新・日記2に戻る | 2017年6月の日記に戻る

=2017-06-30=

昔は、ものごとを自由な可能性だと考える。たとえば、自分の土地があったとして、そこにどんな建物を建てるかは自由だ。

昔は、そういう風に、「自分の自由」だと考えて、社会やインフラのことを考えていた。

インフラは改善出来る。環境に適応することで、世界の全てが分かる。

環境に適応し、意識を知り、理性批判をすることで、人は無限に賢くなれる。そして、無限に分析し、改善し、発想出来る。

昔は、そういう風に、何かがおかしくなりながら、無限に人間のことを分かっていた。

発想し、社会を改善せよ。人々のことを本当に考え、本当にそれぞれに合った社会を作れ。そのような自由の理想をいつも、具体的に書いていた。

自分は、赤血球が二種類ある。だから、それを上手くコントロールすれば治る。足がおかしいのは、赤血球が二つあるからだ。

自分が辛いのは、そこまで同じ一行を大量に書くのが辛い。

大して辛くないのに、そこだけが辛くなっている。

だから、この文章ではなく、世界にある色んなものを考えれば良い。同じことを繰り返し言うよりも、きちんと色んなことを考えた方が良い。

最近、書いている間に、そういう知性がなくなった。

そろそろ、癌(がん)が治る。癌は、こういう風に、文章を書いていると治る。

僕は、世界を支配して、全員を治したいと言うからこうなる。みんな悲惨な癌になったから、自分が責任を持って治すしかない。

自分のやっていることは単純で、ただ他人に言うことを自分に言って分かっているだけだ。