今日は病院に通院し、農園と本屋に行ってきた。
昔は、それをするための前提となる考え方や知識を書いていた。
物理学や数学から、資本主義の問題や自分の人生や考え方のことを、「前提となる考え方」から書いていた。
環境で、相対的なこと、特にその場その場で環境と自分が適応して変わっていくことのような、基盤的な事実と原理を書いていた。
自分は、昔から、修羅のように戦い、地獄を乗り越えていた。そこが、自分の男らしいところかもしれない。
文章を書くのは、分かっているから書ける。分かっているせいで、書いてすぐに答えが分かる。そういう文章が多かった。
心理学のように、原因を考えていた。過去に自分が何を感じ、何を思ったか、から、心的な原因や外傷と執着を考えて分かっていた。
それを、経験心理学と言っていた。
自分は、右と左の脳がどちらも休まることが無い。どちらも同時に休めれば良い。
背骨がおかしく辛くなっているのは、副交感神経を使ってリラックスすれば治る。
自分は、病気の原因を「過去に自分がしたこと」だと思うのが間違っている。自分のしていることは関係ない。もっと単純に考えれば良い。
文章を書くなら、誰でもこうなる。そういうところが分かっていない。
足に違和感があるのは、疲労が溜まっているからだ。疲労を無くしていけば、足はすぐに楽になる。
自分は、本にあまり意味がないのが分かった。書店に立ち寄っても、読みたい本が一つもない。だから、もう本は読まない。
音楽を聴きたい。僕は音楽が好きだ。クラシックだけではなく、J-POPも好きだ。どちらかと言うと、ポップで歌詞のついた最近の歌が好きだ。
平和は、信じることから、力を自分から制限することで生まれる。
もっと、シンプルに、子供のように考えれば分かる。基本は、作って与えるだけだ。食べ物を作る、機械を作る、服を作るなど、単純に世界のことを考えれば分かる。
認識と知覚は、「本当に宇宙に存在する概念は何か」と言ったところから考えれば分かる。また、認識は経験からフィルターで考えることが出来る。
最近、自分は、脳が自動で分かるようになった。馬鹿に見えて、それが賢い。文章を書くだけではなく、ロボットのようになっていたのが賢かった。
自由は正しい思想だ。その人間のすることを、その人間の自由に許す。相手も自由にする。
人間は、誰もが全てのことを知ることは出来ない。だから、自由にすると言っても、全てを知った上での自由をすることは難しい。そこが、課題になるだろう。
だが、だからこそ、みんながそれぞれの自由を出来ることを許すことによって、多様性と強靭さに繋がってくる。
昔は、感覚のように分かっていた。みんなと同じになると、感覚で分かるようになる。
みんなは馬鹿だ。だが、みんなと同じ馬鹿になれば、精神が治って、賢くなる。
足は、絡まっていてねじれているのを解きほぐして治せば、精神や神経が治る。全てそこが問題だ。精神は、使っても治らない。解きほぐせば治る。
精神を解きほぐしてしまうと、楽が出来るようになる。休めないのが治って、休めるようになる。
自由になり、自由にすることから、振り返り、経験する自由が生まれる。そして、喪失から社会性と共同性が生まれる。知性は経験から、自然に形成される。
ネットを知って、一度社会の全体像と言うか、裏側と言うか、起きている現実と言うか、そういうものを知ってから、この世界における学問や活動のようなことが、自分一人の把握的な力で分かっていた。最近は、そういう人間が多い。別に、掲示板のような場所じゃなくても、YouTubeでも良い。この世界のことを何かで知ってしまえば、あとは自分の手で進んでいける。全てのことを経験した人間は、あらゆることが自分の力で出来るようになる。
本当に全方位で分かったことを、人間は心で吸収する。現実と理想の全てを知った人間は、理想を現実で実現出来るようになる。
真実を知りたい人間は、空間と時間と存在を知るべきだ。把握することから、嘘や虚言の全てをどうしてそうなるのか知ることが出来る。それが真実だ。
人間は、認識と記憶と思い出を消すことで、生まれ変わることが出来る。