普通、オブジェクト指向のC++は、WindowsのMFCでは、OnDrawのような関数をオーバーライドするだけだ。(分かっていないので、間違っているかもしれない。)
今日は、酷くじんましんが出たために、作業所では休ませてもらった。今からピアノもある。
姉の産まれた赤ちゃんの顔も見た。
その時その時モデルを作って分かっていたのが、構造的に分かるようになった。
全てのことに対して、自分なりの理解を言う。モデルや目的のような文章を書いていた。
全てのことは、自然に起きている。歴史には、必然的に起きたことしかない。全ては自然に起きるように、起きている。
全てのことは、自然だと思えば理解出来る。認識は、感覚から知ることが出来る。
人間は、出来るだけ、しゃべらず、寡黙であった方が良い。辛いと言えば辛くなるが、楽だと言えば嘘になる。思っても見ないことを言うような人間は、転がり、消え去るだけの虚構の民となる。それも悪くは無い。だが、何も言えないのに無理に話を繋げると、傲慢な人間になる。
自由とはルールだ。昔は、自由なルールをみんなで決めて、みんなでルールに従うべきだと考えていた。
自由とは、環境や規則を作ることだ。
自由とは、みんなで決めると同時に、自由な影響力を許すことだ。
自由とは、自然なままで参加可能にすることだ。
自由とは、みんなの意見に従う代表を作り、議論させることだ。
自由とは、考え方、理想、愛、運命、構造、そして自由自身の構築と変化だ。
風呂に入ってさっぱりすると、じんましんがひいてきた。なぜじんましんが起きるのか毎度のことながら良く分からないのだが、僕は年中行事のように良くじんましんが出る。普通は、3日程度痒いのを我慢するとひく。辛い時は、抗生物質を注射すると楽になる。
日本は、今のところ、どこの国の植民地にもなっていない。これは、戦争で負けた相手が、アメリカだったからだ。アメリカは、日本をアメリカ領ではなく、自由な主権を持ったまともな民主主義国家にした。憲法はアメリカが作ったが、その後は日本が独自の民主主義的平和国家の道を歩んだ。もし、負けたのがイギリス領だったなら、イギリスの植民地になっていたかもしれない。考えようによっては、アメリカの植民地になっていると言えるかもしれないが、アメリカは正しい。
ピアノに行ってきた。今日は、出来るだけ間違えないように、良く楽譜を確認して弾いた。いつもより正確に、間違いなく弾けた。高校の吹奏楽部のようだった。
もっと、本当のその人間を考えた方が良い。著名人や有名人は、教科書で教えるような「常識上のその人間」を考えるが、それは間違っている。本当にその人がどうだったかを見て、その人間を判断すべきだ。ソ連は悪い。ドイツのみんなは、良い人間ばかりだ。
アメリカは悪くない。日本も悪くない。みんな頑張って戦った。あれらは、悪い人間が居ない。誰も悪くない。だからこそ、平等であるべきだ。
それぞれが思うところ、勘違いするところを、良く疑って、自由ではなく平等にしなければ、良い世界にはならない。だからと言って、ロシアのようにしてはならない。
ある意味、自由は経済的に優れている。計画経済なんか、何一つ良い発想はしていない。資本主義を続けて、金をベースとした社会の上で、きちんと社会の体制を改善するべきだ。それは、僕も反省している。今から、きちんと資本主義を学びたい。資本主義を学んでいる人間たちは、賢い人間が多い。自由はルールであり、代表だ。それが正常だ。
昔は、自由と平等を比較して、国の考え方を考えていたが、左翼は悪いのが分かっていない。
本当は、人類の意味するところが、今と昔で違ってきている。昔は、自分の国が強くなって、他の国を倒せばそれで良かった。今はそうではない。国際的な「秩序」と「責任」を作らないといけない。そこでは、左翼や右翼のような過激な集団は必要ない。選択肢は民主主義だけしかない。その民主主義の中で、色んな考え方が戦わないといけない。民主主義を否定する人間は悪だ。同様に、昔はそれぞれが違う神を信じて、神のために争っていた。今はそうではない。宗教的なものは間違っている。科学的でないものを否定しなければならない。だが、本当は、そんな民主主義の世界も、そろそろ崩壊するのかもしれない。その時どうなるのかは、誰にも分からない。
Googleが欧州委員会から、自分の独占的な検索エンジンの地位を乱用して、Googleショッピングと言う自社のショッピングサイトを優遇したとして起訴されているが、僕は今からそういうことばかり起きると思う。Googleは馬鹿をやりすぎた。MSやIntelも同じだ。今から、本当にオープンな世界になる。きっと正しい。きちんと良い世界になるために、今からはオープン的デジタル共産主義が流行ると、僕は見ている。もう終わったとは言うが、Windowsの技術は賢くない。Windows APIとMFC、.NETをオープンソースで実現するのも悪くは無いと僕は思う。きっとMicrosoftは、オープンソースと融和すると思う。
プログラマの仕事がなくなるかもしれないが、職業プログラマの作るプログラムと言うのは、データーベースとPHPあるいはVBを組み合わせて、一覧、検索、追加、削除、更新が出来る「リスト表示」のプログラムが多いが、それなら僕はそれをオープンソースで作ってしまって、設定ファイルをいくらか書き換えるだけでどんなシステムにも対応出来るような、そういうソフトウェアを備えたLinuxディストリビューションを作れば良いと思う。インストール時に、GUIでシステムの設定を行い、あとは何もしなくてもリスト表示のひな形を作ってくれる。プログラマは、それをただ使うだけで良い。もちろんカスタマイズすることも出来る。そうなった時、プログラマには意味がなくなるだろう。
たぶん、オープンソースで作るより、プログラミング言語の標準ライブラリにすれば良い。リスト表示とSQLの相互動作を簡単に出来るような、ラッパーライブラリがあれば、プログラマは要らないだろう。
自分は、こう見えて、科学的な自由と資本主義的な自由が分かっていない。自由と言う意味で言えば、自由を成り立たせるために、「何にでもなる基盤」を作らないといけない。この基盤を考えると、ただ自由にするのではなく、基盤を作る自由、社会を作る自由、環境を作る自由がベースになってくる。また、植物は機械ではなく、それぞれの種を残すために、強いものが勝ち残るものだ、と言う理解が出来る。決して最初からプラットフォームではない。何らかの理由で、植物と動物に分かれた。分かれているように見えて、分かれていないのかもしれない。そして、自由を考えるなら、「何も知らず考えるより、何か知って考えるべき」だと言える。それは、「知らないと自由でない」と言う人間そのものの自由、と言う意味をもたらしている。
自由、と言うことになると、人間の行動と経験が良く分かる。たくさんの経験があった方が良いし、それぞれは出来るだけ出来ることが自由で、そしてたくさんの能力があった方が良い。その中で、どのようにすれば正しいのかを考えると、良く分かる。ヘーゲルの言う、主と奴の自由な発生は、平等にすることで変えられる。そのためには、一人の指導者が自由でなければならないだろう。だから、自由を考えると、国家の平等と言うところに行きつく。そういう発想が、ドイツやフランスの自由だ。
ある意味、それぞれが自由であれば、何でも良いのだ。何でもかんでも、好きなようにすれば良い。民主主義は、その中で、「全員同じ一票の平等」と言うシンプルな仕組みを採用した自由であって、ある意味、「みんなのことを信用する」と言う意味での自由だが、みんなが信用出来ない集団になってしまえば、それで終わりなのだ。信用出来ない国に、今日本やアメリカがなっている。どんどん右翼が勝っている。きっと、みんなの方に原因がある。みんなが自由でなくなることも自由だと言ってしまえば、それが今から起きる右翼の民主主義だ。ただ、僕はどんなにおかしな国になったとしても、民主主義だけはやめないでほしいと、今思っている。民主主義を止めた国は、すぐに破綻する。国が悪い国になって、民衆との意識格差が起きて、王は何をしても悪いと思わなくなる。その方が良い可能性は確かにある。だが、現実的にそうなれば、もう日本やアメリカは終わりだ。アメリカはきっと、トランプでそれが起きるだろう。トランプは支持者の意見を聞くから、支持者以外のことをまるで考えなくなる。アメリカの民主主義は終わりだ。今からの民主主義をリードしていくのは、日本とヨーロッパだと思う。逆に、アメリカにはロシアがつくだろう。
日本の問題点は、社会的アイデンティティの喪失だ。昔は孤立化が多かったが、最近は自尊心がなくなって、罪悪感ばかりになっている。あまりに、悪い人間が多い。悪い人間になると、「プライド」がなくなって、自分のことを破壊し、キモいとかウザいとかそういうことばかり言うようになる。逆に、そういう人間は、次第に良い人間になるから、どんどん良い人間が増えている。だが、良く見ていると、最悪の人間が多い。それが、今の日本だ。韓国を悪いことにしている馬鹿が多いが、悪いのは日本だ。
自分の問題は、自分を増やしたいのは間違っていない。生命と言うのは、本能的に自分を増やしたいものだ。だが、自分が良い人間になれば良いのが分かっていない。それは、難しく見えて、簡単だ。自分が良い人間になれば良い。自分が変われば良い。それは、今すぐに出来る。一番簡単なゴールだ。
日本は昔から悪い国だから、どこから悪くなったのかが分かり辛い。そのせいで原因が分からない人間が多い。昔の孤立化は、チンピラやオタクのような、「自分だけの力では勝てない人間たち」を生んだ。だが、それらもそんなに悪くは無かった。善良な方法でオタク同士が仲良くやっていたからだ。今の世界は、そういうものすらなくなった。罪悪感と失った自尊心は、逆に、「悪いものは本当に悪い」と言うことを教えてくれる。だから、オタクやチンピラはもう居ない。逆に、あまりに個人主義と多様性が広がって、良い世界になっている。だが、良く見ると、本当に狂った人間が多い。自分のことを自分で守れない、他人のことを愛せない人間が多いのが、今の日本だ。
僕がじんましんになって分かったのは、病気も正常な人間の機能だと言うこと。人間の持つ、何かを治している。肉体の病気だけではなく、精神の病気も同じだ。じんましんは、異常になった神経と精神を全部治している。もう一つ分かったのは、自分は神に生かされていると言うこと。神は、自分に対して「もっと生きた方が良いよ」と言っている。もっと頑張って文章を書けば良いと言っている。だから、選択肢は生きること、一つしかない。病気も自分の一部だ。だから、医学や宗教をやっていると、手塚治虫のように、本当に分かる人間になる。病気で宗教を信じる人間が、賢い人間になる。
良く考えると、子供時代の自分が悪い。漫画やゲームを今の精神病が治している。それこそ、人生にあったことは、何一つ無駄ではない。きっと、子供を2人分生きたかっただけだ。そして、漫画やゲームは悪いものではない。それは、あとで病気になりたいと思えば、正しい子供時代だ。
良く考えると、ドラゴンボールも、ハンターハンターもあまりに悪い漫画だったし、ファイアーエムブレムやスターオーシャンもおかしなゲームだった。何が悪かったのか、良く分からないが、きっと経験値をためたり、人を簡単に殺すことを良いと思うのが悪い。むしろ、良く分からない。過去のことを治したいわけではなく、今の何かを治したいのが分かっていない。今の何かと言うと、きっと最初から引き篭もりを治しているだけで、むしろ、本当に良く分からなくなってきた。分からない。学校を治したいのかもしれない。むしろ、治す、と言うことは目的ではないのだと思う。きっと、もっと賢くなりたくて、遺伝子を変えて蝶になりたいのだろう。
自分は、みんなはゲームなんかしていなくて、もっと有意義な活動をしているのが分かっていない。あとは、ゲームをすること自体は悪くないが、ゲームをしている自分の方が、性格が悪い人間になる。だから、ゲームが悪い。むしろ、ゲームや漫画の中で人を殺したりするのは悪いし、経験値をため、ゲームをクリアすると言う、何の意味もない生産的でない活動を楽しいと思うのもおかしい。だから、学校も同じように悪い。日本とゲームと学校が悪い。Windowsも悪かった。むしろ、本当はきっとWindowsを治している。Windowsは精神がおかしな人間になる。だから、むしろ、「悪いものが悪い」と思えば良い。悪い人間しか、地獄にならないからだ。だから、宗教を信じるのだろう。
Linuxを、「インストールしただけで、開発出来ない」と言うが、むしろ、出来るわけがない。熟練したUNIXのプログラマでも、カーネルを開発することは難しい。GTK+で正しいアプリケーションを作るのは、Windowsで作るのより難しいだろう。まずは、コマンドラインを覚えて、そして、出来たらサーバーが立てられるようになって、本当に上達したらPHPとSQLを組み合わせてWebアプリケーションを作れるようになるだろうが、そんなところまですぐに行けるわけがない。Linuxを使ったからと言って、プログラミングが出来るわけではない。だから、最初のうちは、ただ使うだけでも、何の問題もない。
僕は、きっとオープンソースの本質は「ソースコードがオープンであること」であって、別に会社が作っても問題は無いのだと思う。会社が作った方が、良く考えて設計されるかもしれないし、無意味な面白味のない部分をきちんと作ってくれる。UNIXとして、C言語のプログラミングAPIとして、ライブラリとして、ソースコードが見られるなら、それでオープンソースだ。コピーや改変も出来るとなお良いだろう。だが、コミュニティで開発することは、必ずしも良い結果にはならないと僕は思う。会社がソースコードをオープンにしてくれるなら、それに越したことは無いだろう。ただ、コミュニティの力、と言うものも確かにある。コミュニティで作るとなると、どんなコードでもある程度正しいコードになる。初心者プログラマのような、設計上の問題がなくなって、三流が二流ぐらいのコードになる。