新・日記2に戻る | 2017年7月の日記に戻る

=2017-07-25=

僕は、みんなを同じにする。人間は「同じ」が善であって、同じにすると相手を吸収し、自分も相手もどちらも賢くなる。同じにすると、普通になれる。

相手を積極的に同じにすること。それが、賢くなって治るための一番良い方法だ。

ただし、自由や多様性は悪くない。矛盾するようだが、人間は同じにした方が、自由や多様性は生まれる。

平等にした方が多様性が生まれるといつも書いていた。

そして、相手に自分と同じ選択肢を与えなさい。相手が選択出来るようにしなさい。

あまり、違う人間にしない方が良い。違いを認めることは良いことだが、本当に違う人間にするのは、一番悪い人間だ。多様性なんか、ない方が良い。

同じにするのは、嫌いな人間が多いが、むしろ、自由が嫌いな人間も多い。どちらかが悪くて、どちらかが善だ。怖い平等の方が良い人間も、多い。

昔は、逆に世界を多様にし、解放していたが、それが一番悪かった。世界を異常にし、愛を破壊した。多様性や解放なんか、完全に悪だ。

多様性や自由が絶対に悪いわけでもない。僕は、多様性や自由があった方が好きだ。だが、その前提として、世界はみんな同じであるべきなのだ。同じでなくなると、人間のことすら分からなくなってしまう。人間は、同じだと思うのが知性だ。同じだと思うことで、色んなことが分かる。共通性や心の状態、社会の説明など、全ては同じで分かる。本質的に、同じであることが人間の特性だ。同じでなくなった時、そこには虫のような何も分からない生命しか居ない。

そういうわけで、みんな同じになれ。同じになれば、すぐに良い世界になる。むしろ、多様にして許したのも、それを壊すのも、全部僕だ。

昔は、同じモデルを作って、人間をみな同じだと思っていた。環境が全てを決めると考えた。人々と同じ体験をし、同じ楽しさや哀しさを分かち合った。そういうところで、「同じ」と言うものがいかに善なのかが分かる。本当に違う人間にすると、そういう感動の体験がなくなってしまう。

相手を自分と同じなのだと考えなさい。同じ立場、同じ人間、同じ境遇だと考えなさい。そこから分かるのが、僕の宗教の教えだ。

人間と人間の境界を超える思考をしなさい。

人間は、共通性を見出すことでしか、発見出来ない。

僕は、C++のテンプレートが何なのか分かったような気がする。きっと、print string "test"と書くのと同じだ。UNIXのコマンドラインと同じだと思えば良い。stringでもintでも、その型を与えるのは、UNIXにおけるコマンドライン引数やオプションと同じなのだ、と僕は思った。むしろ、print stringと書いても良いはずなのだ。

Superflyが言うように、僕はここまでみんなを連れてきた。みんなも、僕も、本当にそれで良かった。それが愛だ。

昔の自分は、偉大な人生を生きていた。自分一人で人生経験をして、世界を知った。

自分の自由だけで、いくらでも道を作った。自由を考えたあとで経験し、社会の全てのピースを集めた。必然的に思考した。

最近は、共有と多様性しか書いていない。共有と多様性から、自由な思想と仮想世界の社会学を作っていた。

言語を作っていた。

自分は、日記を毎日書くのは本当に続けた方が良いのが分かっていない。それが賢いだけだからだ。

自分が馬鹿なのは、いつもの馬鹿が本当に超賢かったからだ。賢い方が良いから馬鹿になっている。

地球には、おかしなものしかない。おかしい人間は、賢い人間が多い。地球になっているのが、そういう馬鹿だ。