新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-01=

昔は、世界の全てを自分の目で見て知っていた。

最近は、究極の事実を知った。神のような絶対事実を知っていた。

民主主義の問題とは、紆余曲折を経た上で、最後に経済発展をしている。

そこが間違っている。普通、最初に経済発展をして、最後に平等分配をする。それを、計画経済と言うのが普通だ。

普通、そこまで含めて、計画経済だ。

だから、左翼は間違っていない。

むしろ、計画経済はおかしくない。全部金にして、金しか考えないのはおかしい。普通、きちんと計画経済で経済発展をやるのが大人だ。

なんだか、今日はとても疲れた。

昔は、この世界のことを全部否定して、自由になって分かっていた。

世界のことを、全て把握し、事前に知性で捉えて分かっていた。今考えると、何も分かっていなかった。

昔から、自分はみんなと違う。少し前に、何がみんなと違うのかが分かった。

自分だけ、信じない。昔から、自分はそういうところが違う。否定して、信じない。平和を疑い、世界を嫌う。そういう人間だった。

作業所のスタッフの方が言うように、書くこと以外何も頑張っていない、と言うのは言い過ぎだった。

デザインや軽作業のことや、他の農作業や英会話教室のようなことまで、僕は結構色んなことを頑張っている。

そんなに自分に厳しいのは良いが、それでやるべきことを否定しても意味がない。目の前にあることを頑張るしかない。

時間は無いわけではない。もっと色んなことがやりたいなら、時間のある時にやれば良い。それをしない、出来ないのを言いたいのかもしれない。

教えられ、従うだけではなく、自分から自由に変えていくこと。

自分の手で理性を使っていくためには、社会のことを強く、そして自分らしく知っていかないといけない。

良い人生とは、神の決めた未来の地獄から逃げ惑うことであって、逆にその逃げ惑うことから、栄光ある素晴らしい人生が創造される。

僕は、誰かからのいじめから逃げ惑っているだけで、本当に良い人生になった。だから、恐怖や不安は大きい方が良い。

あとは、物理学のようなことを言っていた。量子力学、原子、次元、エネルギー、ニュートン力学、感覚・感情の作用、数学的正しさなど。

自分は、色んなことを頑張っていた。苦しみから逃れながら、不安と戦い、自由に戦っていた。

あなたが言いたいことを僕は認める。

あなたがやりたいことを僕は応援する。

あなたが自由になりたいなら、僕はあなたを自由にする。

あなたが王になりたいなら、僕はあなたを王にする。

代わりに、僕は地上で一番高い皇帝となる。

ただし、皇帝の人生はこれで終わりだ。

僕とあなたは、生まれ変わって恋人になる。天国で、僕とあなたは自由な夢を見るのだ。

聖職者や哲学者にはならなくて良い。賢いことや普通のことが分からなくなる。

社会の全てのことを経験など、しなくて良い。そんなに一つのことを取り組まなくて良い。そんな人間は賢くない。

神は、あなたの人生もきちんと創造している。あなたは、あなたらしく生きれば良い。

昔は子供だったから、自由を本当に良いと思っていた。支配せず、全員が自由なままで、自由で協力して社会を作り上げるのが理想だと思っていた。

理想だと思うだけではなく、具体的な例を色々と考えた。

全員が自由であることを前提に、ネットを使うとか、流動的にするとか、パソコンのような共有・再利用型の業務委託社会を作るとか、そういうことを考えていた。

それを、社会モデルと言っていた。

宇宙の中では、人間は地球の中で生まれた「知覚と意図」が全てだ。人間は、知覚以上のことは分からない。本当のことは、人間である限り分からない。だが、それを意図して実現すること、実行することは出来る。そして、経験から学習し、習慣から思い込むことしか出来ない。ただし、人間には「脳」と言う素晴らしいツールがある。脳を上手く使うことで、「限界があるのだと自覚して生きること」は出来る。

また、Androidのように、人間を人間以上に拡張して生きることは出来るだろう。だが、僕は人間を機械にすることには賛成しない。機械より以前の人間に戻れないし、その方がたくさんの制限や限界が付きまとうようになるからだ。そのような、「近代化による束縛」と「近代化を元の世界に戻せないこと」は、今からの人類にとって大きな課題となるだろう。温暖化や異常気象を含めてしまうと、最も大きな課題となるかもしれない。異常気象は、洪水で人々を溺死させ、町を破壊する。また、野菜が取れなくなると、人々は飢餓に陥る。

進化論は間違っていない。生物は生物から生まれた。最初は、蜘蛛の糸を作る蜘蛛のように、生命を作るだけの生命が居たと考えるのが自然だ。だが、僕が思うに、遺伝するのは遺伝子だけではない。あらゆる生命活動が、次の世代の生命に受け継がれていく、と考えるのが自然だからだ。人間の知性はほとんど遺伝する、と言うデータもある。後天的に知性が衰えた場合は、元の賢い知性ではなく、後の衰えた知性が遺伝する、と考えることも出来るが、本当は若い人間と年衰えた人間の間に、遺伝子的な差は存在しない。全ては遺伝する。自由とは言うが、自由とはかりそめの姿だ。

言語的に考えて、理想は、ドイツ語、フランス語、日本語、を話すことであり、出来ればロシア語も話されると良いだろう。文法的に考えて、それが一番多様性がある。

狂った方が良い。自ら死ぬよりは狂った方がマシだ。人間は、狂うと、人生や自然のことを情景的、根源的に感じられるようになる。狂った方が、ありのままの世界を感じられる。自分の実体験から宇宙の正常が分かるようになる。病気は狂うと治る。治すよりも、人間は狂った方が良い。

僕は、プログラミング言語は、場合や状況によって演算子や記号の意味を変えるようにすると、日本語に近くなるかもしれないと思った。また、関数へ引数を送ったりする時に、引数名を指定するとHTMLのような分かりやすい言語になる。それも、コロンやイコールを使うのではなく、中カッコなどを使うことが出来る。TeXのように出来るかもしれない。func x{1} y{2} z{3}のように実行する。

狂うと、もうすぐに治る。こういう馬鹿は、狂って終わりだ。狂うと楽になる。

昔の自分は、「分かっている自分を前提として全てを書く文章」のような文章を書いていた。

ありのまま自分らしく生きられること、思うがままにやりたいように出来ることなどを、自由な社会の理想を作りながら、書いていた。本当に自由だった。

昔は、ネットで、パソコン関係の人々、知識、などを良く分かっていた。特に、プログラマの人のブログや記事を読んだり、言語関係、ツール関係の知識を知っていた。

それで、きちんとこの世界が全員全部分かった。

最近、そういうことをしていない。なぜか、もう終わった人間になっている。昔きちんとそういうことをしていたせいで、最近再度そういうことをしなくなった。

Rubyの本を見ても、つまらない。むしろ、Rubyの本なんか読めない人間が多いのは明らかだ。最近、そういう、何も分かっていない馬鹿を見たくない。自分だけで分かるからだ。

姉がプログラマ、と言うこともあって、姉に教われば良いような気がする。

あまり意味がないが、僕本人が、典型的なそういう何も読めない、出来ない馬鹿だった。Qiitaでロボットらしきもののコードが批判されるのも、当然だから、仕方ない。

僕は、もっと本を読めば良い。むしろ、大人になると読める人間が多い。哲学や歴史なんか、しなくて良い。仕事に繋がることをした方が良い。

ただ、僕は今のところ何も始まっていない。デザインが出来たせいで、出来ないわけではないのが分かった。だが、プログラミングは狂っておかしく知性が減るだけだと、経験的に僕は思ってしまう。だから、もっと賢い大学のような学問をやれば良いが、パソコン以外の学問なんか、賢くない。興味がわかない。

ただし、デザインは良い勉強になった。だから、次のことは、全く違うことをやれば良い。全く未経験のことをやると良いかもしれない。

昔は、自分の今までの経験を再利用して、具体例から原理を分かると言っていたが、それはパソコンだけだ。パソコンで狂う人間だけが、そういう、数学から経済学まで、全部パソコンの応用で分かる人間になる。パソコンは賢い。特に、ネットの馬鹿を見ていると、哲学や歴史が出来る。パソコンは、理系も文系も全部出来る、万能人学校だ。

パソコンは、やっていると物理学、心理学、社会学を自分の行動から出来るようになる。そういう科学を作って、心などを解明し、独自の数学を実証するようになる。

ただ、それが本当にあとで辛いことになる。狂った戦いをするようになる。

僕は、そういうわけで、もうそんなことはこりごりだ。うんざりだ。勘弁してほしい。だから、小説家や哲学者になった。自分独りで考えて、自分独りで勉強するのが好きになった。だからと言って、昔以上のことは何も知らないし、昔以上のことは何も考えていない。全部、14~18歳に考えたことだけで成り立っている。それが、僕だ。今の僕の年齢は29歳だ。もう、10年以上進歩していない。だから、本当はもっと進歩したいだけで、それが出来なくなって進歩している。大人なんか、「少しずつ死んでいく」だけだ。

僕の青春はパソコンとともにあった。楽しいLinuxerだった。