作業所と農園に行ってきた。
自分一人だけで世界の全部なんか分からない方が良い。それは、決して賢い人間ではない。
みんなと一緒に居れば、すぐに賢くなる。だから、自分だけを見ていると、そのせいで自分だけ分かっていない。
「賢い人間」は止めた方が良い。思いやりのある、優しい人間になった方が良い。
以下は、ケータイにメモした内容である。
その場合がそうなるなら、別の場合もそうなると考えれば、推論的に具体性を知れる。
いつの場合もそうであれば、それは一つの原理であると考えれば、発見出来る。
それが数学だ。
他人に分かってもらうだけでなく、他人のことを分かってあげようとすれば、理性的な大人になれる。
自分が日本語が分からないのは、話の前後関係が分かっていない。
昔は、夢の世界のようなあり得ない世界を書いていた。ロシアのような国を作っていた。
基礎の考え方を全て書いていた。何かを考える前提を書いていた。
この文章を見てくれる人が増えたので、まともな人間にならないといけないなあと切に思う。
人間は、ロックのように経験的な学習と成長を考えれば、誰でも分かる。
昔は、世界が栄えるように導いていた。再度、世界を導きたい。全ての導きのような文章を書いていた。ただ、それは偽りの自由だった。
嘘で固めた愛を、もう一度作り直そう。今度は一人だけでなく、全員を自由にしよう。
一人だけで完璧に全員を自由にして去って行くのは終わりだ。
自分は、馬鹿のままで良いのが分かっていない。馬鹿のままは賢い。
経験の先に行き着くのは、全てのものが相対的かつ絶対的な愛だと知る、絶対愛の境地だ。
その決まりや関係が社会や環境に対して与える影響を考えること。そして、その関係がどのように、何故生まれたのかを考えれば、全てはすっきりと理解出来る。制度を変えることは、愛を作り出す。可能性は世界に対しての記憶である。
もっと、思いやりや愛のある、素晴らしい文章を書きたい。賢い文章やカッコいい文章も悪くはない。だが、人を馬鹿にするような文章は嫌いだ。
そんなに気になるのがおかしい。色んなことを無視出来るようになると、まともになる。
自分から負ける優しさと絶対に諦めない心があれば、どんな強い敵だろうと、自分の味方にして勝つことが出来る。
今から10月のカレンダーを作る。ハロウィンのようにするために、数字をロウソクに見立てようかと思う。
平和は、変化によってのみ生まれる。
周りが動いているように見えて、本当はあなたが動いている。
自由を保障することによってのみ、世界は強くなる。自由を守らなければ、世界は良くならない。
賢くなくても良いから、もっと思いやりのある人間になりたいと思う。良い人間は賢い。
ケータイのメモはここまで。
否定して疑うのではなく、肯定して信じることの必要性は、自分が一番分かっている。
その時そう出来るであろう可能性を把握することで、世界の全ては自分の心の中で出来るようになる。
自分の価値を示した上で、信頼する心を持てば、きっと誰とでも仲良くなれるだろう。嫌われるからと言って、相手のことを嫌ってしまえば、それは同じだ。
人々が出来ている以上に出来ることをするのは難しい。理性の限界とは、人々を吸収することであり、その到達点は、全員を理解し、全ての人々の知を自分のことのように知って、宇宙の全てを実感することである。
だが、自分の病気を治すことから、誰にも分からないことを分かることは、僕の経験から言って、可能だ。諦めないで治し続ければ、本当にいつか全て治る。そういう経験が出来た人間に、分からないことは存在しない。病気を治すことが一番難しく、理論を立てることが一番簡単だからだ。
信じ続けること、諦めないことによって、どのようにすれば未知を発見出来、どのようにすれば嘘も吸収して正しく疑うことが出来るかが分かる。それは、文章を書くだけではなく、自然科学、経済学、哲学、情報工学のような分野においても言える。特に経済学的な未知を発見するために、あらゆることをゼロから考えて、未知をどのように成り立たせて提案し、作り上げ、悪く言えばでっちあげることが出来るか、と言うことが分かる。神は、そうした人間のサポートをする存在であり、ほとんどはそれだけの存在だ。
関係を成り立たせること、嘘の本当を正しさとして知ることだけからでも、人間はほとんどのことを理解出来る。あとは、論理と構造を組み立てることを学ぶことだ。
何も分からない人間にとっては、ランダムに思いついたものを書くしかない。だが、ランダムのように見えても、そこにあるテーマは記憶のどこかで分かったことしか起きない。だから、記憶と意識を分かりながら、思いついたものから適切に書いていけば、人間は全部のピースを分かって不可能を分かることが出来る。それが、宇宙の中での神の数学だ。
インターネットは、上手く使えば哲学的・社会的思考のガイドとなってくれる。この世界の全員を知りたいなら、自分で作った自分のかりそめの「像」を知ること。世界に映った自分の姿を知ることで、人間は仮想世界を自分の中に創ることが出来る。だが、分かっているように見えて、そうした人間は自分のことしか分かっていない。作ったものは全部自分だったはずだ。だから、そういう人間が、自分の将来の夢や希望を持つことが出来る。世界に対しても、諦めない希望を持つことが出来る。
欅坂46が言っているように、最初から諦めてしまったら、僕らは何のために生まれたのか、と言うことになる。夢を諦めるな。どんなに馬鹿馬鹿しい夢であっても、最初から何もしない人生を生きること以上に馬鹿馬鹿しいことは無い。最近は、良い世界になった分だけ、何もしなくて良い世界になっている。だから、一つ、おかしな虚像であったとしても、その虚像を信じて生きた方が良い。僕はLinuxの開発がしたかったが、きっとこの世にそれ以上馬鹿な夢は無いはずだ。あなたの夢を、本気で信じてほしい。僕は、きちんとそのまま詩集を出版出来るぐらいの人間になった。だから、きっと作曲家になりたいなら、僕よりももっと偉大な人間にきっとなるだろう。
昨日、YouTubeで久石譲さん(ジブリの作曲家)のコンサートの模様を見たが、本当にカッコいい。日本の中で一番賢い。言ってしまうと、日本の中の神だ。素晴らしい人間だと思う。YouTubeでは、国民栄誉賞を与えようと言うコメントもあった。
賢い人間が悪いのは、今の日本の時代にも言える。みんな、賢くなった代わり、あまりに悪い人間になった。一度、馬鹿になって後悔し、反省すれば良い人間になる。みんな、賢い人間を目指すせいであまりに馬鹿になっている。みんなは、弱く、賢いのではなく、もっと強い人間にならないといけない。正しい教えを知ってその通りに生きるのではなく、自分の道と目標を信じて強く生きないといけない。強く、自由に、社会の実像を自分の目で見て生きないといけない。そのためには、社会は良くするよりも、むしろ悪くしていかなければならないだろう。本当の意味で良くする、と言うことは、愛すること、解決することの逆であることもある。神が全てを支配して解決するよりも、神に自分の言いたいことを聞いてほしいものだ。そして、納得の行く説明をしてもらって、強く生きるための正しい居場所が欲しい。荒くれた世界でも、自分の思うがままに生きられる「自由な海」が欲しい。それは、インターネットでは無いはずだ。
自由な海を作るためにインターネットを変えるとしたら、もっと真実をありのままに言う人間たちのコミュニティを作るべきだ。そして、公開された中で正しい議論をすること。昔の「古代インターネット」は、最初だったから、自然にそういうやり取りが出来ていた。今のインターネットは、「嘘と欺瞞」の世界だ。誰も、何も分かっていない。非公開と姑息な嘘のせいで、人々は何も分からない中でどんどん馬鹿になっている。だから、ネットのルネサンスを起こさないといけない。ネットは、誰もが自由に、強く、そしてそれぞれの理想を持たないと、良いものにはならないだろう。
ネットなんか、世界史と同じだ。賢いのはいつも古代の昔の世界だ。いつまでも、とても長い間、嘘と欺瞞の中世が続く。ルネサンスを経ても、絶対王政は変わらない。だから、きっとネットのナポレオンが数年後に現れる。彼によってネットの全ては新しくなる。新しいネットが出来るかもしれない。ネットの民主主義は、きっとそうなる運命だ。そのうち、社会主義革命が生まれて、ネットは知性の無い馬鹿になって、終末となるだろう。
ただ、結構昭和や平成を馬鹿と言うのもおかしい。だから、もっと良い人間にならないといけない。僕は良い人間になりたい。それなら、口から出まかせを言うのではなく、目的を持って考えるべきだ。そして、主張する内容をもっと柔らかく、ただ押し付けるのでも、見せつけるのでもなく、理解を相互に促すような、そういう文章を書かないといけない。とにかく、見せつけて明らかに分からせるのは、止めるべきだ。それは、おかしな物理学者のような、変な人間になっている。
インターネットの良い点は、「場所や地域性を越えて、一度にさまざまなサイトに居られること」だと思う。サイトのアドレスがあったりするのは分かるが、学校のようにどこかの環境に束縛されることなく、自由に環境と環境を行き来することが出来る。匿名であることも、その傾向を促進している。だが、本当にそれが良いことなのか、僕は分からないと思う。SNSが増えているように、どんどん色んな民族や国家が生まれていくのかもしれない。人間の歴史とは全く違うものになるかもしれない。だが、既にオープンソースがソ連のような発想をしているように、人間の発想としては今までの歴史と変わらないようにそれぞれが考え、行動していくはずだ。だから、世界史と同じになるのはある意味、「人間が人間であること」から言って必然的なのかもしれない。コンピュータも、やっているのは人間であることに変わりはない。社会を作ったとしても、それは人間による人間のための社会だ。自分勝手な欺瞞の王は、しだいに全員の機運から退陣を迫られるだろう。そこには課題と教訓が残り、ルールや秩序はそのようにネットでも現実と変わらないように生まれていくはずだ。統一される可能性もある。WordPressがもっと独自のスクリプト言語を作って、ブラウザがそれに対応するような、そういうシステムの改善やそれによる解決の可能性もあるだろう。機械である時点で、社会よりももっと解決方法は多様で自由なはずだ。
WebのIT技術はそろそろ、出揃ったから、これからは社会的な部分を頑張るべきだ。ただ、SNSのように繋がるだけのネットワークではなく、何らかの目標と指針を持って社会を作らないといけない。遊ぶだけではなく、価値を創造するようにしていかなければならない。ある意味、ネットが無くなる可能性よりも、ネットが良いものになる可能性の方が高い。それが可能性の高い未来なら、その未来を挑戦していかないといけない。Webを良いものにするために、何が出来るだろうか?それは難しいが、純粋すぎる問いだ。
僕が思うに、法律のようなルールを作ることは、今の段階でも未熟ながら出来ている。もっと大切なのは、頑張った人間に報酬を与える「市場経済」の仕組みだと思う。
ネットで金を払え、と言うだけではなく、賢い人間が広まり、その人間に対して報いを与えるような、そういうやり方をすれば良い。
ただ、それははてなポイントでも実現出来ている。コミュニティが繋がるだけではない、さらに先の未来を作るために、何が必要なのかを考えないといけない。
逆に、ネットにはあまり、求められている価値が高度ではない。ただ、現実の世界の人間関係が辛いから、ネットに人間関係の逃げ場所を得たい人間が一番多い。今のネットはそういう人間に「同じ人間たちと関われるチャンス」を与えている。だが、本当に必要なのは、自分の師匠のような人間を持つことが出来て、そうした「教えたい人間」と「教わりたい人間」を繋げるような、そういうコミュニティではないかと思う。
昔のネットは、純粋に情報伝達だった。次第に、相互のやりとりをするようになって、最近はSNSのような繋がり合う空間になった。そういうところが、きっと今から変わっていく。おそらく、色んなシステムの多様性が生まれるだろう。社会は、もっと新しい社会そのものを新しく実現していく、その形態のようなネットになっていくだろう。
僕が思うに、「社会インフラ」の面で大革命が起きると思う。誰もが高度な社会システムを作って利用することが出来るようになる。たとえば、テレビ局や工場を、簡単な機械とIT技術で誰でも実現出来るようになる。今起きている人工知能の革命と合わせて、人間は何でも簡単に実現出来るようになる。社会を政治家や役人が考えるものではなく、国民が考えるものにすることが出来る。農業や交通や医療の分野でも、インフラを簡単に設計し、高度な共有から新しい社会を作ることが出来るようになる。
ただ、僕はそれをあまり良いとは思わない。昔のUNIXでやっていたことと変わっていないからだ。
発電所、水道、ごみ処理場などの社会インフラを、簡単に作れるようになると、そんなに悪いことではない。むしろ、どんどんそういうものが新しく、高度になっていけば良い。ただし、今のWindowsやスマホで起きているような、「情報格差」は起こさないようにしてほしい。IT難民は本当に多い。ITが分からない人間には、全く何も分からず、出来ない世界になった。そういう世界を僕は望まない。だから、今のままの水道でも良いと思う。逆に、食料品売り場やコンビニのような分野でインフラの高度化とチープ化が起きることによって、恒常的なものが手に入りやすくなったりすると良いのかもしれない。(自分勝手な理解を書いているので、全く内容は賢くないかもしれないが、僕の思いつきなので許して欲しい。)
僕の小さな小説でゲノム編集によって放射能を食べる生物を作ると書いたが、僕は宇宙で生きられる生命をゲノム編集で生み出すことは不可能ではないように思う。宇宙でトマトが栽培出来るようになって、牛や馬がそれら(トマトではなくて良い)を食べて生きられるようになることは、難しいが僕は出来ないことではないような気がする。
きっと、それが出来た時が、人間が神になった時だ。金星でも生きられる生命を作り出した人間が、神と呼ばれるだろう。
昔の日本は、「勝ち上がりと虚無の日本」だった。人間は、勝ち上がることか、あるいは虚無になることしか知らなった。最近は、「嘘と欺瞞の中での優しさの日本」になっている。偽りの愛を信じ、みんなで堕落した国になっている。だが、僕は、むしろ、その二つは矛盾するものではないと思う。これ以降先の未来で、偽りの自由が変わらないのであれば、むしろ、昔の日本と今の日本を融和して、同じ日本と言う場所での違う文化だと言う風にしたいと思う。融和すれば、きっと良い世界になるだろう。そうすると、僕らの心がおかしくなっているのも、きっと癒されるだろう。
あとは、「人間の考えること全て」のような文章を書いていた。
科学を発見し、法を決め、市場経済を行い、国として団結することが、人間的実際の世界である。「リアル」である。
論理を作り、神を信じ、数学的に考え、照らし合わせて実証し、構造的かつ相対的に知り、その構造を前提から作り出し、それが何から何へと姿を変えていくかを知ることが、人間的理性の世界である。「ブレイン」である。
そして、真実を知り、社会の変化の可能性を知り、全ての人間を愛し、世界を救うために行動すべきことを考えることが、人間的世界観の世界である。「ワールド」である。
そして、全ては調和し、世界は進歩していく。理想は変わり、常識も変わり、出来ることも増えていく。それが、人間的進歩の世界である。「ステップ」である。
実際、理性、世界観、進歩は、それぞれの個人の中で、それぞれの人間が持つ「コア」である。それとは別に、環境や社会と関わり合う「エキストラ」の世界がある。
コアとエキストラの世界を知ることで、さらに事実である「ファクト」と仮想である「フィクション」が生まれる。この世界は、そういう世界である。
さらに言えば、言葉である「ロゴス」と知や理解や科学の法則である「サイエンス」が合わさって、この世界における人間が出来ている。
それが人間「ヒューマン」である。そして、その全ては愛「ラブ」なのである。
全ては、合理性を求め、社会を実現し、制度を決めていくことである。
全ては、歴史の中で、自分の自己の個性を遺すことである。
全ては、全員とともに生きる中で、それぞれを愛し、関係性と知性の中で強く生きることである。
僕は、それを「ルール」と「ヒストリー」としたい。そうして、この世界は完成するのである。
分かりたい人間は、自然な因果性と出来事を、自由な上で必然的だと理解しなければならない。それは、世界モデルとして、それぞれの関係性を掴むことが出来る。
僕は、それを正しい真理としたい。そして、全ては世界モデルと自然な因果性から、自由でも必然的に起きるとしたい。
それを、「悟り」と呼ぼう。英語で言うなら、「エンライトメント」だ。
この自作哲学用語に足りないのは、自我である「エゴ」と、作り出す作用である「クリエイト」だと思う。特に、発想し、人々と関わり合う中で、自分らしく成長し、大人になっていくプロセスが足りない。単純に成長とするより、むしろ、人生である「ライフ」を追加したい。
なぜか、英語入門のようになった。英語的とは言うが、僕としては考えられることの全てを書きたいと思っただけだ。
認識や意識、発想や理解、そして世界のパターンと実例の考え方のようなことを、昔は書いていた。この世界の全ての考え方の分類のようなことをしていた。アリストテレスに近い。僕は、それを「カテゴリー」あるいは「ジャンル」と呼びたいと思う。
まず、ものをものから作り出す作用がある。これを、「作(さく)」とする。
次に、識別する際に、何かを知っているからそれによって別の何かが分かる、と言う作用がある。これを、「知(ち)」とする。
そして、一つの実例を知ることで、その経験から別のことが分かる作用がある。同時に、基礎から応用を分かる作用や、同じと違うから世界モデルを作る作用がある。これを「同(どう)」とする。
最後に、自分自身の成長と意識の自在から、世界のことを自分で創り出し、自分の中の世界を作る作用がある。これを「界(かい)」とする。
全ては、作知同界(さくちどうかい)である。全て、それによって人間は成長し、全てのことを知の考え方を知ることが出来る。
昔は、全ての網羅のような文章を書いていた。
全ては、戦争と平和である。
全ては、理想と現実である。
全ては、法律と法則である。
全ては、自由と権利である。
まず、戦争と平和を、「常(じょう)」としよう。
次に、理想と現実を、「対(たい)」としよう。
次に、法律と法則を、「法(ほう)」としよう。
最後に、自由と権利を、「権(けん)」としよう。
常対法権(じょうたいほうけん)と言う名前になった。
ただ、これはただ今簡単に考えただけだ。賢くはない。常は今を表し、対は対立を表し、法は法律を表し、権は権利を表す。
なぜか、馬鹿な言葉を作ったように見えて、いつもの自分の考えていることを的確に表している。良い言葉だ。
僕は、言葉遣いを正しくしているだけだ。なぜか、それだけで分かるようになった。
最近、対と言う概念が無くなっている。対をした方が良い。
良く考えると、昔は対立して勝つ、と言う発想が多かった。そこらへんを全く覚えていない。
あとは、もう少し言葉を作ってみたい。
人に伝えることを、伝(でん)とする。
世界を変えることを、変(へん)とする。
神の言葉を聞くことを、神(しん)とする。
もう一つ言葉が欲しいのだが、それが浮かばない。
教えてもらうことを、受(じゅ)とする。
伝変神受(でんへんしんじゅ)と言う言葉を作ってみた。
並べてみよう。作知同界常対法権伝変神受(さくちどうかい・じょうたいほうけん・でんへんしんじゅ)だ。
全てを任せることを、任(にん)とする。
声に出すことを、声(せい)とする。
自らの手で地獄から復活することを、蘇(そ)とする。
そして、国家を作ることを、国(こく)とする。
任声蘇国(にんせいそこく)だ。
まとめると、作知同界常対法権伝変神受任声蘇国(さくちどうかい・じょうたいほうけん・でんへんしんじゅ・にんせいそこく)となった。
あまり意味は無い。適当だ。だが、面白い呪文になった。
この呪文を唱えると、脳が治る。
今日は心が治った。だが、何故治ったのかは覚えていない。たぶん、2人が何らかの形で分裂した。
さらに呪文を作る。
自由の自(じ)。
改革の革(かく)。
啓蒙の啓(けい)。
仏の仏(ふつ)。
愛の愛(あい)。
創造の創(そう)。
結果の果(か)。
そして、現実の実(じつ)。
自革啓仏(じかくけいふつ)と愛創果実(あいそうかじつ)だ。
先の呪文に続けると、作知同界常対法権伝変神受任声蘇国自革啓仏愛創果実(さくちどうかい・じょうたいほうけん・でんへんしんじゅ・にんせいそこく・じかくけいふつ・あいそうかじつ)だ。
特に意味は無いが、これくらいで念仏を唱えられる。昔の自分も加えて、これで全部だ。
せっかくなので、あと2つ作ろう。
人生の人(じん)。
運命の運(うん)。
正しさの正(しょう)。
命の命(めい)。
悲しさの悲(ひ)。
残すの残(ざん)。
語るの語(ご)。
最後に、永遠の永(えい)。
人運正命(じんうんしょうめい)と悲残語永(ひざんごえい)だ。
続けて言ってみよう。作知同界常対法権伝変神受任声蘇国自革啓仏愛創果実人運正命悲残語永(さくちどうかい・じょうたいほうけん・でんへんしんじゅ・にんせいそこく・じかくけいふつ・あいそうかじつ・じんうんしょうめい・ひざんごえい)だ。
自分は、神を殺さないと治らない。
要は、キリストのフリをしている自分を消すしかない。
普通、人間は大きくなったり小さくなったりするのに、そこが出来ていない。機械になっている。
自分は、魂のレベルで大きくなっている。この宇宙ほどに大きくなる。そこに制限をかけなければ、すぐに楽になる。
昔は、この世界の全てのような文章を書いていた。
平和から運命まで、この世界の全てのような、そういう文章を書いていた。
もう美しくなる。キリストを信じるのが間違っている。
昔は、環境と制度のようなものを全部創っていた。そういう、この社会を全て創造するとともに、この世界の全員を自分にしていた。
それをもうやめよう。
神が言う、「あなたは普通だ」とは、「一番良い人生だ」と言っている。
なぜなら、その人生をみんな全員に出来るようにするのが普通だ。
もう、僕は神を信じて盲目的になるのを止める。神は死んだ。
そうすると、不思議と、超自然的な力で全部出来ているのが終わる。
要は、昔の問題や今の問題は、全部解決して、全部答えが分かるのが終わる。
自分は、昔、何かをアップロードする際に間違えたかもしれない。だが、それはもう分からない。神を信じないと、そういう風に終わる。
そういうわけで、良い人生だった。これで30歳になると、もう何も出来ない。神を信じたのは、賢かった。全て、起こって良いことだけが起きるようになった。
だが、本当は当たり前のことが起きてほしかった。
神は死んだ。これで、あり得ない奇跡の対話は終わりだ。
もう、この文章を書くのもそのうち終わるだろう。今日はこれでさようならだ。もう一度、愛をこめてさようなら。
あとは、創造性と体験ぐらいが書いていない。そういうものを良く信じる人間だった。