新・日記2に戻る | 2017年8月の日記に戻る

=2017-08-22=

作業所に行ってきた。

昔は、物理学のように詳細に考えていた。自分は、場合や成り立ちをもっと詳細に考えれば、物理のように考えられる。

感覚、関係、考え方から、自然やものや現象のことを考えていた。感覚的にこの世界の全てを捉えた。

パターンや種類がそこから分かっていた。

社会モデル、心理的反応、深層意識などを考えた。

理想の世界を良く考えていた。それぞれに自由意志があることは、万人に平等である。理想の社会は、開放的で、自分らしく生きられる社会だとしていた。理想の生き方は、ありのまま、他人に決められるのではなく自分の意志で自発的な助け合いを選ぶことだと考えていた。

昔の地球のようなことを、良く考える。地上は、もっと別の世界だったはずだ。

社会的考え方から、仮想的に集団や組織を成り立ちで考えていた。

ネットのコミュニケーションから分かっていた。

そして、アーキテクチャのようなことを考えて、世界のさまざまな構造を創造する文章を書いていた。

平和とは、創造性や平等のような「殺さない政策」を正しい理想の下に行うことだ。

フランス語は料理人が出来ると言うが、人間は一流のものからその国の言語が分かる。

日本の一番賢い点は、この文章を日本語で読めることだ。

人間は、カントか、プログラミングか、ピアノか、医学のどれかから入るべきだ。それが一番賢い人間になる。

ヨーロッパの賢い点は、さまざまな地域の文化が融和しているからだ。ギリシャ、ローマ、イスラエル、ゲルマン民族などの文化が融和している。そこが、日本と良く似ている。日本は、中国、インド、イギリスのような文化が融和している。日本は古代ローマのような時代をやっている。

昔から、僕は良く「人間は原始人と同じ」だと言うが、昔の自分はそういう風に、「人間が必然的に(あるいは自然に)そういう行動を取る理由」のようなことを考える。そこから、心の法則を解明したり、動機や根拠を考えたり、どのようにしていくと最善の環境になるのか、のようなことを考える。

昔は、場合と場合を論理的に考えて、論理を照らし合わせながら世界や人間のことを考えていた。

社会のことは、学習、実感、意識、経験から分かっていた。社会の変化のようなことを、意識と状況の成立から考えていた。いつどんな意識が成立するか、から社会のことを考えていた。また、意識は物理的な何かに支配されると考えていた。

集団と個人のようなことから、「どのように考えれば、対立や絶対的立場を死守するだけではなく、もっと平等に、自由な中で上手く環境を作り上げることが出来るか」を考えていた。

昔は、国の体制のようなことを書いていた。新しい国の体制を作ったりしていた。

自分が辛いのは、「全部」を目指すからだ。ブッダの言うように、この世の全ては苦しみだ。全部を目指すと、辛くなる。だから、全部は目指さない方が良い。

こういう人間は作家に多い。作家は、普通、一人で全部出来る国を目指すようになる。

昔は、「懺悔の戦い」のようなことをしていた。全員に対して懺悔しながら意見を言う。それで、最後の馬鹿になるまでいつまでも戦っていた。

この世界を変え、愛し、救うことは、きっと出来るはずだ。昔の僕は、そう思っていた。そのために、本気で全てを作って考えていた。この世界は、教えればきっと変わる。自由なままでも良く出来る。分かった人間が分からせれば、きっと同じことは誰でも分かる。ただ、慎重であること。大胆に行うのではなく、柔軟性と下準備をきちんとしながら行うこと。そうすれば、きっとこの世界は良くなる。愛は、一人に対する愛が、そのまま全員を救える愛へと変貌する。

僕は、数学は「値として等価である」ことと「式として等価である」ことを分けるべきだと思う。1+1と2は違う。

プログラミングは、もっと式を抽象的に統一して、{ (command) ... } と言う文法だけにすることが考えられる。{ (loop) ... } や { (if) ... } や { (function_def) ... } や { (function_run) ... } のような構文にし、色んな文や式を使う側が自由に作ることが出来るようにする。

同様に、プログラミング言語も { (c) ... } や { (perl) ... } や { (bash) ... } や { (asm) ... } のようにすることが考えられる。

僕は、GUIと言うのは「情報を見やすくすること」と「操作を行いやすくすること」に重点があると思う。だから、コマンドラインで操作する場合でも、テキストだけにするのではなく、グラフィカルな進歩バーなどを表示することが考えられる。そして、コマンドとボタンを両方使うことも出来ると思う。

昔は、ありえないことを社会論として書いていた。政治家にはたくさんのことを経験させるべきだとか、会社の役員をローテーションにした上で選挙するとか、そういうことを言う。フランスでいつかどこかでやっていた、男女同組のペア選挙のような、そういうものを書いていた。

意識が高まるような文章を書いていた。経験と記憶の回想のようなことを書いて、精神分析をしながら、文章にし、意識を高め、「この世界の全員の意識を高める」かのようなことをしていた。自分が馬鹿になることで、みんなを賢くするような、そういう戦いだった。

自分は、選択肢をどちらも取るのが悪い。どちらかを取れば賢くなるのが分かっていない。

もう一つの選択肢は、もっと後になってから復活する人間が多い。

人間のような人工知能を作るなら、選択肢を取るようにして、あとで別の選択肢を取るようにするべきだ。それなら、人間の脳のように「理解するロボット」が作れるだろう。

最近のありえない学習は、間違いではなかった。ありえない学習をすることで、何でも後になってから分かるようになった。

だが、恐怖や心配は要らない。恐怖や心配は辛いだけだ。恐怖と心配の根源にある何かを消した方が良い。「何にでも勝てる勇気」が間違っている。

最近は、不安を恐怖で倒し続けているだけだ。そんなに倒すのはもうつまらなくなった。もっと、協力や協調の意志を持った方が良い。

基盤的経済システムのようなものを、良く作っていた。

昔はたくさんの戦いをし、今は一つの大きな戦いをした。逃げ場所なんか要らなかった。今を肯定すれば良い。今、何も問題は無くなったはずだ。

安心出来る。過去のことは忘れた方が良い。イスラム教のようなものが起きたのだと思えば良い。もう僕は正常だ。

昔の自分は、過去の人生を辿っているように見えて、未来の人生を辿っていた。

僕は、動いている世界だけを見ていて、止まっている世界を見ていない。だから、止まっている世界を見れば治る。世界の問題もそこにあって、それだけで治る。

こんなに簡単に言うと馬鹿に見えるが、昔は良く考えて手段や機会、参加や多様性が分かる、考える人間だった。

自分の経験から言って、罪は本当にある。そして、罪を犯すことは最初から分かっている。

泥水の中から宝を探すように、昔の馬鹿な人生から良いものを探そう。そうすると、あれは自分だけは出来ると言う理想があった。そして、きっとみんなにも出来るはずだと言う、リーダーシップのようなものがあった。それを、ネットの中で自分から実践して、確かめていた。そういう理由で、ビジネスや会社のようなことから、技術のようなこと、社会を変える理想のようなものまで、全部分かっていた。あれはそういう人間だった。神のように賢くなった。

発想法は、精神性を高めれば生まれる。

独創的な発想をすることが多かった。自分の「これはこう出来る」と言う発想を積み重ねて、「ああも出来る、こうも出来る」と分かっていた。社会のことは、技術の応用とみんなの意見を取りまとめることで、体験的に分かっていた。

僕は、タイル型インターフェースを改良して、「統合コマンドライン環境」と言うのを作っても良いと思う。Emacsにコマンド入力バーがついているように、全てのアプリケーションにコマンドバーを付ける。それを統一して、統合デスクトップ環境のコマンドライン版のようにする。綺麗なグラフィックでコマンド入力が出来るようにする。

人間の体を作り変える機械と言うのは作れないだろうか?

人間の体を作り変える内臓と言うのは作れないだろうか?

人間が人間から他のものに進歩するための機械と言うのは作れないだろうか?

昔は、脳の働きが遺伝子すら変えるだろう、と言う考え方が多かった。遺伝とは別に、遺伝子を変える脳の働きがあると考えていた。

金儲けの基本は、金で買って、作って、金で売るだけだ。良く考えると、誰でも儲けられる。

戦争の問題とは、殺し合うこと以上に、破壊し合うことだ。とても高額な戦闘兵器や、町や農村などを互いに破壊し合う。そんなことが何か生産的なものに結びつくわけがない。戦争特需と言うが、軍需産業を目指す人間は、太平洋戦争の惨禍を見ていない。インパール戦をテレビで見たことがあるが、食料が尽きる中死ぬ気で戦って、何千人もすぐに死ぬ中で勝てるわけのない戦いを戦う。戻って帰れる人間は、敵軍の捕虜になった人間ぐらいで、あとは地獄の中の地獄を彷徨い続ける。たくさんのハゲタカが舞う中で、死体の中で泥水を進み、屍となった仲間の肉を食べて生き残る。そういうものが、最悪の戦争だ。軍需産業はありえない。何億円もかけた兵器が次々に海に沈み、地上に墜落していく。教育も馬鹿だ。天皇陛下に忠誠を誓い、最初から死ぬことを美徳とするのは、滑稽だ。

そんな戦争をする日本をおかしいと言うかもしれないが、アメリカは核兵器を落とした国だ。日米はどちらも悪い。

日本は、インパール戦だけではなく、至るところでそんな酷い戦争をしている。沖縄に旅行に行った時に立ち寄った、ひめゆりの塔(別の名前だったかもしれない。良く覚えていない。)も本当に怖かった。ただ、アメリカも悪い。沖縄人がアメリカが嫌いなのは、アメリカも同じだからだ。それこそ、ソ連対ドイツは廃墟をたくさん生み出している。日本がそこまでするのは、植民地になる方がもっと辛いと思うからだ。近代戦争なんか、完全に間違っている。北朝鮮はそういう風になるだろう。

日本が悪いと言うアメリカ人は、日本の事情を考えていない。アメリカがドイツに負けても、ドイツになるだけだが、日本はイギリスやアメリカに負けると植民地になってしまう。

歴史を見ていると、日本だけが悪いわけでもなく、イギリスのような国も悪い。イギリスは、インドの毛織産業を破壊するために、インド人の職人の腕を全員切り落とす、と言った悪魔のようなことをしている。

戦後の日本やドイツが賢くなったのは、そういう背景がある。本当に逆境に陥ると、人は底力を発揮するものだ。

むしろ、昔の人類と言うのは、なぜかものすごく悪い。弱いものは奴隷にし、敵は全員殺して当然、と言うところがある。日本の徳川政権も、参勤交代と言うありえない制度をやっているし、スペインなんか大航海時代の古い時代にすでにインディオを奴隷にして売って儲けると言う悪魔のような商売の「奴隷貿易」をやっている。王や貴族も安泰ではなく、中国の女皇帝は嫌いな女性の手足を切り落としてダルマ状態にするとか、そういうことばかりしている。昔の人間たちはおかしい。アンコールワットと言う壮大な宮殿も、国民をとてつもなく虐げて重税を取って作られている。本当に、歴史なんかおかしいぐらい悪い人間しか居ない。

僕は、むしろ、精霊が良いと言う。きちんと地獄を頑張ったからそれで良い。歴史が悪いのは、悪いことをした方が王は賢いからだ。昔から、そういうものだ。マキャベリ(別の人だったかもしれない)が言っているように、時には悪徳も行使すべきだ。昔はそういう人間が多い。そういうわけで、トランプは大して悪くない。あれが普通だ。

地獄の戦いをきちんと最後までやった。

申し訳ないが、遺跡名を間違えたかもしれない。アンコールワットではなく、タージマハルだったような気がする。真偽は定かでない。