のようなものを作っていた。世界の人々のそれぞれの視点に立って、自由な人生がどのように変転していくかを考える。
環境を人間にして、どのような人生をいつどのように送っていくのかを、辿っていく、と言うものだ。
自分の人生を参考にしながら、自由から人生を作る。人生だけではなく、社会や科学など、全てを「自由の生起」から考えて、全てを創造していた。
自分は、野獣になった上で人間を頑張るのが辛い。
昔から、自分は心が野獣になっている。荒れ狂った野獣のままで、頭で頑張ってまともな人間をやっている。
野獣をひた隠しにしている。何とかなるように、抑えているのだ。
その、抑えた野獣を明るみにして、動物や人間よりも高い生命になれば、もう楽になるだろう。
自由は、説明するのが難しいが、「その自由から自由意志で、どのように行動していくか、世界を変えていくか」と言う視点で、一つの人生を創造する。
世界を知っていくプロセスや、社会を変えていくプロセスのようなものを、設計図のように、ただ文章に、全貌を書いていたのだ。
ピアノに行ってきた。
ピアノは、鍵盤の下までしっかりと弾くと、失敗を減らせることが分かった。
昔から、自分は普通の人間と違う。みんなと違う。
だから、普通の人間と、自分を比較して分かっていた。「普通と自分を比較する」ことで分かっていた。
今考えると、きちんと普通に説明すれば分かるのが分かっていない。
いつも、自分のことを説明出来なくて、浮いてしまい、孤立するような、そんな寂しい人間だった。
顔は、バンプの藤くんに似ていた。あるいは、欅坂46のてちに似ている。
Perfumeのメンバーは、三人とも僕に似ている。それから、セカオワのfukaseに似ている。
自分は、出来ない人間が賢くて、分からない人間が賢いのが分かっていない。
出来る人間、分かる人間が馬鹿なのが分かっていない。
子供が賢いのは、出来なくて、分からないからだ。それが、高校で分かるようになって、大学で出来るようになる。
ただ、それで馬鹿になる。
出来ない人間、分からない人間を目指すと、賢くなる。昔は、そういう風に賢くなった、子供の哲学者だった。
ソフトウェアは、オープンソースでないと、絶対にバグが入り込む。
Windows Meなどがそうだった。
インターネットを見ていても、バグのあるサイトは、会社が独自に作ったシステムであることが多い。
僕は、そのうち、ソフトウェアはオープンソースではないと使えない時代が来ると思う。
むしろ、自覚が無いだけで、今、すでに来ていると思う。
ソフトウェアは、オープンソースでないと使えない。
昔は、社会の形態のようなものを作って考えていた。この世界の形態を、「具体例」と「実感」から考えて、「モデル」と「何かの作用に対する結果」にしていた。
影響力と支配決定から、社会の形態を「レベル的」に考えていた。
この前、作業所で指導員の方から、写真の切り抜きが上手いと言われた。「専門学校で高い授業料を払って出来るようになるベジェ曲線の引き方をきちんと出来ている」と言われた。僕は、結構きちんと出来ている。だから、自信に思って良い。
ただ、わけもなく、悲しいところがある。僕は馬鹿だから仕方ない。
本当にするべきなのは、「言うこと、考えること、することの全てをその時その時疑うこと」だ。
昔から、僕は言うことやすることの全てを事前に疑う。そのせいで、賢い人間だった。
普通の人間になっても、何も賢くない。賢い人間にはそういう人間が多い。
日本について言えば、日本は昔から良く最後まで到達する国だ。江戸時代、明治維新、大東亜共栄圏、経済成長など、いつでも最後まで到達している。そういう文明圏だ。
日本だけが、本当に賢いのは、さまざまな文化が(日本語のように)入り乱れながら、交流するだけではなく、それらだけが孤立し、一つの地域が成熟するまで外国の攻撃にさらされず、自由な文明地域として独立しているからだ。
言ってしまえば、学校の中に居る子供たちのようなものだ。大人たちは無意味なことに翻弄されて何も分からない。子供たちは孤立した環境に居るために、さまざまな文化が入ってきては、子供たちだけの間で成熟するまでそれは進歩する。
だが、日本の問題は、世界と違うだけではない。それぞれが、みんな同じなのだ。みんな同じだから、「共通認識」が生まれやすいのだ。
そして、世界から孤立した日本では、ありえない文化が栄える。それが、現代の日本では、オタクのようなサブカルチャーとして、進歩している。
だが、右翼になれるのなら、きっと左翼にもなれる。
大東亜共栄圏は、EUを先んじて日本的に行うはずだった。いつも、日本はアメリカに負けるが、アメリカは本当に、良く似ているところがある。
だが、本当に日本的なのは、イスラエルだろう。
日本的な考え方の優れた点は、日本は「良い環境」を作ろうとする。何かをする前提として、そのための優れた良い環境を作ることを重視する。
アメリカ人などの欧米人は、それぞれが自分のやり方をしようとするために、全体として共有される良い環境を作ろうとしない。
そこが顕著に現れているのは、オープンソース・プロジェクトだ。GNOMEやKDEはそれぞれのやり方を堅持し、みんなで一つの開かれた環境を作ろうとしない。特に、GNOMEはそれぞれのプロジェクトの設立を決めるだけで、それぞれが好き勝手に活動している。逆に、KDEはみんなを統一する。どちらも、白人の典型的なプロジェクト管理だ。悪くは無いのだが、日本的ではない。日本なら、オープンにするだけではなく、一人の指導者への協力として、全員を平等にした上で、人間単位での活動を自由にするだろう。それぞれのやり方を主張する欧米のやり方とは、真逆だ。
テレビを見て思ったのは、トランプの保護主義は一見、労働者の雇用を守るように見えるが、実際は会社の競争力が低まり、コストを削減するために社員を解雇する。そういうわけで、トランプの政策はもう破綻した。もう、トランプは崩壊だ。
北朝鮮の問題もあるが、ロシアの言っていることが正しい。このような状況で制裁や圧力をいくらしても、北朝鮮は逆にますます核兵器を開発するしか無くなるだけだ。北朝鮮は草を食ってでも核ミサイルを開発しようとするだろう。今必要なのは、「スパルタ教育」ではなく、「溺愛教育」だ。「あなたたちが核兵器を開発しても、何も良いことは無いよ。でも、止めてくれるなら、こんなに良いことがあるよ。」と言う、「アメを与える政策」をしないといけないのかもしれない。
トランプは、僕は間違っていないと思う。なぜなら、自由貿易を進めても、同じようにコストを削減して社員をリストラする。日本にはブラック企業が多い。だが、それをそのまま中国人からアメリカ人の雇用に置き換えたとしても、アメリカ人の分だけそのまま人件費が上がってしまう。その分を解消するために、会社は必要のないアメリカ人を解雇する。そうなるのは当たり前だ。自由貿易、と言うシステムが、自由主義であれ、保護主義であれ、どちらに転んでも同じ結果を生み出している。本当に必要なのは何だろうか?経済学に頼らずに、会社の実力で金儲けを促進するようなシステムがあれば良い。だが、本当はフロンティアが無いことによる、世界経済の低迷に起因しているのだ。
受け入れがたいかもしれないが、北朝鮮は何かのご褒美で釣るしかない。「アラスカの領土を与えるから核兵器の開発を止めてくれ」と言えば良い。それならきっと止めるだろう。
良く考えると、それが出来る一番良い位置に居るのが、中国とロシアだ。「石油や鉄鉱石は我々が与えてあげる。その代り、核ミサイルの開発を止めなさい。」とロシアが言えば良い。素直に従うだろう。それをするべきだと、安倍は言うべきだ。