新・日記2に戻る | 2017年7月の日記に戻る

=2017-07-27=

昔は、作用、法則、実証、実験、推論、予測など、物理的な考え方で世界のことを分かっていた。

人々の現状を知り、どのように変えられるかを知った。人々が思っていることを聞いて、正しいビジョンを作った。

今日は、とても良い日だ。この日に全てが終わる。そして、生まれ変わる。

おそらく、最初に数学をやってから経済学をやるのが大学の普通だが、それは間違っている。本当は、先に経済学をしてから、世界の全てを把握した上で、数学をするべきなのだ。僕は、そういう、「その方が正しい順番だと思う、科学の習得の方法」を助言のように書いていた。

昨日から、作業所でカレンダーのデザインをしている。なぜか、デザイン力がついてきたと自分でも思う。

あとは、自分独自の自由な思想のようなことを言う。プロセスは公開し、全員で改善すべきであり、そのために社会制度をみんなで決めるべきだと言っていた。

自分は、嘘をついている。それも、他人に対してではなく、自分に対してだ。お別れしたくないからお別れだと言ったり、しないと言ってしたり、したくないと言っていることがしたかったり、そういう、「言葉では逆のことを言って、頭の中ではやりたいことをやる」と言う嘘をついている。自分でも何が嘘なのか分かっていない。

昔は、自分のことを本気で治していた。絶対に治すと信じていた。

要は、悪魔が良い。悪魔のように考えれば分かる。

全ては想像力の産物であり、社会の潜在的可能性の環境的な具体化と把握である。

把握することから、常に環境は生み出される。

「生きている」とか「エネルギー」とか、そういう発想は人間の知覚の側にある。人間世界の全ては知覚されていることであるが、人間には本当の客観的世界は分からない。

そういう風に、悪魔のように考えることで、哲学的思考が可能となる。

感情と意志から、世界は変えられる。

全ては、理解と可能性による、この世界の変化の創造である。

この世界に対して、現象を起こすことは、それ自体、影響力であって、影響力が高まれば高まるほど、この世界を変えられる「権力」を持つことが出来る。

フーコーが言っているように、知は権力である。同時に、知性は経験である。

全ては、神とエネルギーの作用による、この宇宙の人間への現象的メッセージである。

全ては、状態と決まりの経験的創造である。

それぞれのことを本当に信じれば、きっと良い未来は築けるはずだ。そのためには、一人で支配するのではなく、それぞれがそれぞれの環境を変えるべきだ。

知性とは、愛と不安の感情の反応の中で決まりを考えることだ。

影響力とは、常にこの世界に存在する、あらゆる変化のことだ。

科学とは、考え方から相対的事実を知り、あらゆる可能性を捉え、対話し、知識を吸収し、そして自分の手で知を作り上げ、それを共有することだ。

科学の向かう方向は、自由だ。だが、その自由は、もっとコントロールされ、支配されるべきであり、それは一人の手ではなく、万人の手によるべきだが、戦いは必要ではなく、争い合うことを止め、それぞれがきちんと相手のことを理解した上で、一人一人が最適なことが出来るように、自由を配分して科学を作り上げるべきだ。

それがそうであるだろうところから、「それが出来得る・し得る状態」を知ることで、世界の全ては自分のことのように理解出来る。

経験とは、ありのままの事実を自然に正しく知ることから、この世界のことを考えるために、実例と発想によって経験することである。

知る、と言うことは、人格を増やす、と言うことであり、作る、と言うことは、プラットフォームを応用する、と言うことである。

まさに悪魔のようだが、こういう風に書いていた。もう少し日本語で想定的に考えれば分かるはずだ。環境をじっと見つめることから、何も分からなくなって気付いて分かっていれば、誰でもこういう悪魔になる。悪魔は馬鹿ではないが、良いことが何も起きない。悪魔が賢いのは、キリストが騙しているからだ。

地獄は、生きているままでなる。

生まれ変わりは、地獄である。

環境は、想像力、多様性、環境、統一、影響力、創造性、共有、所有、問題の解決策を考えることである。

体験は、運命と自由である。

体験することが、人々を幸福にさせる。不安な中においても、体験していれば、人は幸福で居られる。

影響力を行使することで、世界はいくらでも変えられる。思っている以上に、影響力が出来ることは多い。

コンピュータを学ぶことは、人を成長させる。成長から、情熱と挑戦する心を持つことが出来、そこから心構えと積極的な判断基準が生まれる。

認識は、絶対的ではないが、方法的に考えられる。

目的や理由のないところに、本当にやれるだけやれる可能性がある。

人を許すことは、永遠の魂を浄化することに繋がる。

人を大切にすることで、人を救い、神と融和することが出来る。

人間は不完全だが、素晴らしい存在だ。神は、人間を素晴らしい存在にするために、人間を不完全にした。

神は完璧な機械であり、どんなことが起きても、その人間を完全に否定することはしない。誰もが同じように愛されている。

神の愛とは、永遠の苦しみを乗り越えることであると同時に、素晴らしい知性を発揮する人間には、それが望んでいることを起こさせる。

全ての体験をすることで、苦しみを賢さに変えることが出来る。

本人が思っていないほど、過去の自分は美しい。

可能性は、経験の発揮による全ての具現化であり、実像からフィクションを作ることである。

社会を知るために一番良い方法は、自ら王となって社会を作ることである。

キリストは、コンピュータのことを悪魔だと言っている。

昔は、資本主義を知り尽くしただけだ。

全ては、共有し、再利用することが出来る。

環境と場を変えることから、世界は変えられる。

調べて考えながら、共有しなさい。そして、社会を大切なものだと愛しながら築きなさい。

信じながら疑うことで、全ての知は自分のことのように理解出来る。人々のことも、自分のことのように「同一感情」になることが出来る。

想定することで、他人の心がいつどうなるかを、自分の心の中で一つの同じ経験として捉えることが出来る。

全ての社会は、共有から作り出せる。その経験を作り出すことが出来る。

実際の環境や状況と、そうなるはずだと言う原理や可能性や因果性を、照らし合わせて考えなさい。

そう出来るはずだったとしたら、それをしてどうなるのかを知り、そこからまた違う出来ることを見つけなさい。

基本は、「そうかもしれない」と思うことと、「実際の状況」を知ることだ。

それではさようなら。また会いましょう。