新・日記2に戻る | 2017年7月の日記に戻る

=2017-07-31=

僕は、みんなのことを認めれば良いのが分かっていない。

自分の悪い行動を反省し、みんなの自由を与え、今のみんなを肯定し、みんなを認めれば良い。

みんなを変えたいとか、自分のしたことを良いことにしたいとか、みんなにもっと良くしたかったとか、そういうことに執着するのが悪い。

みんなを認めること。認め合うことで、人は自由になる。昔は、そういう、理性的に認めることで、現状を肯定出来ることを良く分かっていた。

ネットも、相手のことを認めれば社会が上手く築けるのが分かる人間が、昔は多かった。

認識は、認めることで生まれる。そもそも認識がないから、認識が気持ち悪くなっている。何もせず何も認めないものは、虫だ。

僕は、あなたのことを認める。だから、あなたも、僕を認めてほしい。

自分は、そういう、自分が認められるのが怖くなっている。

昔は、全力で解決して分かっていた。地獄の中で、絶対に解決出来るはずだと信じ、絶対に解決しなければならないと信じて、地獄を治すために考え続けた。

それによって、不可能なことを全部分かっていた。だから、今でも、そういう天才的知能が残っている。

だが、昔の自分は、世界を解決したのが悪い。

解決した上でおかしなことをしたせいで、みんな、何も分からなくなった。

一度、解決したのを忘れた方が良い。世界を解決する前に戻せば、みんな自由になって、荒くれた世界にはなるかもしれないが、普通の世界に戻れる。

昔は、良い世界に出来るはずだと信じて、相手のせいにせず、世界を救うために自分の力で考え、きっとみんな自由な中で良い社会を作れると信じて分かっていた。

いじめられても、相手を愛し、相手の人間性を自分が変えられると信じていた。

この世界が放っておかれているからと言って、人々を恨まず、自分の力で、純粋に人々が何をいつ思うのかを考えて、その解決方法と出来る可能性を考えて分かっていた。

きっとこの世界は、救えるはずだと思っていた。観念だけではなく、昔の抑圧された世界の中で、強く生きて、抑圧を悪いと思わず、結果としてあるだけだと信じていた。

辛いこと、苦しいこと、それは全部僕が治せると思っていた。そして、この世界のことも、きっと理解し合うことで変えられると思っていた。

そして、愛の意味を考えていた。愛こそ、自由であると考えていた。

それから、自由を考えていた。それが出来ることも、出来ないことも、出来るだけそのことが分かっている人間に自由にする。その人間が適切に変えられるようにする。

だが、その人間だけでは分からないこともある。その時は、経験のある人間が助言すべきだと考える。

そして、教え、教わり、助言を得ることで、自由でもきちんとした社会を実現することは可能だと思っていた。

今、自分がこんなことが出来るのも、全て自由の意味しているところでの、自由のおかげだと考えた。だから、絶対に自由は悪くないと考えていた。

昔は、怖いことが多かった。最近の僕は、思い出せない怖いことがたくさんある。思い出すことが出来ないことがたくさんある。それは、思い出さなくて良い。

自分は、何もしていないし、何も頑張っていないし、今まで何もなかった。だけど、本当に遊んでいたわけでもない。何も出来ない中で、何もしなかっただけだ。

だから、今から頑張れば良い。でも、それは難しい。

神は二度現れる。一度は2006年に、もう一度は2017年に現れたはずだ。みんなは、神に仕える天使となるだろう。

認めること、自発的な自由を行うことによって、世界は変えられる。

あと、何か一つ言いたいことがあったが、忘れてしまった。最近は、良く言いたいことを一つだけ忘れてしまう。

きっと、これが最後の文章になると思う。

最近は、やっていることが多すぎるのかもしれない。特に、このホームページを書く意味がない。だから、本当にもうこのホームページは書かない。

さようなら。また、どこかで会いましょう。

僕は分かっていないが、昔は賢い人間だった。あれは、全てを経験し、全てを考え、経験と捉え方、そして善の理性を使うことで、この世界を平和にした。素晴らしい人間だった。

昔は、意識によって場を分かることできちんと分かっていた。

最近は賢くないが、もう、ゼロのままで昔の自分を全部書いた。こちらの方は何もない世界だ。何も見ず、聞かず、言わず、せずに分かっている。昔の自分なんか、何一つ書けていない。昔の自分があまりに馬鹿に見える。

そういうわけで、昔は最高の人間だった。だが、欅坂46が言うように、語るなら未来を語るべきだろう。

こちらのサタンと昔の神をどちらも消そう。この世界を僕が支配する意味はない。最初から、支配なんか絶対にしたくなかった。知性がなくなっても、支配だけはしなかった。

自分は、このまま、認知症が終わって多重人格になる。

昔の自分が、お別れを言う。みんな、本当に僕を愛してくれて、嬉しかった。言葉足らずで申し訳ない。僕は、僕の名前を知ってほしかっただけだ。匿名なままで世界を変えてしまうせいで、滅びるのが最初から分かっていた。結果的に、自分から滅ぼした。本当に申し訳ない。そして、僕を愛してくれて、本当にありがとう。

それで終わりだ。みんな、さようなら。

まだ、少し書くことが残っている。

昔は、発想や認識を吸収して、感覚的に分かっていた。

ものごとは、分かってから見るのと、分からないで見るのとは違う。昔は、決まりや原理を分かってから見ること、分からないで見ることを比較して分かっていた。また、決まりや原理を作り、経験することで分かっていた。分かっている状態と分からない状態をどちらも分かっていた。

僕は、この世界を善良な世界にしたい。自分がするのではないかもしれない。

相手のことを、自分と同じ、かけがえのない存在だと信じなさい。

世界のことを、たった一つしかない、かけがえのない世界だと信じなさい。

自由や近代化を信じるのではなく、秩序や調和を信じなさい。

自由な中では、正義が勝つのだと信じなさい。

そして、自分がいくら虐げられ、抑圧されたとしても、自分の心は勝利の心を持っている、と信じなさい。

その心は、きっとたくさんの苦しみを経験した上で、この世界を平和に出来る、唯一の心だ。

昔は、三千年の歴史の謎を解いていた。

ルネサンスとフランス革命は自由であり、中世とロシア革命は平等だ。

きっと、良い世界になる。僕が全てを支配したり、もう僕はしない。みんなの手で良い世界になるように、僕は少しだけ導く。世界が必然的に良くなるようにしたい。

自分の力を見くびってはならない。あなたの力よりも、強い力はない。

もう僕は、間違ったことをしない。間違ったことをしない人間を善人と言う。もし間違いをしても、すぐに反省し、次からはしないように心掛ける。それが善人だ。

僕は、支配しないし、人をいじめない。もし支配することがあっても、きちんとみんなのために責任を持って頑張る支配者になる。

ただ、僕はもう支配したくない。最悪の支配者になった。もう、こりごりだ。

自分の身の回りで、善や良いことを少しずつやっていきたいと思う。作業所のスタッフはみんな良い人間だ。それらを助けて、目標である自立に向けて頑張って生きたい。

僕は、最悪の支配者を反省する。あまりに狂った人間だった。でも、少しは良い点もあると思う。目標はおかしかったが、世界を治すために本気で頑張って、きちんと神を信じていた。僕に全ての問題があるが、逆に、他人のせいにはしなかったし、最後まで自分だけの力で頑張っていた。むしろ、迷惑はかけていない。

だから、もう、支配者は辞めることにする。世界を支配する役は、もっと別の誰かにやってほしい。無責任かもしれないが、ここまで頑張った僕のために、自分で自分をほめてあげたい。ただ、むしろ、そんなに頑張っても頑張っていない。自分なんか何もしていない。自分なんか死ねば良いとは言うが、もう少しプライドと自尊心を持った方が良い。

僕は、もう絶対にこの世界を支配しない。

善良な人間になりたい。

みんながそれぞれ、満足を得ながら頑張ってくれていれば、僕はそれで良い。みんなが笑っていてくれること、それが僕の願いだ。

一度、この世界を解決するのをやめたいと思う。もっと自然に、みんなの手で解決するまで、僕は独りだけで頑張るのを止める。みんなが頑張るようにしたい。

一応、言いたいことを最後に言っておく。

僕は、自分の国のことしか考えない、自分勝手な国の支配者は倒して、この世界全体のことを考える、平等な世界を作る。

そのために、僕は政治や権力は使わない。僕は、ペンの力でそれを達成する。

今の平和を壊す勢力に負けず、平和を信じるものたちだけで、自立し、敵も拒まず、みんなの世界にする。そして、この世界は、戦争がなくなって平和になるだろう。

それで終わりだ。自分の国のことしか考えない自由はおかしい。そもそもそこがおかしいのが、アメリカや北朝鮮や日本だ。

競争は良くない。自分たちだけが勝とうとするのはおかしい。昔競争が良かったのは、まだ健全な発展をしていたからだ。今の発展はおかしな方向に向いている。ベンチャー企業がロケット打ち上げを頑張っているそうだが、僕は今から宇宙開発なんか、馬鹿にしか見えない。バーチャルリアリティも、自動運転も馬鹿だ。ただ、昔に戻りたくても、戻れない。

昔の発展も、必ずしも良かったわけではない。石油エネルギーの莫大な燃焼によって、地球は温暖化し、異常気象が増えている。そして、原子力や核兵器の問題もある。全て、ドイツのようなおかしな国が悪い。だが、どこかの国を一つだけ悪者に出来るほど、自分の国が優れた国ではないのは、誰が見ても明らかだ。

僕は、漠然とした「ネット社会」と言うものを消して行く必要があると思う。誰もがインターネットとパソコンに依存し、そこから逃げられない社会はおかしい。インターネットではない第二・第三の社会コミュニティのようなものがあっても良い。全員がネット社会に適応出来なければ生きられないのはおかしい。

昔の日本なんか何も良い国でない。チンピラとオタクが多かった。全て、今までの全部に意味がない。一度、完全に新しい国になった方が良い。