今日は英会話教室と農園に行ってきた。お盆の連休中は英会話教室に行くことにしている。
僕の心は融和する。そして、歴史と哲学と英語をやりたい。もう、パソコンはしない。
昔はスラムのような経験をしたが、最近は頑張って分からない中世界のために全力で努力していた。
バンプが言うように、誰にでも説明出来るような言葉と理由に直って分かっていた。
数学的に世界の全てを実証し、論理的で巨大な世界モデルを作り、社会の前提条件と手段、そして実際の姿を考えていた。
社会は、裏側の社会と歴史的経緯を知ることで、今ある世界がどのように生まれたのかを知ることが出来る。
また、それぞれの立場を超えた超越的融和の立場を取ることで、解決の難しい対立している問題を、問題の共有から解決し、認め合うことが出来る。
子供が満ち足りているのは、友人を大切にするからだ。子供には、良い人間が多い。いじめるのは、大人が悪い。大人が弱者をくじくから、子供に影響が出る。大人は社会の問題を末端のせいにする。子供よりも大人の方が賢く見えて、大人には子供の分かることが分からない。子供より大人の方が馬鹿だ。
大人には、可能性が無い。35歳を過ぎてから最初から努力する人間は居ない。子供には何も分からないと言うが、子供はこの世界のことを少しの記憶からきちんと分かる。子供時代に賢い人間が、大人になってただ同じことを続けているだけが、大人の賢い人間だ。
出来るだけ、人生は自由であった方が良い。色んなことを自由に出来た方が、賢いことをいくらでも出来る。だが、自分一人で考えて出来ないことはある。それは、教えてもらえるような環境を作るべきだ。そういう、「自由大学」のようなものを作っても良いだろう。いつ、どんな科目でも、自由に受けられるようにして、アドバイスとして科目を教えるような、そういう大学があっても良いと思う。
僕は、大学のような4年制のきちんとした学校ではなくて、カンファレンスや講習会のような、「緩やかな学習共同体」を作っても良いと思う。同好会のようなものに近い。特に、もう学校で勉強していない大人を対象とする。そして、比較的自由に学びながら、きちんと授業を行う時はきちんとした講義を行う。教授だけではなく、参加者が自由に講義する。
それはそれで良いとして、昔の僕は、そういう、「自由な学習と経験」のようなことを良く書いていた。数学を先に学んでおいて、あとは全ての科目を自由に学ぶべきであり、行動としては哲学的に世界を考えながら社会実現を実践していく、と言っていた。
子供には、自分の経験による判断力と中道の精神(快楽と苦しみの両極端を捨てる)を身につけさせるべきだ。
僕は、北朝鮮にはすぐに対抗措置に応じず、状況を見た方が良いと思う。アメリカの方が負ける可能性がある。アメリカの敗戦が濃厚になった時は、北朝鮮についた方が良い。
ただ、僕は悲しい。特に、被爆者団体の人々が言っていた、「ノーモア・ヒロシマ」が達成出来なくなった。僕は(勝手な個人の印象だが)坪井直さんが好きだ。老人なのに頑張っている。坪井さんがあまりに悲惨だ。
ハリー・ポッターの朗読CDを聴いている。英語は、自分に対する命令だと思えば分かる。赤ちゃんは、英語を自分に対する命令だと思う。
昔は、現状の可能性を知ることから、社会がどのようにしていくべきかを分かる、と実地的な社会分析のことを書いていた。
あとは、右翼のような自由が多かった。経営者はたくさん居るべきだとか、自由を相手にも自分にも許すべきだと言っていた。