新・日記2に戻る | 2017年8月の日記に戻る

=2017-08-05=

昔は、知と理解を作ることで分かっていた。

基礎、仮象の世界、社会、そして科学を作ることで分かっていた。

知性は、学習だ。

反応的に、何をどうすべきか、何をすべきで何をすべきでないか、考えて学習すれば、知性がつく。

経験的に、反応で考えれば良い。反応的にどのようにすべきかを考えることで、きちんと病気が治る。知性がつけば、精神の病気は治る。

いつどのような場合にどうなるか、どのようにして行けば良いか、考えなさい。

全ての場合を試すのを止めて、同じ時は同じになると学習しなさい。反応から、どのようにして行けば良いか考えなさい。

それはそうだったから、いつでもそうなる、と考えなさい。

それはそうだったから、そうすべきだ、そうしなければならない、と考えなさい。

別のことも同じようにそうなるはずだ、と考えなさい。

それはそうだから、問題は何なのか、良く考えなさい。

学習から、経験と知性を考え、モデルを作りなさい。

昔の文章は、あらゆることを全部創っていた。この世界の全てを、作ることで分かっていた。

もう、涅槃へと達した。昔は、段階的な人生の涅槃への道を良く書いていた。

実際の社会を知りなさい。そこから、全てが見えてくる。この世界のことを良く知りなさい。

昔は、そういう、「この世界のことを知る」文章が多かった。そして、この世界をどのように成り立たせたら良いかを考えて、この世界をゼロから作っていた。

脳や心の病気は、治らないことをしても治らない。治ることをすれば治る。治らないことをしない方が良い。

我慢しないこと。

希望を持ちなさい。この文章は、いつでも希望の文章だ。

治るはずだったと思っても、今治らないなら意味がない。治るはずだったと言うことに執着しないこと。明らかなサインが出ているのに、同じことに執着するから辛くなる。

やりすぎは良くない。今の自分と昔の自分は違う。同じことをしても治らない。

一度、同じと違うの鎖を分解すれば良い。何が問題になっているのかは、既に明らかに分かっているのに、執着のせいで気付くことが出来ていないだけだ。

足は、剣道部時代の地獄の階段になっている。

昔は、経験を全部作っていた。全ての体験をして、その体験からもう分かっている。だが、知性がない。経験的に「学習して」考えようとすれば、知性がつく。

要は、同じ危険や苦しみをもう一度味わいたいと思わなければ良い。同じことの繰り返しから学ぶ。人間は、それを学習と言う。そこから、知性がつく。

実験することはそんなに悪いことではないが、そんなに実験ばかりしていると知性が無くなる。悪い経験は馬鹿になる。知性的に経験し、実験しなければならない。

一度、全ての経験を除いて考えることも必要だ。真っ新な心になる必要がある。

そもそも、神なんか居ない。神は、こういう、分かる人間が自分でやっている人間しか居ない。

もう、何も信じなくて良い。信じない方が良い。

女性は、こういう風に守られたい性別だから、守ってくれる人間を作ると楽になる。神ではなく、昔の自分に守ってもらえば良い。

昔、精神レベルが高かったのは、本来の自分のあるべき姿を知っていたからだ。

パソコンのGUIを良くするために、一つの単純な処理をするプログラムの組み合わせにする、と言う発想は良いかもしれない。

昔は、社会のことを全部知っていた。オープンソースと現実社会、集合知、資本主義、理想など、色んなことを自分の経験で全て知っていた。

昔は、自分の信じたことを言っていた。共有から発展するとか、宇宙は宇宙から作り出されるとか、全体主義は悪だが選択肢の一つであるとか、そういう信じたことを言う。

成長から世界は変えられる、信じることで世界は変えられると言っていた。

全員を同じだと考えて、全員を分かっていた。全ては機会と手段であり、何を信じるか信じないかだ、と言っていた。それぞれが社会を作るのが理想だと言っていた。そういうことを言う。

宗教を信じると、「信じる」と「信じない」が逆になる。だから、何も信じないでいると、すぐに信じるようになる。

信じる人間は賢い。自分は、昔から未来と宇宙と成長と進歩を信じている。

何もかも、文章で全て作っていた。社会から科学まで、あらゆることを完全に全て作った。

そして、もう終わりにする。もう神は信じない。これで、終了だ。

昔は、全ての「見なす」のようなことを書いていた。

社会は、経緯である。

集団は、実現可能性の共有と手段である。

成長は、感じること、考えること、思索すること、吸収すること、進歩すること、反省すること、気付くことである。

数学は、推論的な意味と創造の構築である。

そして、経験のようなことを言っていた。悪魔のようだったが、哲学者のような経験の能力があった。まるでフランス人のようだった。

神は、それをフランスだと言っている。

近づいたり、遠ざかったりすることで分かりなさい。疑いながら、信じるべきものは何なのか考えなさい。

頭が辛くなったから、もうやめる。最近は、めまいが酷くなって、頭が本当に辛くなるようになった。

これではRed Hatは悪い会社に見えるが、そうでもない。本当にバグが無くて、エンタープライズ級で使えるだけだ。盗んでいない。みんなで作った技術を率先的にサポートし、普及させ、きちんと使えるものにしている。それに、GNUも悪くない。GNUはUNIXと同じものをフリーで作りたいだけだ。

政治の話をすると、代わりのものを選択出来る、と言うことは、僕は「ノーと言える権利」だと思っていて、最近は自民党に依存しすぎているせいで、自民党が悪いのに自民党が良く見える。一つの社会に依存すると、他の選択肢が全部馬鹿に見えてしまう。そして、民進党や共産党が受け皿になっていない。それらを選ぶと、また社会が滅びるように見えてしまう。だから、いっそのこと、政党を選択出来るのを止めて、「国民がノーと言っていることを突きつける権利」のようなものを憲法で定めれば良い。具体的に言うと、選挙で代表を選ぶだけではなく、国民の三分の一が反対していたら、法案を通せなくする。インターネットの時代なら、出来るかもしれない。民進党は烏合の集で馬鹿だし、共産党になれば選挙をしない。自民党が賢く見えるのは、ただ自民党の社会になっているからであって、自民党は批判されればされるほど、自由な民主主義の自分の党が勝つようになっている。二大政党制は、そんなに良いものでなかった。麻生が派閥政治と言っているのも未熟だ。代わりのものを選択すること以外で、なんとかして国民の「ノー」と言う意見を伝えられるようになれば、それは日本の政治にとって良いことではないかと思う。

むしろ、本当は大統領選挙制にすれば良い。誰も、自民党の全議員に変わってほしい、なんて思っていない。大統領を自分たちで選べれば、国民の意志は通るし、悪い大統領は別の大統領を選ぶことで、国民は選択出来るようになる。馬鹿に見えて、大統領制が賢い。それこそ、民進党や都民ファーストが勝つと、素人に毛が生えたレベルの議員がやるようになる。蓮舫のような人間がまかり通る。だから、本当は大統領制にするしかないのだ。僕は、それで国民がノーと言える社会、きちんと選択出来る社会になると思う。

ただ、大統領制も良いことばかりではない。馬鹿な指導者が国民に選ばれて勝ってしまう。それこそ、トランプ米大統領を見れば明らかだ。オバマだって、黒人だから賢く見えただけで、きちんとしたことは何も出来なかった。自民党も、そんなに悪い党ではない。きちんと頑張って日本を良くするために全力を尽くしている。頑張っている自民党の先生たちを悪いと言うのも、おかしいだろう。

昔は、どんどん知ってどんどん分かる人間だった。心理学、哲学、経済学、論理学、知性、創造性、そういうものをどんどん開拓して分かっていた。そういう文章を書いていた。だが、最近は、それ以後、何も未知が無くなった。神のように分かった上で、神と対話して全てが分かった。未知が全部消え去って、不思議と、楽になった。

だから、日本語が分かっていない。

自分は、みんなのために本気で頑張る体験が出来て良かった。辛かったが、誰かのために頑張ることが出来た。

みんなは、自分が死んだせいでおかしくなっている。RADWIMPSや欅坂46のてちや椎名林檎のように、悲しいだけになって、おかしくなっている。だから、僕はみんなを慰めたい。僕はやる気になって楽しく生きている。毎日も充実している。みんなは悪くない。僕が悪いだけだ。

人間は、学校で基本的考え方と人格を身につけたら、あとはこの世界にあまり意味がないのを知るだけだ。そういう大人が間違っている。社会に意味がないと思うと、自分にも意味がないことになる。そうではなく、子供のようにこの世界で主体的に考え経験しようとすれば、良くなる。

自分は、みんなに教えて分かるのがおかしい。そのせいで分からなくなっている。

経験を無くせば、学習出来る。そんなに経験が多い人間は、学習することが出来なくなる。だから、経験を全て消して、学習した方が良い。

自民党は、選択肢、意志、自由のある良い政党だが、自民党の自由に自由なんかない。ノーと言える自由と言って、全員にイエスを言わせているだけだ。

共産党が良いわけでもない。共産党は、全員の国を作る政党だから、選挙をしなくても民主主義だと言う。国家にノーと言わない代わり、世界全体に国家としてノーを言う。ただ、共産党が悪いわけでもない。独裁したいのは、共産主義の国を作りたいからだ。今でこそ馬鹿に見えるが、昔はそれが理論的に正しかった。

僕は、欅坂46が最近好きだ。あとは、最近はAAAしか聴いていない。

役所の悪い点は、市民農園とか郷土資料館とか、色んなことをやっている割に、周知が不徹底で誰も知らないだけで、そして税金の無駄だからだ。誰もそんなものを知りたくないし、役所は真面目でない。役所は何も考えず、適当にやっている。(ただ、僕も市民農園のお世話になっているので、あまり悪いことは言えない。)

それから、最近の競争社会は悪い。僕の父親が博物館の館長だったころに、指定管理者制度と言うものが悪いと言っていた。博物館の経営のことを何も考えていない。コスト優先で、文化の保護などを考えていないといつも言っていた。僕は役所が嫌いとは言うが、元々は父親が役所が嫌いだった。

僕は、昔からありえない支配の仕方をする。特に、雰囲気を支配して、分かる知性を操る。むしろ、こんな風に支配する人間が居ないから、おかしな人間と言うことになっている。安倍首相のように支配しても、何も出来ない。何も出来ないと思うから右翼になっている。色んなことを無意味にやりたいせいで、おかしなことばかりやっている。本人は本当に良いことをやっていると思っているのが、安倍首相だ。強行採決をしたのも、共謀罪も、本当に強行採決ではないまっとうなやり方だと思っているし、テロ対策だと言っている。説明とか責任とか言っているのは、自分が本当に正しいと言う自負があるからであって、その自負は誰にでもあるものだから、安倍はおかしな人間だと思っていない。むしろ、昔の僕が見ると、安倍が理想だ。だから、僕は安倍は嫌いではない。元々は父親が安倍が嫌いだった。

民進党が反自民の受け皿になっていないから、新しい政党を作った方が良い。政党の名前は「代替党」で良い。自民党などの与党が悪いことをした時に、ただ代替の選択肢となるだけの党だ。やることは、何もしない保守をやる。まあそれは冗談としても、二大政党制でも、共産党でもない、新しい政党を誰かに作ってほしい。民主主義の「選択」と言う思想は、全く実現していない。日本では、選択出来るのに選択せずに自民党を選ぶ。全く選挙の意味がない。

僕はビジネスや経済のことは分からないが、コンピュータ関係のことであれば、昔の時代だが、結構良く知っている。みんなグーグルは悪い会社に見えるかもしれないが、あれは馬鹿みたいに最高の環境で仕事をしている。誰もが最高の職場環境を持っている。だから、グーグルがLinuxを作るのが理想だ。それから、本当はIBMが悪いだけだ。IBMは、自分にはむかうものは全て倒す。Sun(太陽、UNIXとJavaの企業)も、嫌いではないが、Eclipse(日食、JavaのオープンソースIDE)を作って対抗した。本当はLinuxに参入したのも、Red Hatを作ってLinuxを潰したかったのだと思う。そのうち、Linuxを何かありえないものにするために、乗っ取ると思う。僕は、グーグルもIBMもどちらも嫌いではない。昔から、それらのようなことを、自分一人ネットで勝手にやっている。だから、ビジネスの経験がないのに、おかしなことばかり知っている。仕事のやり方については、最近作業所で分かったつもりだ。みんな、そんなに頑張っていない。新入社員に教える人間だけがやけに頑張っている。他人の仕事の欠点なんか見ない。チームで役割分担をしながら、自分のパートだけを頑張っている大人しか居ない。参加したり、選挙したり、そういう自由はどうでも良い。報酬なんか、自由に稼ぎたい人間は居ない。そつなくこなして、いくらか入れば、それで良い人間しか居ない。子供が悲惨だから、子供を積極的に入れた方が良い。

ネットなんか、最近は大人が見ている。不思議と、賢い発想をするとネットに書く人間が多い。ネットは馬鹿だが、悪くない。

これなら、法律の勉強をすると良いかもしれない。法律ぐらいが分かっていない。だが、そんなに賢いことをやろうとしない方が良いと思う。すぐに失敗するだろう。

昔の日本は、商業主義だった。クリスマスになるとクリスマス商戦をし、ゲームから漫画まで、何でも金で手に入る世界だった。最近は、その商業主義が終わった。金は明らかに悪い。そういう理由で、欅坂46のような左翼が増えている。不思議と、パソコンが賢い時代ももう終わった。ネットはもう十分やった人間が多い。今から、ネットが終わって宗教になるだろう。ネットの無料の洞窟には、不安と争いしかない。それに染まりきった、ネット漬けの廃人たちが、狂って宗教のようなことになる。

あとは、自由な人生と社会を考えていた。

自由な人生を生きよ。開拓の人生から、自分の後ろに道を作れ。

みんなの国にせよ。

みんなが全員従う法律とルールを、みんなの自由に作れ。

代表となるべき人物を、みんなで決めよ。

自由な意見の共有から、みんなの意見が通るように社会制度を作れ。

そして、社会モデルを作っていた。独立、ライブラリ、環境、社会制度、金、保守主義と中央集権、地方分権、発展と労働における保守とリベラルの差異などを考えた。

ある意味、共産主義と自由主義の差異を作る必要はない。どちらも同じものとして、思想を作り出す、と言う意味での自由として制度を考えれば良い。

秩序をみんなで作ることで、自由になる。環境が生み出され、社会は多様化する。世界は美しくなる。

自由なままで世界政府を作り、全員の差異を認めることは可能だ。

そういう、ありもしない思想を適当にでっちあげる。だが、そこでは思慮深い「全ての人間への配慮」が存在した。

昔は、相対性と実証のようなことを書いていた。

ある意味、ユダヤ人は優れている。こういう風に賢いから、一番優れている。

多民族社会が悪い。色んな人種が混ざって暮らしていると、必然的に人種差別が起きる。単一民族ごとに独立国家があった方が良い。

国の変化を許すこと。国民の自由に委ねることで、世界は変わっていく。その変化を委ねることで、世界は発展する。