社会のみんなが何を知っていて、何を考えているのかから、社会を実地的に考えていた。
社会のみんなが何が出来るのか、立場上何が許されているのかを考えて、「実際には出来ないけれど、本当は出来ること」を考えていた。
そこから、社会制度や労働のことを知った。みんなが何が可能であるかを知ることから、自由を知った。
世界はいくらでも改善可能であり、自分によって確かに世界は救うことが出来るのだ、と知っていた。
昔は、環境活動を考えていた。
全ての活動の、全ての環境を知っていた。全ての環境と活動を、適応と把握から分かった。
全ては反応である。そういう科学を作っていた。
自尊心を大切にすること。自尊心から愛のある社会が生まれ、認め合える社会をきっと作れる、と思っていた。
昔は、自分の人生に重ねて言葉を書いていた。「自由から運命が生まれ、共同体と喪失から真理が分かる」と言ったことを、記憶の中の人生の上で書いていた。
意識で全て分かっていた。小説も、分かっていたせいで書けた。
自分は、男になる。絶対に男になる。女になっても、あまり良いことは無かった。男になると、昔の自分になる。多重人格になるかもしれないが、男になれば楽になる。
女は、男を「分からない性別」とか「何もない性別」と思うかもしれないが、男は辛い時に努力し、未来のことを白紙にし、今だけにしながら、理性的かつ科学的に考えることで、正しく状況を考える性別だ。
神が居ると言うが、もっと大きな事実は、「魂」と言うものが本当にある、と言うことだ。魂は、人間の血液と繋がっている。魂を治すことで、人間らしさを取り戻すことが出来る。ただ、魂を治せば良い。肝臓と腸が治って、脳が楽になる。
自分は、小学校時代の明るい友人たちを、中学校に入ると同時に「失う」体験をした。その失う体験が怖かった。そのせいで、後に引き篭もりになった時も、逆に中学校時代の友達を「失う」体験をさらにしていた。それでおかしくなった。あとに、全てを失う体験を戦争時代にした。だから、いつまでも失うだけを繰り返すようになった。
心の奥底が怖いのは、その失う体験が悪い。今の時点で、正常な日本社会、正常な知性ある自分、正常な健全な家族や友人を失っている。そして、人々も、自分と同じようにどんどん大切なものを失っている。そういう、失う自分が許せなくなっている。だから、おかしくなっている。だから、もう失うことはしない方が良い。
きっと、魂を治すことで、それらを浄化出来る。それに、男になることで、楽になるだろう。
そろそろ、終わりにしなければならない時が来たかもしれない。もう書かない。今日は作業所では、カレンダーが完成した。良いデザインが少しずつ出来るようになってきている。そちらの方に時間を割きたいと思う。だから、さようなら。また会いましょう。
良く考えると、自分は、待ち望むのが辛いだけだ。終わりを待ち望むのが辛い。あとは、怖いのは、多重人格で全てを失うのが怖い。
あまりおかしなことを言っても意味がないから、それで終わりにする。さようなら。もう、この世界から僕は居なくなります。でも、僕はきっと生きています。それでは。
とは言ったが、まだ書くことが出てくる。
良く考えると、男だから分かっていただけであって、賢いことは言っていない。
人間の実存性と、社会の実現性を、自分の心と体験から、必然的に進歩していく段階として、奥底にある記憶をひも解いて考えた。
何が優れた価値観なのか、何が正しい社会なのか、功利主義的に考えた。ある意味、全ての社会と価値観が正しいと言える。
心がどうすればどうなるかを考えることで、何でも出来るようになる。
抽象性と具体性のバランス、理想と現実のバランスをとれ。
重要でないことに時間を取られるな。重要でないことをしなければ良い。
女は馬鹿ではない。女は、不可能なことをきちんと分かる。いつも辛い女は、何でもすぐに出来るようになる。
あとは何か考えていたが、忘れてしまった。
知ることと場合を考えることから、全ての状況を仮想的に心の中に作り出せる。
失う体験をしたものは、本当に何を与えるべきか、分かるようになる。
この世界の滅びを体験したものは、何を恐れ、何を作るべきなのかが分かる。
そして、そろそろ本当に終わりだ。だが、この文章は続く。今日は、哲学者の男に戻った。男は哲学的な発想が分かる人間が多い。
記憶とは経験であり、経験とは記憶だ。
善は二つに一つ。相手の意志を尊重する人間か、みんなを平等にする人間か、どちらかが正しい。そして、どちらも同じだ。両方揃っていないと意味がない。
社会の成り立ちとは何か?人間が「出来る」とは何を意味しているか?
それが出来るようにするために、どんなアプローチが考えられるか?
最善策とは、間違っている可能性を起こさないことだが、逆に、間違っていないかもしれない可能性を生み出すことがチャンスになることもある。
経験とは、最善策とチャンスを見極めることだ。
技術や資本の真の価値とは、奪い合うことでも、競争して勝つことでも、独占することでもなく、平等に与え、機会と手段を生み出し、世界を正しい道へと調節し、そしてこの世界を飛躍的に進歩させるために、みんなでその価値を見極め、きちんと考えられた社会にすること、そのために技術や資本を使うことだ。
平等に技術を与える、と言う意味で、オープンソースは正しい。全員が最高の技術へとアクセス出来るようにすることは、資本主義の資本や技術を培うことと、矛盾はしないはずだ。アプローチが違うだけで、IBMのような大企業や、ライブドアのようなベンチャー企業がやろうとしていることも同じだ。みんなが技術の進歩の恩恵を受けられるべきだ。
愛とは、自尊心を大切にすること、そのものだ。それを、愛と言う。愛は世界を救う力を持っている。情熱の愛から「この世界を絶対に変えられる」と言う信念を持つことが出来る。
歴史はみんなで作り出していくものだ。
ありのままの姿になって、自分らしく生きることが、きっとこの世界を平和にする。
自然なことを知ることによって、この世界がどのように変わっていくのか、変貌していくのかが分かる。
自分で経験することでしか、自分の存在価値は分からない。
自分には何が出来るのかを分かることから、本当の自信が生まれる。それがそのまま、本当の能力になり、絶対的な「奪われることのない知から」になる。
あなたには何が出来るのか、あなたの経験から知ってほしい。
同時に、自分の経験から、他人には何が出来るのか、他人とは何が違うのかが分かる。そこから、本当の意味での「自分とは何なのか」を知ることが出来る。
そこから、「この世界が本当はどんな世界なのか」を知ることが出来る。
そして、何が何から生まれていくのかを知っていくことで、この世界の全てがどのようにして生まれたのか、自分が何を生み出すことが出来るのかが分かる。
進歩とは、創造性と情愛から、決して諦めない夢に挑戦し、人々と関わり、何が出来るのかを知って良き、この世界が何なのかを知るプロセスに過ぎない。
昔は、純粋な感情、自由な意志、自然な経験で分かっていた。
何が本当に役に立つのか、正しい社会とは何なのか、社会の作り方とは何なのか、共通合意とは何か、価値観を実現するためにどうするべきか、歴史とは何を意味しているか、自分の行動はどのように有効か、自由とは何を可能にすることなのか、などのように、段階的な社会形成論を分かっていた。
日本の問題は、居ない人間が支配していることだ。昔の僕はもう既に居ないのに、昔の僕のせいで分かる。その昔の僕が、間違った支配を日本に対してしているのだ。だから、きっと、新しい支配者が現れない限り、日本は治らないだろう。だが、そう簡単に自分を超える支配者は現れない。だから、ある意味で、みんなは僕のしたことに試されているのだ。何をしても自由なのに、まだ日本は変わらない。自由になっていない。僕に試されている間、悪いことは起きないだろう。
何かしたいなら、文化のようなことを何かすれば良い。
学校やネットにはもう何もない。これ以上、吸収したくない。これ以上は、現実世界を見て、自分の頭で考えれば良い。そうすると、きちんと分かるようになる。学校の勉強やインターネットは要らない。
その発想がどこから生まれてきたのかを知れ。
「ある」だけではなく、「あれる」と言うことを考えよ。そして、「あり方」を考えること。
カーテンは、ただぶらさがっているだけではなく、「開ける」と「閉める」と言う外部からの関係性が考えられる。
この世界には、ものしか存在しない。だが、人間の頭の中に、全てのかりそめのものがあたかも存在しているかのように振る舞っている。
今はCPUの言語からプログラミング言語が規定され、それがソフトウェアを規定しているが、逆に、ソフトウェアがプログラミング言語を規定し、それがCPUの機械語を決めることは、きっと実現出来るはずだ。
今のプログラミング言語は、パソコンの出来ることから言語の仕様を決めている。僕は、人間の行動と同じようにやる、と言うことに焦点を置いたプログラミング言語があっても良いと思う。