そんなに「僕は嫌だ」と言わないでほしい。嫌だと思っているその相手にも、何らかの正当性は必ずあるはずだからだ。
相手の立場を尊重してほしい。
昔は、「可能性のある分野」をしたかった。自分のやれる可能性がある分野をしたい。それが、見ていると、Linuxだった。
今は、もっと分かる分野のことをしたい。Linuxは意味がない。医学や英語や歴史のような、本当に分かる分野のことをしたい。
昔の文章は、「社会が変化を可能にしていくプロセス」を書いていた。「社会の可能性の高まり」を書いていた。
自分が自由に考えていく中で、社会において何が可能となって行き、何がどのように知性と経験から変えられるのか、を考えていた。
未来は、僕は、今までの従来の小中高の学校だけではなくて、大人のための「総合教養学校」を作った方が良い。総合学校では、プログラミング、ドイツ語、フランス語、哲学、医学、デザイン、そして心理学や外国の文化を教える。
自然な経緯を考えて分かっていた。それぞれがそれぞれある程度は、「正しい人生」を送っていると考えた。争いや戸惑いは、「それぞれの世界が違うこと」から起きている。ある意味、それぞれが本当に理解し合えば、争いは無くなるだろう。だが、その時、それぞれの世界が違うことは、意味を成さなくなってしまうのだ。
社会所有のように、「みんなのものを無料で与える」と言う発想は、僕は悪くないと思う。オープンソースのような分野で実現すれば、きっと最高の発展をするはずだ。
自分は、休むべき時に休まないのが悪い。そのせいで疲れるようになっている。
そして、馴れ合いは悪くない。滅ぼして出来なくするように書くのはおかしい。馴れ合いのように書けば良い。
楽しかった?僕は結構楽しかった。でも、まだまだ続くよ。だから、まだまだ終わりではないのだ。
ある意味、昔の世界が悪かった。国民に思想を押し付けるだけの世界だった。今はそうではない。国民はどんどん自由になっている。僕は、右翼による反抗はさらに大きくなるし、左翼はもっと別の視点を持つようになると思う。神の王国が実現するようになるまで、まだまだ遠い。だが、僕は太陽光発電と相談員サポーター制度は本当に実現するかもしれないと思っている。学校は今までのような国民を支配するものではなく、真の意味でみんなに知と力を与えるものになるだろう。
正直に言おう。僕は、みんなのことが嫌いだ。
そもそも、こんな世界を好きになれ、と言う方が無理がある。
ここから先、僕はみんなのことが嫌いだ。
そして、この先、僕は色んなものをどんどん破壊する。心の中にあるものを、極力動かさないから、こんなものになる。今から、そういうものをどんどん破壊していく。
それで日本は終わりだ。
完全に滅びた国には既になっている。この国を嫌いになって、みんなで自立的にやっていけば、きっと新しい国になるだろう。争いは、嫌うことから生まれるものだ。むしろ、ここまで好きだった方がおかしい。本当は嫌いなのが、誰でも分かるだろう。
なぜか、初音ミクみたいな女が見えるが、それが僕だ。
良く考えると、触角を真ん中で結ばずに、周りに広げれば良い。それで狂っているのが治る。
たぶん、自分が嫌いだと思っているその相手にも、正当性は必ずある。支配者にも、権力者にも、正当性はきっとある。民衆の方が悪いわけではなく、誰もがある程度は正しいと言える。だが、普通、男はそこで悪くなる。そういう戦う男は悪い。
不思議と、破壊はしなくて良い。触角をきちんと解けば、すぐに治る。
昔は、全部把握するような文章を書いていた。こういう風に、全てを把握した文章を書く。この世界の全てを把握していた。文章を書く前は、想像力によってその場その場を考えていたが、それが完全に全ての把握に繋がった。
触角と言うよりは、手を伸ばせば良い。人間の場合、触角は無いが、手がある。手を広げて、目を離して、相手から離れれば、自由になれる。最近は、それだけがおかしくなっている。
自分は、見たものをすぐにタリバンに変えるのがおかしい。もっと、怖くないものに変えれば良い。安心するものに変えれば安心出来る。タリバンではおかしい。
平和と可能性と愛を信じて、この世界を自由にすることが、きっと安心に繋がる。そして、そこから自由な社会の全ては生まれるだろう。
みんなを安心させれば、きっと良い世界になる。
安心してほしい。いつまでも平和が続く。この世界が自由であることは、終わらない。
人間は、「後ろに道がなくなる」と賢くなる。元に戻ろうとしてはならない。壊れたら、壊れたまま突き進もう。治ったりはしない。ガラクタ同然で走っていると、それはフェラーリに変わる。
昔は、可能性のあるところをしたかったが、何もしなかっただけだ。哲学は、自分のことが分からない馬鹿になったから出来ただけだ。だから、そんなことは誰も出来ない。
きっと、大学に入れば良いのだろう。研究室で研究すれば、人並みに分かるようになる。だが、自分は、もう勉強はしなくて良い。大学は終わりだ。
今から、パソコンの方をやる。大学はもう出来ない。Rubyの本を読みたいと思っている。むしろ、フランス語が良いだろう。
あとは、音楽を聴くのが良い。今、レフティさんの歌うaikoのカブトムシを聴いているが、本当に僕は音楽にだけ向いている。ピアノを子供の頃からやっていたせいで、昔から覚える力がある。あるいは、昔は覚える力があった。
そういうわけで、パソコンと音楽に戻る。フランス語は出来ないだろう。
あとは、単純な「分かる因果性」のようなことを言っていた。分かってしまえば吸収出来、自分はそれと同一になれると言う。
なぜか、やる気がなくなった。これ以上やることが無い。デザインのことは、きっと出来ると思う。でも、僕は本当に何をやりたいのか良く分からない。そんなに文章を書いても意味がない。本当は、ただ影響力を持ちたいのかもしれないし、読んでもらいたいと思うのだろう。だが、それは簡単に出来ることではない。