新・日記2に戻る | 2017年6月の日記に戻る

=2017-06-25=

昔は、地球の自然、特に植物や動物が移り変わるとか、社会は盛者必衰であるとか、そういう、「地球の移り変わり」を書いていた。

社会の歴史を考えた。

昔は、文章で全て分かっていた。書くことですぐに分かる。EUのようなものを、いくらか書くだけですぐに分かっていた。

人生の場面のようなものを書いていた。「思い出」のような文章だった。

自分は、有名人や著名人ではなく、自分のような一般人が悪いのが分かっていない。こういうおかしなことをしている人間が、少なからず言う。それらに共通しているのは、何も分かっていなくて、宗教の教祖のようなキモい人間になっている。そういう一般人が、世界を滅ぼし、支配して、思うがままの世界にしている。そういう人間を倒せば良い。

もう一通り出来て、でも分かっていない、と言うことで、放送大学のネット配信から、数学の勉強を始めた。

数学と言うのは、何もないゼロのところから、約束ごとを決めていって、全部のことを厳密に分かる。だが、それは昔の僕が作っていた、論理学の数学と同じだ。昔は、そういう風に、数学を作ることから分かっていた。

僕が馬鹿なのは、数式を見ないからだ。

数学の授業は、もう知っている簡単なことしか出てこなかった。今のところ簡単だ。だが、続けるうちに、難しい内容も出てくると思う。なぜか、作業所でやっているデザインの業務の方が、難しいかもしれないと思う。数の概念は、自然数から整数、等式と不等式、移項、乗法と加法、マイナス、絶対値などの内容だった。

大学を「何もない」と言うが、大学は、そういう風に、見て、あるいは見ずに知って、そして、知らないところだけを聞いて、補充していく作業だからだ。

あとは、良く考えると、普通GNUのような集団がこういう風になる。自分からおかしくなって、人々を自分と同じおかしな人間にする。それは、不思議と、数学が分かっていない。GNUには数学的な知性がなくなっている。だから、GNUを倒すとすぐに狂っているのが治る。

自分は、もう一通り全部出来た。歴史、哲学、心理学、経済学、デザイン、執筆、宗教、プログラミングまで全部出来た。おそらく、Linuxのシステムコールの内容と、Cの文法的内容を知ると、自分で思うがままにプログラミング出来るようになる。重要なのは関数より変数で、データの箱を移動し、コピーするだけなのが分かる。そして、文法的に、ステップ実行していくだけなのが分かる。今日はLinuxサーバーの構築やセキュリティのことも勉強したくなって、本を読もうかとしたが、Linuxは忘れた方が良い。C++やPHPも気にはなるが、止めた方が良い。数学をした方が良い。逆に、数学は楽だ。放送大学の授業をパソコンで聞いているだけで、すぐに45分経つ。デザインや英会話教室と全く同じだ。

あとは、LinuxのシステムコールとCのライブラリ関数の内容が役に立つ。関数が分かると、何でも自在に作れる。あれを見ると、Linuxはそもそもどうでも良いが、GNOMEやMATEの方向性そのものは間違っていないのが分かる。基本は、open(),close(),read(),write()だ。printf()はCライブラリの高水準入出力関数の1つだ。それが分かって本当に良かった。

僕としては、もっとセキュリティの専門家のようになりたいと思う。専門はセキュリティが良いような気がする。Linuxのサーバーを立てたり、Webプログラミングをする際のセキュリティを考える。ただ、僕としては、PHPよりもC++が良いと思う。特に、スマートポインタと参照が良いと思う。なぜかJavaよりもC++の方が良く見える。JavaはVMを動かさないといけないし、なんとなくオープンソースと親和性が高いようで低い気がしてしまう。だが、自分の手元にあるのは、CとJavaとPerlの本だ。昔買った本だから仕方ない。無いものねだりをしても意味がないので、CとJavaの本を読もうと思っている。

あとは、ドイツ人にはなりたくない。ドイツ人になると、昔のやる気のない狂った人間になる。だから、ドイツ人にはならない。僕の願いとしては、スペイン人やイタリア人になりたい。ただ、フランス人にはなりたくない。フランス人はいつもの自分だ。だから、きっとスペイン人になるだろう。神は、それをスペイン語圏の教授と言っていた。

神が言うには、数学の後は物理をして、社会科学、歴史、語学、文学、生物学の順にするのが良いと、いつか言っていた。そうなるかもしれない。放送大学は、全部の教科をネットで無料で見ることが出来る。単位登録は有料だが、無料でネットで全部見られる、と言うメリットは大きい。放送大学を上手く使って、知らない知識を吸収したい。

数学の講義を聞いて思ったのは、「0(基準点)がたくさんあるグラフは作れないのか」と言うこと。数直線を、1,2,3と上がっていくにしたがって、逆に-3,-2,-1と下がっていって、また0に戻る。ただ、そんなものを作っても意味がないのは分かるが、なんとなくそういうことを思った。

ただ、僕はもう終わりだ。もう、この世界でやりたいことを全部やって、完全に全て分かった。全て出来た。プログラミングなんか誰でも出来る。だから、終わりにする。セキュリティの専門家になりたいと言ったのは、このホームページを自宅サーバーにでもして、その時のセキュリティを考えたかっただけで、それはレンタルサーバを買えば良いだけだ。そのうち買うかもしれない。それで、終わりである。

要は、哲学は中学生時代にすれば良い。それが賢い。だが、それが、すぐに馬鹿になる。数学が分かる人間は、馬鹿にしかならない。そして、その馬鹿を治す方が本当の自分だっただけだ。昔は、未来を先取りして分かっているだけだ。意識とは言うが、未来の意識だ。昔は、そのせいで馬鹿な人間だった。

あとは、つまらないが、もう何も思わない。この世界が馬鹿なのがつまらない。なぜか、自分だけの方が賢い。

今日は英会話教室に行ったが、見ていると外国人も馬鹿だ。昔の自分みたいに見える。賢い人間なのに、自分と比べれば馬鹿にしか見えない。

ただ、自分なんか、そこまでの馬鹿だ。こんな馬鹿が賢いわけがない。それだけを思う。

自分は、当たり前のことから推論して分かっていたが、今でもそれをしているだけで、何も変わっていない。世界にあるものより、その時その時作った方が分かるようになった。

ここまでがドイツだ。ここらへんはロシアに見える。もう、ドイツは終わりだ。神は、フランスだと思えば違う世界なのを言っていた。ここからスペインが多い。スペインは、普通の男になる。普通の人間になる。これ以上おかしな人間はしたくない。それこそ、そんなに昔の自分を分かっても、何も分からない。数学をしたいとは言うが、むしろ、したくはない。何もしなくて良くなったのに、まだ頑張っている。これ以上、何も頑張らなくて良い。自分の設定したノルマを達成したはずだ。達成感の疲れを感じれば、満足だ。

昔は、本当にありえない体験を馬鹿みたいにしていたが、あれをイタリア人と言うことにしよう。イタリア人はおかしい。完全に狂っているのに、宇宙の全てが分かっている。全てを体験している。本当は、そのイタリア人が好きだった。それなのに、ドイツ人のことばかり言っている。良く分からないが、イタリア人は美しい女だった。ドイツ人の誰かの女だ。そして、イタリア人の僕は、もう死んだ。終わりだ。もう、居なくなったはずだ。世界には僕はもう居ない。

良く考えると、僕は今世界を統治している。僕が王だ。僕が導くことで、本当に良い世界になった。優しい人間しか居ない世界になった。世界には、このまま続いてほしい。何かのきっかけで変わるのは構わないが、基本的にこのままが続いてほしい。それで、僕の言わなければならないことは全部言った。結構多かった。そして、もう、さようならだ。気が変わって書くこともあるかもしれない。