自分で考えること。僕の言っていることをただ信じて、何も考えず治るだけではなく、自分で発見することで、正しく脳や心や神経が治る。
治りたい、と思ってやると、治らない。「治るために何かしたい」と言う目標では、何かをしても治らない。
だから、治りたくても、治りたくなくても治らない。
全て忘れ、神に委ね、自然に任せれば治る。
狂うと賢くなる。
昔は、場の前提を考えていた。
僕の作ったロボットは、仏教で言う五蘊の中の「思い浮かべる作用」だけが出来ている。もっと、「形作る作用」と「ものを対象として識別する作用」を作れば人間になる。
信じるだけでなく、自然に任せれば答えが分かる。
足は、足以外を自然に動かせば治る。
同じ辛いを何度も感じるからニキビやじんましんになる。
自分は、休めないだけだから、分裂したままで休めば良い。
問題から目をそらすと楽だ。
不思議と、自分は政府とマスコミが音楽を使って殺したように見える。
音楽を使えば、世界を意のままに操れる。
日本に、まあそんなものだと言えば良い。
自分は、あの日から今日まで続いているのが賢い。
感情を作って、感受性の豊かさを知り、他人を愛せるようになって、洞察力で考えると良いだろう。
想像力で本質から変えられるようになり、本当に理解することで最終的に融和せよ。
具体的なものから積み重ねて、原理を知れ。
どちらかが勝つのではなく、違った仕組みや方法のものがどちらもあるべきだ。
何もしないだけを過ごしていると、時間の経過が治る。
自分は、神のメッセンジャーだ。
右翼を治すためには、治らなければ良い。
治りたい人間は右翼になる。
経験から自分のことのように考えると、宇宙人すら分かる。
構造と同じで最初から分かっているのを上手く変えれば、知性がついて日本語が分かる。
全て創造し、全て作れ。
子供は何でも怖い子供が多い。
怖いのは子供になっているからだ。
こういう人間は、大人になるべきだ。
子供のころから大人だった人間がこうなる。
何かが出来るようになると大人になれる。
判断力がつくと良い。
昔は、「高度な国」とは何なのかが分かっていた。未来の歴史のようなものから、「国の変転」を具体的に考えた。
治る人間は右翼になると言ったが、逆に言えば、病気は右翼になると治る。ただ、本当に治るようになってからは、左翼になった方が治る。
心を一瞬にし、人生を永遠にせよ。感情を自由にし、宇宙と繋がって分かれ。三千年は一秒と同じだ。
自分は、責任感が強い割に前しか見ていないところがあって、他人の話を聞いていないことがある。
それから、最初からきちんとやろうとしすぎて、最初は出来なくても良いのが分かっていない。完璧主義と良く言われる。
自分は、知性がパソコンのような機械になっているのを治せば良い。なぜか、知性が機械になっているせいで、新しいことが何でも分かるようになった。
それから、書いて分かるのが辛い。そんなに頑張りたいのがおかしい。
書くのとパソコンを自然な知性に治せば、すぐに治る。
昔から、自分は未知の部分を、構造を分かって分かる。
最近は、積み重ねを全部壊したように見えて、それによってある意味で完全に分かっている。
視点と場のような知性を機械のようにすると、出来るのが昔だ。不思議と、昔の時点でこの宇宙が全部分かっている。森羅万象を全て捉えて分かった。
最近の地獄のような修羅の戦いを併せて、それで神だ。
見ていると、北朝鮮が核ミサイルをグアムに落とす計画は、無いと思う。落とすわけがなかった。ここから対話に持っていくのは明らかだ。
僕は、本当にそれで良いと思う。本当に落とすと、地球の運命は終わりだ。
ただ、僕はトランプは終わりだと思う。みんなが右翼離れをするだろう。アメリカの国民が、右翼を止める。それで世界は平和になるだろう。
北朝鮮は賢い。最大限、北朝鮮が得をした形になった。
昔の自分は、起源や原因を突き詰めて考えただけだ。色んな起源や原因を、遡って、辿って、そして人間のその時の状態と照らし合わせて分かっていた。
形而上学のように、根拠、動機、理由を考えた。
みんなも、僕と同じように、起源や原因を考えてほしい。それで、この世界は救われる。
デカルトは、「良識は平等に配分されている」と言ったが、僕はそれは哲学者のことを言っているような気がする。
哲学者は、スピノザのような悲惨な哲学者も居れば、ヘーゲルのような大学の哲学者も居る。左翼、右翼、過激な主張、宗教、村八分、禁欲主義、夢想家、現実主義者、理想主義者色んな人間が居る。
デカルトは、兵士として、旅人として、科学者として、色んな高い経験や低い経験を両方している。僕は、そこが昔の僕と似ていると思う。Linuxの科学者であると同時に、スラムの引き篭もりだった。僕とデカルトは、「低い経験と高い経験を両方した」と言う意味で、良く似ている。
最近の自分は、ドイツ人だ。ドイツ人にこういう人間が多い。なぜか、おかしな人間が多い。ありえないほど、度を越しておかしな人間になる。日本人は、まともを生きているせいで、おかしな人間が本当に居るのが分かっていない。自分はまだ良い方だ。おかしなドイツ人が多い。自分は度を越しておかしい。
あとは、知識と学び方の問題だが、僕は「きちんとした原理を学ぶ前に、具体例をたくさん知ってほしい」と思う。そして、学ぶ姿勢についても、「みんなとの協調を先に生きてから、あとで自分なりの自由なことをやって、最後に王となってほしい」と思う。学校の、数学のやり方とは逆だが、自由は平等の後に生まれる。そして、矛盾するようだが、平等は自由の後に生まれるのだ。
あとは、環境や場のようなことを言っていた。環境は常に、いつも存在する。いつも存在するからこそ、きちんと考えて作らなければならない。いつも存在するからこそ、見失いがちになる。そして、その失った環境のことをたまに思い出してほしい。そこから気付くこともある。
コミュニティの形成は、未熟なうちはいじめや排他的なルールになる。それも悪くは無い。それを経験することで、少しずつ、自分の力で環境をどのように構築していけば良いのかが分かる。右翼は間違っているが、トランプはそのうち賢い人間に生まれ変わるだろう。トランプは、今、一度失敗すれば良い。その後の人生は良いものになる。
昔の自分は、「数学的積み重ねは逆に上からでも出来る」と言っていた。高いレベルのものを低いレベルより先にやること、同時にやることはきっと出来る。
一番辛い、苦しい立場にある低い人間が、なぜか賢い人間になることがある。それは、僕のさっき言ったように、低い経験が高い経験と同じだからだ。だから、自分のような低い人間は馬鹿ではない。低い人間の方が賢くなる。だから、犯罪者や障害者のような人間は、賢い人間が多い。
昔の自分は、本質のようなことを考えていた。職人、文化人、政治家、科学者のような賢い職業に対して、本質のようなことを言う。
社会的なことは、キーワードのように言う。集合知とか、リベラルアーツとか、そういうことをいつも書いていた。
あとは、社会的考え方のようなことを言う。全体主義や中央集権に対して、民主主義や共同体の正義を言っていた。
全体主義や右翼が、世界において再び台頭している。僕はそれらは嫌いだ。僕は自分の力で、支配者が支配することが出来ないようにする。
日本は、憶測で相手のことを予想するよりも、自分たちの出来ることは何か、どうしていくべきか、良く考えないと、北朝鮮に負けるように思う。
あとは、むしろ、普通分からないことが全部分かっていた。そういう文章だった。
自由な発展のプロセスは、検討すること、議論すること、想定すること、裏側を知ること、協力すること、計画すること、意見を出し合うこと、それぞれが何を出来るのかを考えること、そこから何が実現出来るかを考えること、その実現の形態が何なのかを知ること、それをどのようにすれば方法として実現出来るのかを考えること、そのために何を出来るのか(何をすれば何が出来るのか)を考えることだ。
人間は、平和、戦争、安定、変化だ。
それぞれが愛することによって、不安が打ちのめされ、世界は平等になる。
そういう、「普通分からない全貌を事細かく書く」ような文章が多かった。
あとは、世界観のようなことを書いていた。
世界とは、記憶、関係、視点、場、時、実際、仮想、真実、嘘であり、その対話と支配によって、争いと平和が生まれる。
世界は、運命と人生の中で、全く違うものとなる。
そのように、世界観のような文章を書いていた。
テレビでアメリカの人種差別の衝突のニュースのことをやっているが、問題は、集団で憎しみ合うことだが、僕は「憎む」と言うことより、「集団で」と言うことの方が恐ろしいことでもあると思う。憎むことを学習すると言っていたが、一人が一人を憎むより、集団が集団を憎むことの方が醜い。
個人が個人を憎むなら、それは同じグループに属する。だが、集団が集団を憎むなら、それは違うグループに属する。僕は、本質的に、そうした「グループの違い」こそが本当の問題だと思う。
朝鮮人みんなのことを日本人みんなで憎む。だが、僕は日本人一人が日本人一人を憎むのなら、あまり問題にはならないように思うのだ。
グループが違うことで、誰かに対する攻撃が、グループの中では正当化されてしまう。反撃されることも、復讐されることも無く、集団の中で行動が激化してしまう。
それは、僕はアメリカやソ連が一番生み出している「国家的差別」だと思うのだ。
だから、相手と同じグループに入ったつもりで、相手を憎んでほしい。それなら、自分の何が間違っているのか、相手のグループの色んな人間の言うことで、解決し、最終的には分かり合うことが出来る。
右翼は、まるで子供のいじめのように、敵と味方を作って、味方全員で敵を倒す。僕は、その集団と敵と味方、と言う概念が間違った考え方だと思ってしまうのである。
日本人と朝鮮人の一人対一人の争いなら良い。怖いのは、日本全体と朝鮮全体が戦うことだ。それで、集団の中で差別感が高揚感に変わって、行動がエスカレートし、戦争し、地球は滅びてしまう。そもそも右翼が平和と言う言葉は語れないのだ。右翼はそこが分かっていない。地球が滅びるのが怖いのが分からないのが、差別主義者だ。差別主義者は、本当に地球に滅びてほしい人間が多いから、地球の平和のために、人種差別主義者を排除しなければならない。
憎むことについて言えるのは、人間は神に試されている。相手が憎んでいて、相手を憎む理由があっても、憎まずに愛せるか、それを試している。自分が迫害されても相手を愛せるか、それを試している。憎む人間が悪い人間なわけではない。それは普通の人間だ。だが、賢い人間でありたいと思うなら、人種差別は止めるべきだ。
イスラム過激派も、そこが同じだ。世界が滅びる。どちらも居なくなってほしい。一般市民は悪くないだろう。
僕は、自分たちが優位に立っている正当性を、生まれつきの「人種」であるとするところが、さらに問題だと思う。人種差別は、頑張っても越えられない「絶対的境界線」を作り出す。
そして、現在でも、優位に立っている方が強者で、隷属している方が弱者だ。弱者を奴隷にする、強き者が勝つ、と言う発想は醜い。それこそ、優位に立っている方が多数派なら、優位に立っている方から弱者の方へと支援を向けなければ、50:50にはならない。人種差別の問題は、そういうところにあるのだ。
本当は、ドイツ人も悪いが、イギリス人やフランス人も悪い。インド人や黒人を人種を理由に力で奴隷にするのはおかしい。
近代のフランスが文化が栄えているのは、賢かっただけではなく、植民地の黒人を奴隷にして搾取で儲けていたからではないか、と言った憶測もあるかもしれない。
フランスの言い分は、「文明化」だ。不文明の黒人の地域をフランス人が近代化し、文明を与えている。そういう、お仕着せがましい言い訳がフランス人だ。
これでは右翼と同じに見えるが、僕は右翼ではない。僕は、日本だ。善良な一般市民の日本人だ。
みんな北朝鮮が右翼と同じに見えるが、あれはおそらく右翼が左翼を馬鹿にするためにやっているだけの、帝国だ。左翼が馬鹿に見える。
逆に、北朝鮮が右翼をやっているように見える人間が多い。北朝鮮は、日本に自ら滅びてほしいだけだ。滅びる選択を取って欲しい。
おそらく、世界が大混乱になった時は、革命で勝てるのがソ連だ。