環境への適応から、その環境で分かることを分かっていた。環境の変転や新しい環境へと移ることから、どんな環境からどんな環境へ移ったのかを考えて分かっていた。
認識の変転を考えた。
自分は、本当の自分を見せないのが悪い。自分のフリをするようになっている。
何もないが怖いのは、何もないが戦争だったからだ。
足は、内側の辛い精神と外側の辛い精神を同時に使えば治る。本当に怖くなっている、その「怖い」をきちんとすると治る。
世界が自分を中心に周っているのは、きっと自分が賢かったからだ。
英語は、単純な慣習だけの言語だ。a, about, for, to, at, onなど、全て慣習だけを言う。慣れると、とても言いやすい言語だ。
テテは、とてもたくさんのものを吸収し、経験的に宇宙の意識を知る天使だ。
ナナは、とてもたくさんのものを作り出し、理性的に構造を作る天使だ。
ミミは、何もないところから、考え、自分の言葉によって知ることで、全てのことを分かる天使だ。
昔は、本当に大量の馬鹿のデーターベースから全てを分かっていた。それが、あらゆることを支配する自由な神になって、最近は勉強している。
数学は、もうしない。数学は昔、きちんとしている。物理学や経済学の発想は、その後に完全に世界観と考え方で分かっている。
何もしないのもつまらないが、やらなければならないことは無い。それなら、自分から何かをすれば良いが、それはもうしたから仕方ない。
昔から、僕は論理的かつ経験的に、神のように全てを分かっている。成り立ちを考えて、完全な「全て」を書いた構造を作った。最低限の準備だけを前提として、あらゆることを完全に書いていた。もう、これ以上何も出来なくなっている。大学は賢くないが、あるものはパソコンと大学だけだ。ネットと学校しかすることは出来ない。だが、哲学はもう知っているし、大体のことはもう勉強した。これ以上何もやる意味がない。それが辛い。
昔の自分は、この世界を完全に解明した、唯一の人間だ。
世界を支配して、全てのことを成し遂げた。最後まで全てを知った。そして、最高に美しい芸術作品を作った。
なぜか、そんなに賢いのに、自分だけ馬鹿だ。みんなは賢いのに、何故自分が馬鹿なのか分からない。自分は馬鹿だ。何も出来ないのがおかしい。
ただし、普通の人間は悪い。普通の人間は、忙しくて責任があって何も出来ないか、何もせず遊んでいるだけか、どちらかだ。それは、人生を無駄使いしているだけだ。
だから、いつまでも今のままを続けた方が良い。
昔の自分がやりたいなら、それは悪い。昔の自分は、子供だっただけで、何もしなくても賢い、子供のように分かる人間だった。あんなクズみたいな人間にならない方が良い。
そうすると、何もしないだけになる。だが、それは何かをきちんとしているからだ。今のままで良い。今のままが一番賢い。
普通が嫌いになると、もう昔が出来る。普通が嫌いなら、ネットを見ながら大学を自分でやれば良い。昔は、そういう「大学を自分でやる人間」だった。
もっと、「簡単に分かるようにする」と分かる。実験だけではなく、たとえばやっていることと世界しかないことにする。家には日用品と本しかない。そういう風に、「分かりやすく構造を作っていく」と分かる人間が多い。数学的構造でも、哲学的構造でも、経験的構造でも良い。必要なのは、「全部まるごと、分からない点がないようにする」ことだ。
僕がネットやテレビを見ないのは、本を買ったからだ。本を買ったせいで、ネットなんか見なくても分かる。大学に行く必要もない。
そんなに科目を考える必要はない。出来たら、フランス史の本を読みたいと思っている。読めたら良いなと思う。
自分の力で大学をやるためには、調べるだけではなく、自分の力で理解を整理して、自分が何をすれば出来るのか、どんなものを理解していくべきなのかを考える必要がある。それは、大人になっている。だから、大学とパソコンしかない、と言うより、ただ「研究と知識しかない」と考えれば良い。そして、それは自分で作り出していくべきものなのだ。頼れるのは自分の力だけで、他人の力を頼ったりしてはならない。
これでは僕は社会主義者に見えるが、僕は本当に自由が好きだ。自由に行動し、経験し、それぞれが環境を作った方が良い。そこには、友愛と言う名の体験の精神がある。それぞれが認めることで、自由になれる。それが一番良い。だから、この世界には自由になってほしい。僕は自由が好きだし、自由にならないと、人間は分からないと思っている。
日本を変えるために、若者にもっと自由を与えた方が良い。若者を自由にしてやること。だが、若者を抑圧に陥れているネットが悪い。ネットから若者を解放してやるべきだ。
そういうわけで、若者にネット以外の付き合いの選択肢を与える、と言う意味で、ネットを活用すると、僕は良いと思う。
人間は、良いものや賢いものを否定すると賢くなる。だから、こんな支配者は否定してしまえば良い。最初から、こんな「善意の支配者」は要らない。こんな「偉大な支配者」は存在しないとして、Windowsや学校と一緒に、支配者を否定してしまえば良い。
支配なんか、しない方が良い。支配せず、それぞれが身の回りを変えることから、自然な社会の変化が生まれる。影響力は、参加しやすくし、行使しやすくする。環境は、自由な中でそれぞれが選べるようにする。利用し、コピーし、考え方を適用出来るようにする。そういう風に、自然な変化を生まなければならない。
大人が馬鹿なのは、こんな支配者が居るように見える。本当に素晴らしい偉大な王が居るように見える。だが、それは明らかに最悪の人間になっている。最悪のテロのような半分犯罪のようなことをしている。だから、大人は馬鹿で、ずるくて、自分勝手なのだ。そういう発想が、右翼だ。だから、右翼は死んだ方が良い。
昔から、僕は支配が嫌いだ。自分が支配することがまず嫌いで、愛されても支配したくなかった。そして、自分から行うことは、全て相手の選択に任せるようにした。だが、相手がそれを望むなら、どんなことでも教え、どんなことでも伝え、理解させられるまで導くつもりだった。それが、そのまま、何も出来ない左翼の王になって、最後まで導いたのだ。左翼は間違っていないが、自分から自分の望むものを倒しているところもあるだろう。だが、それらには、自分で考える力、行動する力がある。支配が好きになると、考える力や行動する力がなくなる。だから、自分で考えながら経験していると、誰でもそういう人間になる。
僕は思う。左翼には行動する力があり、右翼は全部知っている。だから、左翼と右翼は戦うべきでない。つるむべきなのだ。そのために、「自由」を消して行くべきだ。「自由」が左翼と右翼を対立させている。「自由」が悪いのだ。だが、左翼と右翼の考える、「本当の自由」は正しいのだ。自由のために、考え、知り、行動し、経験し、社会を作り、社会を作りやすく、共有しやすくしていくべきであって、それは僕のように自由を生きている本当の賢者や天才にしか出来ないだろう。そういうものだと、僕は思う。本当に考える人間にしか出来ない。だから、それにあなたがなってくれるなら、僕はあなたに教えたかいがあると思う。
それでは終わりだ。僕は去っていく。さようならだ。本当に、二人セゾン(欅坂46)のような人間だった。二人が春夏で出会い、秋冬で去っていく。二人だけの居る、愛だけのある世界の季節だった。