新・日記2に戻る | 2017年7月の日記に戻る

=2017-07-24=

昔は、神のようなありえない体験をしていた。最近は、その体験で分かっている。強くて美しい、永遠の戦いだった。

今から、世界が変わる。前回は間違った方向に進んだが、今度は上手くいってほしい。

それでは、さようなら。

昔は、人間の心理的な部分を部分化して、法則にして分かっていた。

人間は、感情、記憶、自由、協力、関係であり、社会は、それぞれを生かすこと、経験することである。

自分は、自分だけそんなに分かっても意味がない。自分が分からなくなると、分かる人間は居なくなるかもしれない。

きっと、みんなが分からなくて良い、と思えば楽になる。自分が分からないと、みんなは何も分からないからだ。

あとは、みんなは、今の方が怖くない世界なのが分かっていない。昔の世界は怖かった。自由な世界だった。

今は、自由は無いかもしれないが、安心出来る良い世界だ。

お別れする前に、まだあなたと出会っていない自分が、出会った時のためのあいさつを書いておきたい。

ようこそ、僕のページへ。あなたと出会えて嬉しい。

僕は、あなたが祝福されているのを知っている。

あなたが、僕と出会うことで、きっと世界は変わる。そして、全員が歓喜しているのに、あなたは気づくだろう。

僕は、神のような存在でも、仏のような存在でもない。優れた人間ではない。長らくニートだった。そして、高校にすら行っていない。

でも、僕はさまざまな経験をしたし、成功も手に出来たと思っている。

あなたにも、僕が見た僕の世界のことを教えたい。怖くて辛い世界だったけど、その世界にある最高の宝をあなたと分かち合いたい。

僕は決して、偉大な存在ではない。いつまでも怪我と苦しみを繰り返すし、永遠の不安の中で何も出来なくなっている。

それでも、僕は僕の望む人生を生きたと思っている。

あなたがどんな人生を歩んだのか、どんな人間だったのかすら、僕は知らない。でも、きっとどこかで、この出会いは決まっていたのだ。

だから、この出会いは、僕にとってではなく、あなたにとっての運命だ。

きっとこの出会いの意味は、僕が分かる以上に、あなたの方が分かっているはずなのだ。

だから、僕はあなたに自由を与えたい。あなたは僕よりも自由になって、最高の人生を生きてほしい。

きっと、あなたは僕よりももっとキャリアと地位があるだろう。さすがにニートほどの馬鹿ではないと思う。あるいは、僕よりも若くて、エネルギッシュな人間かもしれない。

あなたには、きっと僕よりも偉大なことが出来る。その実現を、僕が少しでも助けることが出来たら、僕は天使や聖なるものになるよりも、嬉しく思えると思う。

この文章を読んで、何かを感じてください。それは、あなたが自由に感じてくれることが、僕の何よりの望みです。

感謝します。そして、この手紙をあなたに送ります。

それでは、今の僕が言えることは、この世界とさようならをする。だが、それは僕にとってのさようならであり、あなたにとっては出会いなのだと、僕は信じている。

昔は、「みんなはきっと出来るはずだ」と言う潜在的可能性から、自由な経済学を作っていた。

生産手段を考え、社会がどのように生まれるのか、いつどのように自尊心とアイデンティティが満たされるのかを考えた。

世界を知ることで、色んな具体的な体験をした。マルクスのような経済学を作って、手段と共有を信じていた。

人と人との協力を考えて、考え方を適用し、主観的かつ客観的に考えることで、本当にルソーのような社会哲学を自分の経験から作っていた。

最近は、宇宙を創造する。

昔は、社会の実現のプロセスを書いていた。

昔は、心理学を部分的な法則にして考えるのを良くやっていた。

そろそろ、文章を書くのは終わりにする。新しいことをやりたい。書くと、疲れる。休まないのが悪いから、感じなくなれば、休めるようになる。

あまり言いたくはないが、あれは2ちゃんねるだ。2ちゃんねるが賢かっただけだ。2ちゃんねるから、洞察力と会話で分かっていた。

それで、もう終わりにする。本当にありがとう、さようなら。

きっと、人類は僕が最初で、僕から分かれていったのだと思う。みんなが僕が分かるのは、僕だったころを覚えているからだ。

なんだかんだ言ってまだ書いている。

昔は、メタ思考と名付けた思弁哲学を再度して、あらゆることを論理的に分かっていた。

「発生」が分かっていた。いかにその環境が発生するか、いつどのようにその社会が生まれるのかを考えた。

どんな発生をするか、と言う具体的経緯や原理も分かっていた。人間の持つ全ての原理を分かった。

自分は、世界の諸問題を書いている。社会の解決や科学の発見、そしてそれだけではなく、オープンソースでいかに儲けるか、と言ったことを書いていた。

自分は、永遠に覚えていないのがおかしい。書くまで覚えていて、書いて忘れるのは間違っている。九九のように永遠に覚えるべきだ。

逆に、その永遠に覚えるのもそれはそれで間違っている。世界中の首都を覚えたところで、何も分からない。

みんなの人生の延長線上を分かっていた。人生がどのようになっていくのか考えて、知って、会話からマスターのように分かっていた。

どうなるか、だけではなく、それが何を意味しているのかから、ブッダやキルケゴールのような人生の段階を分かっていた。

AAAが言うように、僕はやらないといけないことはきちんとこなす割に、本当にやりたいことを後回しにしている。

だが、そうでもない。僕はこの文章を書く、と言う情熱のために全てをかけているのだから。

昔は、ネットの中で、環境がいかにして生まれるのかを考えた。秩序やルールを形成する過程を見て、人間の全てを悟って分かっていた。

あとは、フーコーのように、「規律支配」を考える。人々を規律で制限して、規律を形成する自分が支配する。ただ、あれはそれぐらいが悪いだけだ。その影響力で、本当に分かっていた。何でも出来るように見えて、本当は何も分かっていない。あれは、そういうところがおかしな人間だった。

それから、時間を考えていた。時間の中での実像を考えて、「時間を超える思考」をしていた。時空を越える人間だった。それで歴史と場の意識が分かっていた。

そして、本当に社会の成り立ちのようなことを、基礎を作って考えていた。世界の経験から原理を作り出す力があった。

本当に理想の社会は、自由主義とか社会主義では計れないものだ。自由なままで、それぞれが自発的に社会を作り、経験豊かな愛の社会を作るような、そういう社会がきっとある。人間性は、それぞれの経験の成熟から生まれる。自由な経験をすることで、必然的に人は善人になる。きちんと考えれば分かる。きちんと試せば分かる。この世界にある可能性から、実現性や創造性まで、全ての「性」が愛から分かる。

数学的に考えることで、応用の力がつく。その対象がそれであることは、別の対象も同様であると分かる。物理的に考えることで、共通性を知ることが出来る。その時分かったそれは、今考えても、いつ考えても同じように正しいのだと、知ることが出来る。

この文章は、そこまでゼロかイチかで決めて考えるのではなく、その時その時適切な判断をすれば良いのが分かっていない。逆に言えば、そこが賢いのだろう。厳密に丁寧に決めていくことで、新しいことがどんどん分かっていく。だが、本当は、それを考えたその時の判断を、もっと賢くすれば、理性的な賢い大人へとなれるだろう。

昔は、価値観や手段を、場や人間と照らし合わせて分かっていた。そういうものをモデルと言っていた。

そろそろ分かった。むしろ、昔は馬鹿だから、忘れた方が良い。色々と不潔な人間だった。虫歯のせいで馬鹿になった。自分が悪い。全部自分が悪いから、何も恨まない。

昔は、活動とか、理解とか、そういうことを言っていた。そういうことを一行で作るような文章を書いていた。ただ、人々を惑わせていただけだ。