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本当に美しくなった。
posted at 18:55:37
美しくしたいなら、純粋なままで、何かを秩序のあるルールの下に作れば良い。
posted at 18:55:24
愛とは、純粋な、全てを捉える記憶のことだ。
posted at 18:54:58
だから、一度、純粋な心に戻れば、愛が生まれる。
posted at 18:54:42
心の辛い部分が治る。おかしな生命の中で、虫が生きていると、こういう風に、きちんと分かる精神になる。それが多すぎるのだ。
posted at 18:54:24
人間は、純粋さが賢い。
posted at 18:53:32
純粋に言えば良い。
posted at 18:53:22
もう、言葉をつなげない方が良い。
posted at 18:53:13
ああ、それこそ、こういう風になる。
posted at 18:53:05
哲学は消えた方が良い。分かっているように見えて、精神が完全におかしなものになっている。
posted at 18:52:50
もう哲学が分かったから、哲学を消して行く。哲学は虫だから仕方ない。
posted at 18:52:32
出来ることを実感して、社会の構造が分かった。
posted at 18:52:13
美しい安らぎの水となるだろう。
posted at 18:45:49
なぜか、キモいものが多いから、今からそれを浄化する。
posted at 18:45:39
全ては言葉である。それを言って終わりだ。想像力だと言う人間が多いが、本当は想像力も言葉だ。
posted at 18:45:25
終わりにする。この文章は、何かがキモい。あまり見ない方が良い。そこまでおかしな精神になっている。
posted at 18:42:45
方法を知ることで、世界全体の規則や原理が見えてくる。それによって、意識としての言葉が生まれる。
posted at 18:42:28
作り方は、方法を知れば分かるし、社会のことは、一歩引いた目線で環境を見れば分かるはずだ。
posted at 18:41:32
あとは、想定し、考え方を作るだけで分かる。最初に分かるのなら、積み重ねること。没個性的な人間は、社会から離脱すること。それだけで、全て分かるはずだ。
posted at 18:38:32
終わりにしよう。この文章は、最高だった自分の時代が書いてあるが、あとの自分が見ると、大して意味のない文章だ。昔の自分が、ここまで全部出来る。だが、普通、誰でも出来るから、書く意味がないのがこの文章だ。
posted at 18:36:22
あとは、知性を身につければ良いだろう。最初の知性は信じることで身に付くが、それ以上は知り尽くすことで知性がつく。だが、全てを知り終えると、知性は最初に戻る。それが、子供に戻って、文章を書くようになる。
posted at 18:35:37
もう、終わりだ。十分文章を書いた。これで、そろそろ、何も分からなくなっても、大丈夫だ。
posted at 18:30:01
そろそろ、書けた。あとは、経験的認識論のようなことが多かった。認識を帰納的に考えていた。認識だけを頼りにして、自由を考えていた。
posted at 18:29:42
人々の発想を吸収することで、全てのことが出来る全能者になる。
posted at 18:29:13
どうすれば失敗するかを分かった人間は、どうすれば成功するかを分かることが出来る。
posted at 18:28:53
社会は、いくらでも世界を滅亡させることを繰り返していると、むしろ、逆にきちんとこの世界をどのようにすれば作り上げられるかが分かる。それが、高校に行かない不登校の少年の理性であり、それが才能ある科学的芸術家に変わる。
posted at 18:28:27
だが、論理的に考えると、本当は、啓蒙や啓発から、全てを実現出来る天才となる。その天才は、創造性のある芸術家、全てを知った学者、世界を変えられる政治家、善だけをなす修道士になる。仏教と同じだ。
posted at 18:27:25
人間の人生は、最初は誰でも虫である。それは、美を意識する子供となり、戦うだけの修羅となる。だが、それは勝つことによって、王となり、マスターのように悟るようになる。だが、本当はまだ先がある。全てを作り上げる最高の王となって、世界全員を救い、不可能な病気を治して、真理を全て悟る。
posted at 18:26:31
ものを考える時は、物理的に方法と機械として考えるのも良いが、もう少し違った目線で考えれば、哲学的にもの全体の真理をつかむことが出来る。
posted at 18:24:55
悪をしない人間が善である。たとえ昔していることが悪であったとしても、それを続けることが善であることはある。一度変えるのは悪であり、継続して維持するのは善である。
posted at 18:24:04
悪とは善の欠如であるが、善とは悪の欠如である。
posted at 18:23:26
その変化を、「ただ変化出来るだけ」ではなく、どの状況においてどのように変化出来るのかを知ることで、人は科学を手にする。
posted at 18:22:58
狂いを上手く自分の自己意識の下にコントロールすることが、正しい治し方だ。
posted at 18:22:19
心理学的な狂いは、状況から生まれる。状況を強制的に変えてやれば、治る。だが、それを拒否するのが病気だ。だから、治さないまま放っておけば、そのうち本人の望みは叶う。それが、治る人間だ。
posted at 18:21:51
経験とは、当たり前を発見する気付きである。
posted at 18:19:57
そこから、全ては作り出されるものであり、決して人々を規定するだけのものではなく、人々が主体的に規定させるものである、と言える。
posted at 18:19:26
実感とは、感情の存在性を信じることだ。そこから、社会性が見える。感情のそれぞれの存在を知ることから、この社会がどのように変わっていくのかを知ることが出来る。それぞれは確かに存在し、とどまることが無い。
posted at 18:18:49
それは、「確かにそこにその感情があった」と言うことを信じることだ。
posted at 18:17:50
逆に、人間のことを最高のものだと信じることから、分かる真理はある。
posted at 18:17:21
ただ、見ていると、哲学的理性は冷徹で冷たい。人間のことをロボットのような「没個性的な道具」だと思っている。宗教はそうではない。
posted at 18:17:01
ある意味、社会とは単なるグループである。社会性を生み出すためには、人間性と成り立たせる条件が必要なだけで、今の社会を永遠に続くものではないと思えば良い。
posted at 18:16:23
自分の体験から人々を知ることで、この世界がどのように変えられるのかを、自分の経験から知ることは出来る。自分のことを正しいと思う気持ちが、逆に、人々の普遍的常識を疑う理性を身につけさせる。
posted at 18:15:24
きっと、グループを差別することも、それと同じだ。
posted at 18:14:31
人間は確かに機械かもしれない。だが、機械だと思うこと自体が、すでに人間性のある理性を失っている。
posted at 18:14:08
優しい嘘を信じる人間は、賢くなる。そこから、真実の中にある優しさを知ることが出来る。
posted at 18:13:30
だから、思い込む人間の方が善人であることは多い。悪い人間が分かるように見えて、悪い人間は人間的な嘘が分からなくなっている。その嘘がなければ、何も分からないものだ。
posted at 18:13:09
きっと、人間性とは、嘘と思い込みのことを言う。
posted at 18:12:36
創造性や合理性が、必ずしも正しくないこともある。無個性で無機質なものが、宇宙の真実である場合もある。
posted at 18:12:20
勘違いは、勘違いではなく、経験から必然的に起きる思考だとも考えられる。
posted at 18:11:27
推測する他人の考え方の中に、「普遍的モデル」があることに気が付くだろう。
posted at 18:10:55
他人の考え方を推測して理解すると良いかもしれない。
posted at 18:10:27
実現不可能、理解不可能に思えることも、正しく考えれば可能である。そういう考え方の方が正しい。きちんと正しそうに考えることよりも、外れた考え方をたくさんした方が、正しいことはある。
posted at 18:09:36
誰が決めたことが、何に影響しているのか。いつ決まったことが、何へと影響力を持っているのか。そこからマルクスを考えることは出来る。
posted at 18:08:19
もっと、哲学的ではなく、普通のことを考えた方が哲学は出来る。数学のことから心のこと、社会のこと、人生のこと、労働のことなど、色んなことを、「その人間の立場になって考える」ことから、哲学は分かる。
posted at 18:07:46
数学は、論理的な実現と発明である。
posted at 18:07:07
だから、理性的な人間は、何の変哲もなく見えるものの中に、さまざまな相関性を見出す。意味を見出して、そこにある事実を自由や平等の言葉で表現する。
posted at 18:06:20
理性とは、簡単に言えば、「自分で作ったものごとの正しい見方」である。
posted at 18:05:46
人生に対する啓発は、いつの世界でも、「人間は神に創られた奇跡である」と言うことだ。今の世界では、それが科学的な事実と裏付けられているが、ある意味、科学なんか無い方が、世界の中での絶望は少なくなる。
posted at 18:05:15
出来る人間は、どうやれば上手く出来るのか、きちんと分かっている。
posted at 18:04:24
一度失敗することは悪いことではない。一度失敗を経験することで、絶対に失うものは無い人間になる。そこでは恐れや不安は無く、いつでもゼロに戻れる強さを生み出す。それは、この世界に対する鮮明な「ビジョン」を生み出す。それが、判断基準となり、個人の実現性の「才能」に変貌する。
posted at 18:04:10
あるいは、全ての辛さを包括して理解することが、人の精神を楽にする。辛いことを吸収すると、楽になる。
posted at 18:03:07
一つの辛さや苦しみを取ると、それはいつまでも辛いかもしれないが、逆にその力と可能性によって、何か一つのことが出来るようになる、あるいは、そのまま楽になって継続出来るようになる。本当に、一番辛い体験をした人間だけが、賢いことが出来るようになる。
posted at 18:02:36
それは、この宇宙には馬鹿なものは一つもないからだ。
posted at 18:01:34
おかしな人間は馬鹿ではない。おかしな人間が賢い人間であることが多い。
posted at 18:01:23
馬鹿なことを一つ信じると、それで賢くなる。
posted at 18:01:08
だから、みんなで決めるべきなのだ。自分の出来ることは、きっと正しく実現すれば、そんなに考えなくても、誰でも同じように出来る。出来る人間にやらせることは間違っていないが、まれに本当に天才的に出来る人間も居る。そうした人間は、何かを信じている。
posted at 18:00:57
ただし、一人の指導者が全てをやることが、賢いことはある。だが、それはほとんどは暴走し、社会を滅ぼす。まれに、本当にきちんと信じて努力する王が生まれる。それは偉大な社会になるように見えて、ただ悪いことをいつまでもやっているだけになることの方が多い。
posted at 17:59:59
社会の実現は自由だ。
posted at 17:59:12
全ては作ることが出来る。社会、科学、自由、理想、平等、愛、理性、人間性、全ては作ることが出来る。それは、正しい法則とパターンを知れば、自分だけではなく、みんなの手で社会的に作ることが出来る。
posted at 17:58:57
習慣に任せることが、逆に地獄を生むことはある。自分の下手な思いつきが賢い人間は、馬鹿な思いつきを真剣にやってしまう。馬鹿なことは、明らかに人々が間違っていると言うならば、止めた方が良い。心理学的な病気を治すことが、哲学的な知の創造へと繋がっていく。
posted at 17:58:19
周りが見えていないことは、逆に、集中している、と言うことでもある。集中を解くことで、きちんと分かるようになる。いつも集中していると、周りが見えなくなるものだ。
posted at 17:57:23
人々との共感の体験が、子供を大人にする。
posted at 17:56:41
心の中で「捉える」ことが出来た時、そこには「精神」が生まれる。
posted at 17:56:15
良く考えられた可能性を実現するためには、客観性と普遍性が必要だが、それが主観性と個別性の全てを把握した時、ヘーゲルの言うように、そこには絶対知としての、単純な「良心」が生まれるのだ。
posted at 17:55:07
社会が可能性を実現するなら、それは人々に新しいことを可能にする。
posted at 17:54:10
最終的にたどり着くのは、空間と時間の超越であり、人生と社会の超越である。
posted at 17:53:18
人がなぜ苦労しているのかを考えることで、人々を解放し、救うことが出来る。
posted at 17:52:05
数学とは、その「方法」が何を意味しているのかを考えることだ。
posted at 17:51:32
それがそうであることは、いつ成り立つのか、から、方法が分かってくる。
posted at 17:51:09
人間のことは、言葉のフィルターで考えると分かる。「それは経験である」「それは目的である」「それは手段である」「それは自由である」「それは平等である」など、他に何があるだろうか?そして、それを複数のものとの関係性で分かったり、一つの考え方のルールと想定から分かったり出来る。
posted at 17:50:51
人間が作り出せる可能性は、まだまだ少ない。
posted at 17:47:49
論理的に考えていると、「全ては現象である」と言うことが分かる。それも、一つだけの現象ではなく、意識と個体の関係性による、事実の複合的な現象である、と言うことが分かる。だが、法則としてはシンプルなものが積み重なったものだ、と言うことが分かる。そういうことは、情報科学が分かる。
posted at 17:47:30
戦って倒した上で、善をすることが、平和になることは多い。善人には勝利と知性が訪れる。
posted at 17:46:21
ただ、哲学者の思想に囚われる必要はない。自由に考えることは、全てを変えられるように自分を導いていく。何がどのように変えられるのかを知ることから、社会的な遺伝子のパターンを知る原理原則が生まれていく。
posted at 17:45:38
自分でも出来るようになる、と言うことを知ることから、人々はいつ何が出来るようになるのかを知る。それを社会的条件から考えることで、人々は何をすればこの世界で色んなことを実現出来るのかを知る。マルクスも、そういう風に考えていたはずだ。
posted at 17:44:49
自由に考えることは、きっと世界を救うことへと繋がっていく。それも、啓発は実現性となり、道徳は人生となるなど、社会的実践の段階として、人々は確信的に目覚めていく。ヘーゲルもそういうことを言いたかったはずだ。
posted at 17:43:43
自分のことを間違っていると思わない人間は馬鹿だが、それを貫き通すことも、個性の一つであると認めなければならないことも、恋愛には多い。
posted at 17:42:47
ある意味、時間的な思い込みをフィルターにすることは出来る。それがそうなった時に、それはそうであるのであって、それがそうでなかった時は、そうでないそれが真実だったはずだ。変わっていくことは必要だが、失っていくことは必要でないはずだ。
posted at 17:42:01
先入観をなくすことで、社会を見る「眼の力」はいくらでも変わっていくはずだし、それぞれの場合によって作り出せるはずだ。
posted at 17:41:06
ただ、それぞれが自分だけの経験をすることが、ありのままの中での理想と自由を知ることへと繋がっていくのは良く分かる。それは、発想でもあるし、モデルでもあるし、現象学でもある。
posted at 17:40:26
自由の問題性は、個人を見ていて、社会全体を見ていないこと。社会全体の秩序を作る自由と言うものも必要なはずだ。それは、個別の1つ1つの環境や社会の実現を見ていると、分からない問題だ。
posted at 17:39:36
ただ、僕はそろそろ哲学はしたくない。もっと、まともな人間になりたい。
posted at 17:38:45
自分の心の中にあるものが何なのか自覚し、把握することから、哲学は生まれる。それが、いつ何を望んでいるのか、精神としての現象とは何なのか、経験的に考えれば良い。何でも分かるようになる。
posted at 17:38:30
あとは、個人を可能にするものとは何なのか考えると良いだろう。自分の心には、自分がいつか置いたものしか存在しない。それを少しずつ捉えて変えていくことから、哲学的真理が生まれるのだ。それは、社会的相関である。
posted at 17:37:31
何が何をもたらすのかを実感することから、人間は何が出来るのかを知る。そして、それを知り尽くすことから、理想的世界とは何なのかが見えてくる。そこで自分が出来ることを知ることから、全ての実現性を知る。その上で、この世界がどう出来るのか、可能性が見えてくる。
posted at 17:36:38
社会は、感情の連関から生まれていく。それぞれが思ったことが、別の人間の何かを呼び起こしていく。人生は、次第に悪いと思っていたことの意味を知り、俯瞰し、キルケゴールのように、自由な美は秩序の宗教へと変わっていく。自分の行動を反省することから、社会的倫理性が生まれていく。
posted at 17:35:39
自由を考える中で当たり前に分かる必然的なことを発見していけば、哲学は出来る。人生はどのように段階的発展を遂げ、未熟が成熟に変わっていくだろうか?人間と人間が関わり合う中で、何がそれを規定するだろうか?どうすることがどうすることへと繋がっていくか、それは何を意味しているだろうか?
posted at 17:34:25
ある意味、経験を与えるために、その経験をどのようにすれば可能になるか、考えることが、カント的な哲学の第一歩になるだろう。
posted at 17:30:08
確かな事実を、潜在的システムだと言っても良いし、実現可能性だと言っても良いだろう。自然とも、努力とも、天才とも言えるだろう。そこから、奇跡が生まれるのだ。
posted at 17:29:34
そして、率先して作り変えるべきなのだ。そのために、みんなで出来ること、その「出来る」と言う確かな事実を信じることだ。この世界は、そういう、「確かな事実の集合」で出来ている。
posted at 17:28:56
戦う人間は、勘違いしている。戦いが、自分のためにならないことだと言うことが分かっていない。それは、勘違いの問題だけではなく、環境的な問題もある。そこでは、いくらか自由を無くして、手段を与え、教えれば、自由な秩序ある世界へと作り変えられる。社会は作り変えられるのだ。
posted at 17:28:00
天才は努力している。だから、奇跡的に出来るような天才は居ない。天才には、「出来ている理由」と言うものが必ずある。誰か別の人間がまぐれで出来るような天才は居ない。
posted at 17:26:59
ある意味、他人を自分と同じだと考えることは重要だ。そして、平等なだけではなく、それぞれに違う出来ることがあるのだと考えることだ。一人で全てをやることも、不可能ではないだろう。だが、そのためにはそれ相応の努力が必要だ。
posted at 17:26:16
キリスト教が言うように、自分を愛するように他人を愛することだ。
posted at 17:25:26
それぞれが秩序を生み出すこと。それは、きちんと分かった人間が一人一人を導いて教えれば、実現出来ることだ。そして、その人間を生み出すことの方を考えるべきなのだ。
posted at 17:24:59
その人が何故間違ったことをするのか。それは、きっと自由を勘違いしている。自由な中で、色んなことが出来るのに、何が出来るのかを知らない。きちんとやれば、出来るのが分からない。それこそ、出来る、と言う発想がそもそもない。自由を、破壊と戦いのツールだと勘違いしているのだ。
posted at 17:24:18
その人の自由を許すことで、道徳性が生まれることはある。だが、間違った自由と言うものもあるはずだ。だが、それは自由が間違っているのではなく、きちんと教える人間がそばに居れば、解決する問題だ。馬鹿な人間は、周りに賢い人間が居ない。
posted at 17:22:58
昔の自分は、ソクラテスのような人間だった。
posted at 17:21:41
なぜ自分が出来ないのかを考えることで、他人が何故出来るのかが分かる。明らかに、何も知らないから出来ないだけであって、それは、「ものごとをどのように考えれば良いか」を知らないだけであって、それは、教えてもらって身につくものではなくて、自分の心から生まれてくるものだ。
posted at 17:21:11
ただ、人を思いやり、人を許す心は、世界を救うと思う。どんなに終わった社会でも、道徳性は存在するはずだ。
posted at 17:20:07
それこそ、自分が参加可能でないものは、自由でないだろう。中学生や高校生にも参加可能であり、手段が無償で公開されていなければ、それは自由とは言えないのだ。
posted at 17:19:18
どうでも良いが、社会のことをもう少し考えた方が良い。むしろ、何かが出来る手段と、それをするための実現方法があれば良いように思う。明らかに、会社がそれらを持てば良い。だが、それは人々に対して後悔され、共有されるものであると、誰でも応用的なことが出来る。そういう簡易性も理想だ。
posted at 17:18:48
だから、サイエンスやテクノロジーで劣っていても、文化や思想の点では優れている部分があると思った方が良い。それこそ、科学技術はアジアの中で一番優れているところもある。西洋の文化は美しくて自由だが、他の人種に対して排他的だし、賢いと言うよりはただ普遍的・普通なだけだ。
posted at 17:17:45
ある意味、日本は賢いものが簡単に得られすぎるところがある。漢字が分かるだけではなく、カタカナ語には英語がほとんどある。食べるものも、中国由来のものから西洋由来のものまで、いくらでも超美味いものを食べる。ファッションや芸術も、日本独自のものから西洋由来のものまである。
posted at 17:16:46
日本人には、国民意識が強いから、国民のために頑張って、標準の理想を上げていく気概はたくさんある。日本人が必ずしも馬鹿なわけではなくて、ある意味、世界は日本以外全部同じで、日本以外は全部最低最悪の社会だ。そこは、日本人は誇って良い点だ。日本人は、日本だけを最高の土壌的環境にする。
posted at 17:15:22
きっと、日本人には何も出来ないだろう。日本人は、科学のことを学校で教わるものだと思っている。民主主義についても、政治のことを教わるだけだと思っている。欧米人は、自分から実践して科学や政治のことを開拓していく気持ちがある。だから、決して昔の自分は賢くない。あれは2ちゃんねるだ。
posted at 17:13:58
ある意味、Linuxを見ていると、本当にLinuxは一体何なのか分からない。社会を馬鹿にした可能性はあるが、むしろ、もっと大きな可能性を秘めたものだと僕は思う。今、江戸時代ぐらいかもしれない。今から、明治維新が始まるように思う。無秩序な自由な社会が、普遍的秩序を持ち始まる。
posted at 17:12:25
日本人の思うコンピュータの姿が、DOSやWindowsの一般的利用から先へと向いていない。アメリカ人は、コンピュータと言うものがどんな可能性を持っているのか、真剣に追及しようとする。日本人にとっては便利なツールだが、アメリカ人にとってはシステムの基盤なのだ。
posted at 17:10:49
僕が思うに、欧米は賢過ぎる。特に、Windowsのフリーソフトは、日本人は簡単な適当なガワだけ、単機能だけのソフトウェアしか作れないが、欧米人は賢いシステムやプラットフォームを作る。複合的で、高度なシステムを自ら作るのがアメリカ人だ。日本人は、まともな代わり、単機能しか作れない。
posted at 17:09:43
ある意味、誰も権利や権力を持たないことで、自由になることは多い。それが、ストールマンの考える、正しい自由な社会だと思う。
posted at 17:07:57
自由の良い点は、「その人が個人的にきちんと考えれば、誰でも同じように出来る」と言う、「基礎的能力・手段の応用性」であって、過度に組織化し、保守化した自由には、自由の意味が無くなってしまう。独占的な自由は、公開性に負ける。Linuxの世界で起きていることと同じだ。
posted at 17:07:27
自由には、人間性が必要だ。人間性のない自由には平和や正当性が無いし、自由の無い人間性には能力や手段が無い。
posted at 17:06:32
自由にも、理想はある。誰もが、出身や身分だけで差別されたり、強制されたりしないこと。それは、むしろ、右翼の政治家であっても、信念として存在する場合が多い。誰かが何の過ちもないのに不幸になることを、民主主義の政治家は嫌う。だから、自由は万人に権利を与えるのだ。
posted at 17:05:35
だから、自由に戦えば良いし、自由に倒せば良いことになる。それは、むしろ、何も出来なくすることで勝つのも、ある意味一番自由だと言うことになる。自由な政治家に自由はない。相手を倒すだけが権力だ。
posted at 17:04:23
ある意味、誰でも自由にして良いのなら、ルールを作れば良い。そのルールも、みんなで作るのが良い。そういう発想が、民主主義の政治体制だ。
posted at 17:03:19
Debian 9がリリースされたようだ。
posted at 17:02:24
民主主義には、「誰でも自由にして良い」と言う自由の原則がある。誰でも会社を作って良いし、誰でも選挙に立候補して良い。そういう風に考えていると、「自由の原理原則」が見えてくる。だから、本を読んでも分からない。経済学は、考える人間が出来る。
posted at 17:01:37
だから、きっとネットが昔の状態に戻れば、賢い社会に戻るだろう。ネットが馬鹿なのが悪いせいで、Windowsも馬鹿になっている。見ていると、僕のやったLinuxやGPL系のプロダクトが一番悪い。みんな、馬鹿になった。
posted at 16:16:13
最近の日本がおかしいのは、ネットが自然に馬鹿なものになったことだ。何も分からない、普通の人間のたまり場になっている。昔は、ネットが賢かった。ブロガーは一部の少ない人間が、やけに賢い最新情報を教えるものだったし、2ちゃんねるでは賢い討論が多かった。最近のネットは馬鹿になった。
posted at 16:15:30
だから、一度馬鹿になった大人は、文章を書くようになる。
posted at 16:12:35
情熱をもって一心不乱に取り組み、自分なりの判断基準を作っていると、誰でもこの世界が全部分かるが、それは青春と言うもので、誰でも二度は訪れない。大学より、青春が良いが、青春は世界を新しく知る、赤ちゃんのような人間だ。
posted at 16:12:21
本には何も書かれていない。やればやるほど分からなくなる。学校でも何も教えていない。分かりたい人間は自分で考えるしかないが、学校で教える論理的思考では、何も分からない。文章を書いた方が良い。
posted at 16:10:30
だから、自分が一番賢い。大学も、ネットも、理性も経験も、何も賢くない。
posted at 16:09:45
だから、やりたいなら、文章を書くのを勧める。誰でも、文章を書けば分かる。病気が治る人間が多い。僕は、文章を書いてみんなを支配していたのが、そのまま病気を治すようになっただけで、賢くは無い。
posted at 16:09:27
本を読めば読むほど、学校で教われば教わるほど、馬鹿になる。大学はみんなを馬鹿にしているだけだ。普通、大学をやっていると、昔の自分のような、分かっているようで何も分かっていない馬鹿になる。みんな、そういうところが馬鹿だ。
posted at 16:08:41
本なんか、読まない方が良い。民主主義の勉強をすれば良いのかもしれないが、本を読んで鵜呑みにするよりも、自分の頭でそれは何故なのか考えた方が良い。経済学はそういう人間が出来る。
posted at 16:07:59
自分は、この文章を書くのをやめると、世界が平和になるだろう。そもそも、みんなは戦っている自覚が無い。ただ、話を聞いているだけで、どんどん分からなくなる。それは、知識より経験が大事だから、でもある。
posted at 16:07:26
昔は、社会の変転のようなことを書いていた。この世界がどのように変わるのか、全部「辿っていく」ように分かっていた。
posted at 16:06:41
プログラミングの技術は、「実現」だと思えば分かる。コードを書くことで、何かを実現する。低レベルな階層から、高レベルな階層まで、コードによってある技術の実現を「開発」する。そういうものだと思えば作れる。
posted at 16:06:03