新・日記2に戻る | 2017年8月の日記に戻る

=2017-08-01=

昔は、神との対話をしながら、世界を導き、自分のことを神のようだと感じることから、「神の世界観」を分かっていた。

全てはユダヤ人から生まれ、天でイスラムが会議を開き、神は4人居て、それが200人に増える。

自分を神だと思うことから、世界で起きている歴史のことが分かっていた。人類の進歩が全て分かった。

だが、あれはおかしな人間だった。

神とは自分のことを言っていて、御業や天国は自分の作った国のことを言っている。悪人は地獄に堕ちるとは、自分のことを言っている。

そして、ユダヤ人だけではなく、日本人すら、そういうことを言っている。そのように考えた上で、世界を滅ぼすのが神であると考えていた。

ただ、そういう風に考えるとおかしい。おかしな精神病になっている。だから、そんな神は信じない方が良い。

生物や物理など、科学のことを良く考えた。

何も知らずに考えることで、たくさんのありえない「実際に存在しない実際」や「生態系の仕組み的な自由」を考えた。

独りだけで高い精神レベルを分かっていた。そういう、マスターのような哲学者だった。

人間は、全て死んだままで生きた方が楽になる。全て生きていると馬鹿になる。全て死んだ上で生きるのが楽だ。

そろそろ、僕はこの文章を書くのをどうにかして止めたい。

止めるためにどうすれば良いのか、考えることにする。

文章を書いても、辛くて疲れるばかりで、良いことが何もない。

だが、思いついた時、書かないで居られなくなる。書かないと気が済まなくなる。

そして、自問自答をしていると、書かないといけないような気になってしまう。そうでなければ、自分のやるべきことが出来ないような気がする。

ある意味、辛い地獄なのに、「やりがい」のようなものになっている。

もっと別のやりがいを作った方が良い。

そういうわけで、なんとかしてこの文章を止めたい。出来たら、本当にこれ以上書きたくない。

高い精神レベルで考えると、この世界に間違いは存在しない。

対話の神によると、世界は7つの層があり、自由とは人々を助けることから生まれ、真理とはそれを行うための実現方法と、生きる上で発見される必然的発想である、とされている。

神は神ではなく、ユダヤ人を救う人間のことであり、天に居るように見えて、天と言っている天も天ではなく、天とはこの世界に生まれる天国のことである。

そういうことを、既にキリストが言っているのに、みんな分かっていない。自分だけ、僕だけが、そういうものを自分の体験から分かった。

昔は、自分の体験から、この世界の場を分かっていた。たくさんの経験をして、この世界の経験がどういう経験になるかを考えて、知って分かった。

もう、止めたい。本当に疲れるようになった。作業所でも、疲れて作業が出来ないことが多い。だから、もうこの文章は止める。

みんなともお別れだ。もう、僕の居ない世界になる。大して居る意味もなかったはずだ。色んなことがあったように見て、本当に何もなかったはずだ。僕が去れば、昔の世界に戻るだろう。さようなら、また会う日まで。

昔は、必然性や決まりを考えていた。考えていると当たり前にそうなる。マルクスなんか誰でも出来る。あんなものは賢くない。

出来るだけ厳密に考えて、厳密に捉えなさい。

信じなくて良いことは、信じない方が賢い。

そして、明らかに信じるべきだと言われても、信じない方が良い。自分の経験した中で、自分が同意出来ることだけを信じなさい。ブッダが同じことを言っている。

さようなら。本当は、僕のことなんか嫌いで良い。僕も、みんなが嫌いだからだ。それで、この恋愛は終わりだ。最後にどちらも嫌いになって、終わりにしよう。

この世界に、間違いや失敗は存在しない。間違いや失敗は、自分のためになる。自由な中で経験しなければ分からないし、失敗を一度経験することで乗り越えることが出来る。だから、失敗しない人間には分からない。みんなもたくさんの失敗を経験してほしい。そこから、きっと何か大切なものが見つかるはずだ。

本当に、これでお別れだ。本当は、僕は最初から何も教えていない。だから、あなたが自分の目で知ってほしい。自分でしかと掴んでほしい。僕は何も教えない。これ以上はあなたがあなたの力によって得るべきだ。今はまだ分からないかもしれないが、そのうち僕の言っていることの意味が同じように分かるだろう。だが、何も賢いことは言っていない。分かったとしても価値や意味はない。

いつもの僕の神との対話と同じだ。ただ、ロシアを作業所の環境、ドイツを自分の書いた文章、フランスを考えた人生、ユダヤ人を神、黒人を自分と言っていただけだ。

ただ、僕がまだ右往左往するのは続くと思う。そんなに簡単に文章を止められるわけがない。また、30秒後に思いつくだろう。この文章はそれの繰り返しだ。何の意味もない機械的マシーンが自分だ。

昔、ネットで分かっていたものが心をむしばんでいる。

弁論術から法律を分かり、コンピュータから数学を分かり、機械の発展から歴史を分かり、精神の変化から心理学を分かり、プログラミングから物理学を分かり、オープンソースから経済学を分かり、IT技術の競争からビジネスを分かっていた。

そして、ネットの王になることから、首相を分かっていた。

そういう、昔ネットで分かっていたものは、何も分からなくなっている。そういうところを治すと治る。漫画やアニメから愛を分かり、雑談から青春を分かっていた。

だから、そろそろそこらへんをきちんと分かるようにしていくと、もう分からなくなる。

心が恐怖を感じるのは、自分独りだけで世界を敵に回すようなことをするからだ。革命家になったのが悪い。

本当にするべきことは、自分と相手の立場を逆転させることだ。あなたが言って、僕が聞けば良い。自由に色んなことを言って、僕を無視して話してほしい。

昔は、自然発生や影響力を信じていたが、それもインターネットだった。今の方が賢いのに、昔があるせいで馬鹿になっている。忘れた方が良い。

もう、文章を書くのは終わりにする。この文章を書いていると、疲れない間に色んなことを全部して、疲れる時にどっと疲れるようになる。疲れが一度に全部来て、それに抵抗することが出来ず、豆粒の中で恐怖の中じっとしているような、そういう風になる。本当に、こういうことをしない方が良い。

昔の永遠の戦いが、そのまま停止するのが怖い。一番怖かったことが今でも怖い。

それで、怖くなっている。永遠の戦いが怖い。

何もせずに、時間が過ぎれば良いが、いつも何もしなかったせいで、何もなく時間が流れるのすら、出来なくなっている。

そういうわけで、もう、破綻している。

だから、死と言う人生の終わりは、あった方が良い。色んなことをやっていると、人間はすぐに破綻する。最近の人間は賢いから破綻しないが、僕のような人間はすぐに破綻してしまう。

不思議と、僕はもう全て治った。永遠の戦いを忘れて、この世界を正常にしたい。そのためにあるのが、「全部なかったことにする」と言う最終手段だが、それは最後の最後にとっておいた方が良い。いきなりなかったことになると、こういう風に、何があったのか分からなくなって、おかしくなってしまう。色んなことがたくさんあったのに、覚えていないようになる。それが、最後の瞬間だ。そして、その上で今まで全てあったことを頑張って思い出して、まともに文章に書く人間が、こういう馬鹿な作家に一番多い。

怖かったから、もう昔のことは全部忘れる。何も覚えていない。忘れたい。

人生論は、実存的本質、影響力、主体性、意志、意図のような、実存的な段階的人生論のようなことを言っていた。それで、昔自分にあったこと、分かったこと、知ったこと、考えたことなどを言う。経験論や精神論のような構造を作る。「世界とは生命の神秘である」のようなことを言う。

人間は、やることがたくさんあった方が楽になる。最近、パソコンや家電があるせいで、人間は何もしなくなった。何もしないから辛く、馬鹿になっている。パソコンの本質は、そこにある。逆に、学校は意味がない。意味のないことをしていると、悪い人間になる。そういう悪い人間が、昔の平成時代に多かった。

終わりにする。今日はこれくらいで疲れた。もうしたくない。明日から、もう書かないことにする。そういうわけで、もう本当にさようならだ。

自分の名前は、優一(ゆういち)と智子(ともこ)と言う名前にする。普通の名前が良い。

優一の本質は、「嫌い」だ。この世界のことが嫌いだった。みんなのことをカケラほどにも愛していない。自分だけの世界で、自分独りだけで分かっていた。

智子の本質は、「好き」だ。この世界の全てが好きだった。あらゆることを全部やりたかった。みんなのことを愛し続けて、自分に危害を与えるものすら愛していた。

この二人は、ただの二つの人格ではなく、このまま全てになる、アダムとイヴのような、永遠の魂を持つ。

そして、この世界はもう終わりだ。終末の主催者が僕だ。裁かなかった。みんなをそのままにして、放っておけば善人が勝つようにしただけだ。

昔は、世界を誰にも支配出来なくしていたが、最近それを出来るようにすると悪かったから、また出来なくする。

世界は、僕にしか支配出来なくなるだろう。

昔は、予想と予測から先読みしたり、全ての同じと違うを把握したりして、分かっていた。

不思議と、今日は楽しい。作業所で辛かった代わり、良いことがたくさん起きた。Qiitaの方も、馬鹿にされるだけではなかった。

そういうわけで、今日は良い日だった。明日はきっと良い日になるだろう。