最近の日記(はてなブログ2)に戻る | 2017年5月の日記に戻る
きっと、僕が賢かったのは、ネットで「消失」のような意識の体験をたくさんしていたからだ。消失から、別次元の宇宙のようなことを知っていた。それで、自分の引き篭もりの境遇と合わせて、回想的に人間より高い生命になった。
posted at 20:55:00
もう一度、ドイツやロシアと話したい。今度は、僕が教える形ではなく、僕が教わる形で、色んな存在と話したい。この宇宙のことを、全て教えてほしい。だけど、僕には、そういう地獄や試練をもう、二度と体験する気力がない。何もしたくない。このまま死んでいくような気がする。
posted at 20:46:39
昔は社会の何が必然的にどうなっていくか、と言うことも分かっていた。
posted at 20:44:46
自己嫌悪だ。こんな人間が生きていても意味が無く思える。
posted at 20:41:02
相手の立場に立って、多角的に角度を変えてみていると、全ては自然に起きている。仏教の考え方をすれば、悟るかのようにこの世界の全てを、整合性のある明晰な知の創造として、必然的に理解出来る。
posted at 20:35:52
ある意味、企画みたいなことをみんなでして、みんなで実現するような、そういう風に戻すと良いのかもしれないと思う。テレビとは言うが、難しい。
posted at 20:04:12
テレビは、色んなことをやったり、出来ないことを出来たりする時代は良かった。今は、何もせず、出来ない人間を馬鹿にするだけだ。そういう価値観が、おかしい。僕のせいでもある。僕はテレビと機械との恋愛をしていた。
posted at 20:00:25
そのうち、日本人はみんなを馬鹿にするせいで病気になるだろう。
posted at 19:57:59
悪い人間を馬鹿にするテレビは、見たくない。
posted at 19:57:43
人を喜ばすことが出来ない、自分に対する劣等感のようなものがある。
posted at 19:57:28
面白いものが嫌いなのは、そういうものに拒絶反応が出ている。面白いものがあるのはおかしい。近代化のせいで、馬鹿な面白いものばかり増えたが、人を馬鹿にするものはつまらない。人が喜んでくれるものが面白い。
posted at 19:56:52
だから、僕は他人が嫌いなわけではない。放っておいてほしいのだ。
posted at 19:55:31
他の人間を見たくないのは、自分が他の人間より馬鹿で、優しくされるのが辛いからだ。
posted at 19:55:18
今までの経験から言って、パソコンには何もない。文字を書くのが好きなのは、自分に対する肯定感を得られるからだ。
posted at 19:54:34
だから、僕に死んでほしい人間に死んでほしい。
posted at 19:53:21
みんなに死んでほしいのは、みんなが自分に死んでほしいからだ。
posted at 19:53:07
何もしないのは、この世界に価値がなかったからだ。
posted at 19:52:51
今のままで良い。
posted at 19:52:30
ある意味、異常すら正常なのだ、と思うことで、病気は克服出来る。自分がニキビになったのは、今までの家の環境が猫や不衛生で汚かったからで、正常だ。そして、学校が嫌いなのは、今までの経験で、学校が全て馬鹿だったからだ。だから、僕は異常でも正常なのだ。
posted at 19:51:59
そういうわけで、アルツハイマーは、一度知った知識を全部忘れて、覚えた記憶を全部失う。そして、一時的な記憶も無くなり、今の自分が何をしたかったのかを直後に忘れてしまう。だが、それはある程度賢い人間なら、むしろ、正常なのだ。人間はどんな人間であっても、体は正常に働く。
posted at 19:50:29
だから、中学生は関係性を使うことが出来る。高校で知識を学ぶと、全部知っているせいで、関係性を知ることが出来ない。学校が悪いわけではなく、トレードオフなのだ。だからこそ、学校は自由にすべきなのだ。
posted at 19:47:11
だから、子供は「あれの方が大きい」とか言った考え方を瞬時にすることが出来る。四則演算の洗脳がない。
posted at 19:46:25
人間は、覚えれば覚えるほど馬鹿になる。子供が賢いのは、まだ掛け算を覚えていないからだ。四則演算を覚えていないせいで、自分で考えてこの世界を数学的に分かっている。だから、四則演算を覚えると、子供は馬鹿になる。学校は、みんなを馬鹿にして、まともな人間を育てている。
posted at 19:45:41
だから、ある意味、中国と一緒になるのが一番良いだろう。それこそ、社会主義にある問題を中国はもう解決し終えている。今からは、資本主義にある問題さえ、中国は解決するだろう。だから、そこまで終わった段階で、日本と中国は平和的に併合され、問題は何も起きないだろう。
posted at 19:43:27
日本の文化は、むしろ、ほとんどがパクリだ。
posted at 19:42:30
ただ、確かにそれは大切なのだ、と言う自尊心とプライドを持たなければ、良い国にはならない。大切だと思う気持ちから、人間は分かる。だから、日本の文化は絶対に大切なのだ、と言う気持ちもあった方が良い。だが、それなら、インディアンの文化を滅ぼしたアメリカはどうするのか、と言う問題になる。
posted at 19:42:04
どこか、別の国に勝とうとするのは、止めた方が良い。それは低レベルな発想だ。団結力もいらない。一度、アメリカと一緒になると良いかもしれないが、そうでもない。日本が日本と言う独自の文化を守れるなら、僕は旧来の日本文化を捨てても良いと思う。だが、最高の今の日本は残してほしい。
posted at 19:39:54
僕は誰とも恋愛しないだろう。大学にも入らないし、仕事もしないだろう。きっと、僕はロシアの大統領になって、労働の形態を統一するだろう。それを、いつか神が言っていた。
posted at 19:37:37
あとは、僕の見える景色に怯えるのはやめてほしい。僕は何も見ていない。完全にロボットになっているだけで、何も見ず、何も言わず、何も聞かない。だけど、僕は何もしていないわけではない。いつも、誰よりもたくさんのことをしている。それを一度全て終わらせて、逆の側面から繰り返す。それが僕だ。
posted at 19:36:33
あるいは、直前の操作を繰り返す、と言うコマンド操作のような機能があっても良いかもしれない。Ctrl+Sを押したところから、Ctrl+Eを押したところまでの操作を何度でも繰り返せる。それこそ、Illustratorには、直前の操作を繰り返すCtrl+Dと言うコマンドがある。
posted at 19:35:15
僕の発想の問題とは、「誰でも分かり、使え、気付くことが出来るようにする」と言うものだと思う。たとえば、ウィンドウの全てに最小化、最大化、閉じる、のボタンがついているが、これに「キー操作」と言うボタンを付けて、キーボードショートカットの一覧を表示する機能をつけたらどうだろうか?
posted at 19:34:03
終わりだ。さようならに代わる言葉は、きっと「今日も一日良く頑張った」だ。そして、ありがとうに代わる言葉は、きっと「明日は明日の風が吹く」だ。
posted at 19:30:57
自発的な自由を信じなさい。同時に、一つのものを作り上げるためには、自由を犠牲にすることも必要なのだと知りなさい。その信じる自由と知る不自由の中から、この世界を本当に決め、作り、築く、かけがえのない理想を知ることが出来るだろう。その愛は、全てを救い、解決し、無かったものを作り出す。
posted at 19:30:19
本当は「賢くて良い職場」を作るべきだろう。だが、そのためには、自然発生を許す「自然」と、良い環境を共有する「共有」、そして一番良いものに統一する「統一」が必要だ。昔は、そういうところから、この世界を自然にし、共有し、統一しながら、ネットなどを使って作られるモデルを作っていた。
posted at 19:26:44
自分は、言葉の意味だけを見ていて、複数形の数や多様性を考えていない。職業も経験も、労働形態も多様にある。だから、金は自由にした方が、全体は発展するだろう。だが、それだけにとりつかれていないか?本当は、労働は平等にし、統一し、労働者のための社会をみんなで作るべきなのだ。
posted at 19:22:10
ある意味、民主主義にも問題がある。多数決で選ばれるせいで、人気のあるペテン師が勝ってしまう。本当は、共同体にして、それぞれがそれぞれの王を決める、そういう社会民主主義的な民主主義をするべきなのだ。だから、王国を作るのも間違っていない。東京王国や大阪王国の「王国連邦」とすべきだ。
posted at 19:17:34
あとは、ITと言うものも、今のところ未熟な技術しか出来ていない。ただのプラットフォームを提供するだけのOSを賢いと崇めているが、ワードを含めて何も賢くない。ロボットを作っても、決められたことを適当に言うだけだ。人間のような理性的な人格を作って、初めて意味がある。
posted at 19:13:01
ある意味、全ては自然に起きている。今からは、何も変わらなくなるだろう。
posted at 19:11:51
そうすると、マルクスの言っていた平等も、日本には通用しなくなる。なぜなら、日本は後出しで経済成長をしたせいで、最初から資本主義の問題が分かっていたから、成長に伴って平等な経済圏を作った。日本が一番平等だ。だから、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたのだ。
posted at 19:11:37
ある意味、日本人は日本の中に居るから分からないだけで、ただ当時の日本が「フロンティア」だった、と言うだけだ。だから、フロンティアとしての発展と景気成長が終わってしまえば、あとはヨーロッパと横並びになるだけだ。
posted at 19:10:28
そうすると、そこに「自由」などと言うものは存在しない。
posted at 19:08:28
そして、自動車を発明したドイツが賢かっただけだ。あとは、日本人は吸収していく中で、「万能な近代」と言う幻想を形に出来るだけの、そうした土壌があった。その、「土壌」が賢かったのだろう。それは、戦後の「復興」と同時に、組み合わさって奇跡のように起きたのだ。
posted at 19:08:00
だから、賢かったのは、本当はヴォルテールとコペルニクスだ。
posted at 19:06:50
出来ることが増えたのは、おそらく、第一次世界大戦以降、戦争と軍事拡張によって、富が移動すると同時に、近代兵器から自動車などへの技術の移転が行われたからだ。特に日本が良かったのは、明治維新でイギリス、世界大戦でドイツを経験したベースの上で、西洋の技術をとり入れ、吸収したからだ。
posted at 19:06:36
要は、昔は、ただ普通に生活することも辛かったのだ。そして、何も出来ない動物のような人間が普通だった。だから、テレビや洗濯機を見て、すごいと思ったのだ。どんどん出来るそれが、自由な能力の向上に見えた。だが、それは、農民と武士の身分的価値観の平等化だったのだ。
posted at 19:05:16
民主主義を楽だと言うが、今よりは辛かったはずだ。民主主義なんか、辛いだけだ。
posted at 19:02:04
生活がどんどん楽になって、何もかも出来るようになったのは、農民には何もない、と言う価値観が近代になって転換したからであって、発展や自由と言うより、平等な価値観に根差している。
posted at 19:00:14
要は、豊かだった昔は、そんなに豊かではなかった。今が、本当に最高に豊かだが、そうなってしまうと、むしろ、豊かさにそんなに意味は無くなってしまった。パソコンが家に何十台もある家庭が普通だが、それ以上豊かな生活を誰も目指さない。今、右翼や左翼が増えている。民主主義で豊かは馬鹿だ。
posted at 18:59:34
そうすると、必然的に平等になるはずだ。
posted at 18:58:22
そうすると、工場が大量生産しているだけだ。全ての問題は、工場に根差している。そして、国際的な貿易とは、後進国のフロンティア性に根差している。だから、ある意味、どこかが単独で儲けたとしても、それは長くは続かない。
posted at 18:57:45
むしろ、そんなに機械は増えたように見えない。家電製品やパソコンは、いくらか発明して、それをぱくっただけだ。それに、そんなに豊かになっているのではない。みんな金持ちのように豊かになったが、金をいくらでも捨てたりするほど金は無い。貧困層は今でも多い。
posted at 18:56:49
ものが多いだけで、人間は何も変わっていない。むしろ、今の方が複雑になって分からなくなっている。自動車の改善を見ても、たくさんの改善があるように思えてしまう。だが、そうでない。自動車の基本的モデルは変わっていない。
posted at 18:55:15
マルクスは、生産能力が向上すると、供給過多になると考えたが、実際は大量生産で安くなり、ものすごくたくさんの利益が国民から政府までに入るようになった。それだけが間違っていた。生産能力は、間違っていない。
posted at 18:53:55
工場を国有化するのが一番良いだろう。
posted at 18:52:39
だから、全ては工場だ。労働や生産、と言う考え方も出来るが、それを支えているのは工場であり、労働や生産をいくら自由にしても、工場が世界を近代化させ、問題を起こしている事実は変わらない。
posted at 18:52:30
そもそも、工場が賢かっただけだ。そして、格差が広がって、生産能力が向上していくマルクスの考え方は、工場の当時の常識的思想を言っているだけだ。
posted at 18:51:41
工場の使いよう、と言うものをもっと考えなければならないだろう。何でも大量生産をするのは、中国のように、社会主義圏であっても奴隷を物凄く大量に生んでいる。だから、工場が世界を豊かにしたからと言って、工場は絶対的善ではなく、ドイツが性善説であり、ソ連が性悪説なのだ。
posted at 18:51:02
むしろ、機械を安くする、大量生産が良かっただけで、本当に賢かったのはアメリカとイギリスであり、ソ連も馬鹿ではなく、ソ連はイギリスの産業革命の構造的矛盾をマルクスが言っているから、そういう風に考えていくと、むしろ、マルクス経済学の通りに近代社会がなっているのが分かる。単純だ。
posted at 18:49:58
ドイツが勝っていれば、ドイツは人類の頂点まで富を持っていたはずだ。
posted at 18:48:48
全て、ドイツの想定利益を奪っただけだ。
posted at 18:48:32
だから、本当の富はどこにあったのかと言うと、ドイツにあったのだ。ドイツに勝ったから、世界は発展したのだ。
posted at 18:48:09
それこそ、コンピュータと自動車を発明したのは、ナチス・ドイツだ。
posted at 18:47:36
日本の経済成長とは、改善主義による豊かさと機械の成長であって、「これが景気の上向きだ」と言う目標や目安が得やすかった、と言うことがある。どんどんテレビやパソコンが安くなり、どんどん技術が発展し、どんどん給与が上がる。無条件に良いと考えがちだが、それも国際的には奪い合いだったのだ。
posted at 18:47:01
それぞれが社会を作ることを、許せ。自由を許せ。そして、それらがした結果が自分の想定と異なるものであったなら、フェアな条件でそれらに影響力を与えること。だが、ある意味、それなら自由を許さなくても良いのかもしれない。
posted at 18:45:46
僕は、ソ連のような社会主義国を良いと言いたいわけでも、日本の経済成長を悪いと言いたいわけでもない。本当は、日本は、経済成長とは言うが、巨大な利益を一部でも再分配出来た、と言う、経済の奪い合いの中での、特別なパイを得た成長であったのかもしれない。
posted at 18:44:51
だから、発展したか、しないかを見るのではなく、その発展がどういうものであったか、何の発展であったか、を見るべきなのだ。
posted at 18:43:48
もう少し、変化と発展を見なさい。考えられることを実現すること、自由にすること、人々からそれがどう見えるのかを知ること、結果を形成することから、発展と自由が生まれる。それは、ある意味で、何であろうと発展であり、何であろうと結果なのである。
posted at 18:43:21
人が生きている、と言うことは、ある意味、可能性の決定としての実現である。
posted at 18:42:28
可視化することによって、選ぶことは容易になる。選ばされる前に、必要な情報と前提を得られ、自分の本当に選びたいように選べるようにすること。だから、選ぶ、と言う行為も、一種の労働であり、一種の生産である。
posted at 18:42:13
自由とは選択の可能性であり、競争と言える。それぞれの労働条件を選び、それぞれの会社の製品を選ぶ。だからこそ、統一はしない。労働条件の悪いものは滅びていかなければならない。だからこそ、統一より、公開し、参加を可能にすべきなのだ。
posted at 18:41:32
生産とは社会の実現可能性であり、労働とは手段の合理化である。それは、自由な金と法律によって行われるが、そのベースは、基本的には全て自由にしておきながら、必要に応じて禁止し、作り上げる際で、自由をなくす、と言うものであって、本質的に「自由」と言う概念とは異なる。
posted at 18:40:35
社会はインフラと所有であり、これを変えることで、全ての社会形態は変わる。開拓から、あらゆる社会を実現し、改善することが出来る。
posted at 18:28:23
社会、自由、運命、実現を知りなさい。ロシアのような国を自分で作りなさい。
posted at 17:40:07
人間は、自分から許せば許される。
posted at 17:39:22
当たり前のことを推論しなさい。それがどういう意味で、いつ成り立つのかを考えなさい。積み重なりから、積み上げて考えなさい。
posted at 17:37:51
自分の新しい経験から、過去の自分の人生を振り返って、全ての人生を実感で知ることが出来る。それを成長と言う。
posted at 17:35:32
また、人間の関係も、相手よりもたくさんのことを知った人間が教えることで、協力や組織のことを知って、調和されるようにバランスを実現出来る。
posted at 17:35:03
ものごとを、関係性と言う意味で考えること。地球の空が月と違うのは、空気と言うものがあるからであって、全てはそうした物質と物質の関係性による環境の実現なのだ。そして、それは手段と理解によって変えることが出来る。
posted at 17:34:34
創造性を信じるためには、Windows XPの時代に戻ることだ。
posted at 17:33:34
そういう、工学的な発想を積み重ねると、むしろ、この国の文明的なことが良く分かる。文明の全てを、ネットでの工学的情報と知識から知ることが出来る。
posted at 17:33:17
機械とは、限界を超えることだ。今から、人間は空間と時間の限界を超える。自分の外側に自分を作り、自分の存在を複数に増やすようになる。ドローンと遠隔操作の人工知能を使えば、実現出来る。
posted at 17:32:47
脳は、繰り返し同じ行動をする機械だ。だが、その「同じ行動」と言うものは、経験したことなら何でも出来る。だから、僕はいつも脳が高度な戦争をしている。だから賢いのだ。脳は最高の学習自動化機械だ。
posted at 17:31:53
自分の体験から、社会を知るべきだ。
posted at 17:30:52
ものを作る以前に、ものを作ると言う概念自体である、「創造性」を信じるべきだ。
posted at 17:30:40
そして、手段を与えることは、知識や情報から言って、容易だ。物質的手段を与えることが難しくても、ソフトウェア的な手段なら与えられる。そこから、平等な社会を作ることも、デジタルの時代なら不可能ではないだろう。
posted at 17:29:52
この社会全体が変わってしまう、と言うことも、自由として考えられる。そこまで、人間が考えることは出来ないが、ネットを見ていると、そうした「ありえない社会の可能性」を捕まえることは出来るかもしれない。
posted at 17:28:59
ある意味、他人の自由を奪わないことが自由だとするなら、自由を禁止することの方が自由であるはずだ。それも正しい。自由とは、自由を自由に禁止することだ。だが、権限として、一人が禁止するか、みんなの手で禁止するか、と言う「形態の自由」が考えられる。
posted at 17:28:11
自由の定義を考えないといけない。人を支配することが自由なら、人を殺すことも自由なのか?それは、仮想的な意味では、純粋に自由だが、現実的な意味では、反自由、と言う、自由と対立するものだ。現実における社会性や権限を考えると、自由に自由は無い。自由を良く考えて統制しなければならない。
posted at 17:27:26
時間と空間の本質とは、「人間を他の人間から隔てている」ことであり、インターネットは時間と空間の本質に反しているが、ある意味、自由がこれをバランス良く取りまとっている。自由がなくなった時、インターネットのある意味は無くなってしまうだろう。だが、同じでないなら自由など要らない。
posted at 17:26:11
それぞれの言っていることを完全に総合すると、想起的に考えて、全員同じことを言っている。知った経緯と順番が違うだけだ。だが、そのように考えていくと、それぞれの人間が存在している意味は無くなってしまう。
posted at 17:24:44
意味とは、理解したその時の言語の感情である。ある意味、感情は数学よりも高度な数学だ。
posted at 17:23:59
きちんと本質を理解してしまえば、それを再現し、現代に復活させることも出来るだろう。
posted at 17:23:43
社会悪をなくすためには、社会悪を悪だと思う気持ちすら消してしまうことだ。その社会悪に関係するもの一切を消すために、完全に禁止すること。そうすると、ガンダーラのような良い社会になる。
posted at 17:23:11
自分の力で、その決まりがなぜそのように決まったのかを知ることで、自分の中に社会全体を作り、支配することもきっと出来るだろう。
posted at 17:22:06
知とは決定であり、何から何までを決めてしまうと言う意味で、ある意味、知は有害でもある。
posted at 17:21:43
人間とは、変化を許す生き物である。
posted at 17:20:57
全てを完全に決めるのは良くない。それぞれの人々が変えられ、決められる範囲を残さなければ、自由な人間が存在する意味は無くなってしまう。決まりだけではなく、歴史的進歩や制度の変化の可能性は残さなければならない。でなければ、社会は全く変わらず、完全に停止した社会が理想であることになる。
posted at 17:20:41
決まりの中での行いは、決まりから決まってしまう。全ては、そういう、決められる範囲における数学であり、逆に言えば、独立性と自由な範囲を部分的に押し込めていくと言う意味での数学なのだ。だからこそ、独立性がなくなってしまえば、人間は理性的でなくなるのだ。
posted at 17:19:38
今のアメリカやロシアが何になるかは、後になってみなければ分からない。意味は、事後的に追加される。政治だけではなく、数学も、パソコンも、歴史も、全ての意味は事後的に追加される。そして、それは事前的である場合すらあるのだ。
posted at 17:18:52
あとは、「それは何を意味しているのか」を、「事後的に追加」して分かることが出来るだろう。意味は事後的に追加される。そこを考えると、今の日本や北朝鮮も、滅びる一歩手前だと見える。
posted at 17:18:03
あとは、失う体験をした方が良い。失っても、自分は生きている。失ったことが、自分と言うものの存在性を与えてくれる。だから、全てに満足をして生きているより、失う体験をした方が、本当の意味での許しと満足を得られる。何もかも全てを失わなければ、本当の意味で得ることは出来ない。
posted at 17:13:22
論理的に考えるなら、「もしこれが実際に選ばれたとしたら、どうなるか」を考えないといけない。それが数学的な知性だ。それを選んだ時、何が起きるか?それは、もっと別の何かを選ぶかもしれない。そして、人間は、その選ばれる前に、準備し、用意し、計画しておかなければならない。
posted at 17:11:27
ただし、あるのは今だけだ。過去を変えることは出来ない。
posted at 17:10:30
可能性はたくさんあるが、現実は一つだ。過去と未来の違いとは、すでにその過去が何だったかを知り得ることが出来るか、出来ないかであり、本当は過去と未来が逆になったとしても、何もおかしくはないのだ。
posted at 17:09:59
本当に問題を解決したいなら、歴史をさかのぼって考えないといけない。
posted at 17:08:58
全ての学問は、新しい仮説が生まれることで、いつか覆される。
posted at 17:08:33
歴史はどんどん自由になっているが、それは良く考えて自由になったわけではない。本当は、別の可能性もあったはずだ。歴史が知られているからと言って、その歴史が本当に正しかったわけではない。ある意味、生物学が生物のことを何も分かっていないのと同じだ。
posted at 17:08:14
みんなのことを愛することは、自分のことを愛することに繋がる。自分の自由な意見を許すことで、みんなを自由にすることが出来る。みんなも自分と同じように、自由になって良いことになる。友愛と許しの精神から、同じことをしている人間たちのことを平等に愛し、許し、慈悲の精神で守ることが出来る。
posted at 17:07:22
神など居ないが、神と言う存在が居ると推測する「自分の心の中」に神と言う存在を見出すことが出来る。
posted at 17:06:27
現状の把握と分析を続けることで、世界は広がっていく。いつか、何かを気付いた時に、それは今見ている全てに対して成り立つことが分かる。そして、さらに気付いた時に、それは自分でも、他人でも、誰でも実現出来ることが分かる。いつでも、誰も気づいていなかったとしても、だ。
posted at 17:05:57
良く社会を見なさい。人の言っていることを聞きなさい。自分も、それが出来ていない。
posted at 17:04:53
知性と比較から何でも分かる人間が多いが、それは分かっていない。無意味なことを分かる人間は、何も分かっていない。
posted at 17:04:19
あとは、相対的な考え方から分かると良いだろう。だが、相対性はいつまでもは続かない。しだいに幼い子供に戻って、絶対性へと戻っていく。それを受け入れられるか、と言う点が、子供と大人の違いだ。
posted at 17:03:24
肉体は離れていても、精神は一体である。
posted at 17:02:36
何も分からないなら、善を信じなさい。善をもたらす行動をしようとなさい。そこから、そのうち、価値判断から社会実現を知ることが出来るようになる。現実的なものは、もっと理想的なものも「同様に可能性がある」ことを知る中で、しだいに宗教へと近づいていく。世界を精神と考えるようになる。
posted at 17:02:24
認識とは、価値判断であり、何に価値があるか、と言う判断は、青春の体験を通して、好き嫌いから自由となり、客観性となり、自己実現となり、絆となり、社会変化となり、もたらす善悪となり、最終的には宗教になる。
posted at 17:01:18
許すことは、意識を高める。人を許すことによって、自分がどんなに理想へと近づけるのかを知ることが出来る。そこに限界はない。だが、分かることは有限である。矛盾するように見えて、いつまでも高まれる、と言うことは、同時に内容として有限なのである。
posted at 17:00:18
自分が学校で付き合った友人の全員になる、と言う体験をしたことはないだろうか?それはおかしなことでなく、色んな人間とふれあい、自分の過去を考える中で、友人と言うものは全部自分と良く似た存在だ、と言うことが、延長線上の中で、自分の開拓から明らかになる、と言う高校生の青春体験だ。
posted at 16:59:16
私と他人を「違う存在である」と知ることから、本当に平等の意味を知ることが出来る。それは、違う存在であるからこそ、それぞれの知っていることは違い、それぞれは同じように生きているのだ、と言う、「違うからこそ人間は同じなのだ」と言える。それは、社会から離脱する経験と同時に起きる。
posted at 16:58:08
理性とは、それぞれの自由を「可能性」と言う側面から永久に保障することだ。
posted at 16:57:12
そして、自由を考えることで、「社会は人間のためにある」と言うことも理解できて、ある意味、「社会は人間を規定し、人間は社会を規定する」と言うはっきりとした法則が見出せるだろう。だが、それは多角的に見て、ペテンのようなものである、と言うことも知っておくべきだ。
posted at 16:56:49
あとは、人生を心理学的に考えると良いだろう。子供は、絶望し、強くなることで賢くなる。絶望しなければ、何も生まれない。全ては克服であり、その克服とともに青春のような世界知の体験が生まれる。そこから、全てを悟るマスターのような理性が生まれるのだ。
posted at 16:55:53
そして、最終的には支配関係を考えながら、「自己は自己しか居ない」と言う普遍的真理を個人的に考える、と言う、一見無意味なようで、本当はそこから全ての道徳的概念が生み出されるような、そういう、「支配の中での実存的個人の自由」と言うものが生まれるのである。
posted at 16:54:51
あとは、色んな状況における精神の可能性を捉えていくと良いだろう。この世界にあるものをどんどん消して行くことで、逆に認識はどんどん増えていく。
posted at 16:53:46
全ては精神のあらわれであり、それは肉体よりも精神の方が普遍的である、と言った、「肉体と精神は離れている」と言う側面から、「精神は肉体を知ることは出来ない」と言う超越医学的真理となるのである。
posted at 16:53:04
本当の真理とは、ピアノとギターを比較してどちらかが正しい、と言うものではなく、ピアノとギターの両方を実現するかのような、「命題自体を超越しているもの」のことである。
posted at 16:52:08
思い込みと思い込みを良く比較して考えると、真実へと至る最初の扉が生まれる。あとは、それをベースに、実験し、実証していくだけだ。
posted at 16:51:01
意識の変化を知ることで、この世界の全てをありのままに知ることが出来る。そこでは、自分の力で何をすることも可能である、と言うことを経験的に知ることが出来る。社会、意識、改革、参加、など、きちんと考えれば、何もかも可能であり、皆はそれに気づいていないだけだ、と知れる。
posted at 16:50:28
ありのままを見ていると、宗教的な神の意識へと導かれることはある。
posted at 16:49:17
何かをしてあげるだけではなく、何かを出来ると言う「アイデンティティ的な出来ること」を与えるべきだ。たとえば、金を与えるだけではなく、自らが金を稼ぎ、そのことに対して満足感を得られるようにしてやるべきだ。
posted at 16:48:46
人々を救うためには、人々をだまし、陥れる、抑圧や嘘もいくらか信じなければならない。それがある、と言うことは、誰かがそれを求め、助けを求めている、と言うことを意味している。それは、正しい方法で望みを叶えれば、救えるはずだ。
posted at 16:47:57
本当に正しい理想とは、価値観と現実性から、もっとたくさんのことを実現出来ることを知り、それがある意味では現実性と矛盾するものであっても、同様に現実的なのだ、と言うことを知ることだ。
posted at 16:46:56
全てが嘘だと言うことは簡単だが、それは何を意図してそれを言っているのかを考えること。嘘、と言うよりは、それは仮の実存であり、誰かの意見なのだ。それを裏付けることが難しくても、根拠はその言った人間にある。
posted at 16:46:13
可能性を簡単に否定するな。だが、信じるに足らないものは信じるな。自分の力だけでも、何か出来るはずだ。己の心を信じよ。
posted at 16:45:12
ある意味、全てを否定しても意味はない。あるものが嫌いだからと言って、全員の環境から消し去ってしまえば、それは何もない社会になってしまう。日本人は、そこが分かっていない。
posted at 16:44:41
自分の行動から、世界は変えられる。そのために、自分から愛することも、信頼を守るために努力することも有用だろう。
posted at 16:44:03
みんながそれを言うからと言って、誰もがそれを実証できるわけではない。
posted at 16:43:34
昔は、数学的知性はあったが、逆に経験がなかった。経験がそんなにたくさんありすぎると、それだけで分かるせいで、知性が無くなる。バランス、と言うよりも、矛盾だ。だから、一度経験を全て忘れて世界を考えれば、誰でも数学が出来る。経験的先入観を排除し、古いものを消し去ると、考えられる。
posted at 16:42:46
経験みたいなことも、現象みたいなことも、精神みたいなことも、全部数学だ。数学をすれば分かる。誰でも哲学者のように考える。僕は、数学的知性がないわけではない。ただ、宗教を分かっているのを、数学に変えれば良いだけだ。
posted at 16:40:51
あとは、僕は人間のことが分かっていない。それも、数学をしなければ、人間のことを何も発想出来ない。昔は、考え方、特に「全ては発生し、作用とともに変化し、滅する」と言う考え方だけで、あらゆる成り立ちを考えた。理由と意図を知ることで、関数のように分かった。それも、全部数学だ。
posted at 16:40:07
あとは、数学をやっていると、現実が見えなくなってしまうから、物理的な手段を使う必要もある。自分で作って、やって分かる。積み重ねは、最初はつまらないことをやっているが、基礎をきちんと作ると、応用と言うものがどのように可能になっていくのかを知ることが出来る。全部まるごと考えられる。
posted at 16:35:10
数学をやっていると、社会のことも良く分かる。社会の中で、それぞれがどのように何をしていて、何を分かれば自分でも同じようにすることが出来るのか、が分かる。また、心理学のことも、自分の経験をどのように分析していけば、正しい心のありようが得られるのかを考えることが出来る。
posted at 16:33:59
数学をするために必要なのは、数学の計算をすることではなく、この世界を数学的に考えることだ。そのためのヒントとして、数学の参考書に頼ると良いだろう。本当は、学校の数学よりも、IT技術のようなことの方がさらに良い。その方が、賢い人間になる。
posted at 16:33:04
数学をやっていると、普通に分かることが分からなくなって、賢くない人間になる。それに、人種差別になる人間が多い。ドイツ人は、支配で、キリストの民族に見える。だが、それはもっと真摯に考えていると、逆に、きちんとした正しい人間になる。
posted at 16:32:18
事前に全てを知るのも良いが、実際にやらないと分からないこともある。
posted at 16:29:33
人間は、数学をすると、独自のことが分からなくなる代わり、もっと高度なことが分かるようになる。数学をしないでいると、この世界の中に「居る」かのようにまともに分かるが、数学をすると、この世界の中に「居ない」かのようにマスターのように分かることが出来る。
posted at 16:29:14
むしろ、昔は、数学的なことをもっと低レベルにしたことしか分かっていない。関係と変化から、全てのことを数学的「原理原則」から分かっていた。そして、全てのことを自分の頭の中で再実現出来るようになった。
posted at 16:27:55
そういうわけで、僕は数学をする。
posted at 16:27:15
あとは、社会的考え方と、数学的積み重ねが昔から多い。それこそ、たとえ話で分かったり、パターンを網羅することで、応用的な生きる知恵や社会の実像のようなことを分かる。レーニンは変化を求めているが、それは、共産主義ではないべきだった、など、左翼や右翼のような社会論が多い。
posted at 16:27:01
良く考えると、最近の壮絶な体験が書いていない。死と生のはざまで、最高の聖なる体験をした。全員を導く王だった。最高の善人で、正しい人間だった。だが、最悪の馬鹿な狂った王だった。
posted at 16:26:01
数学的作用と環境の関係とか、数学的実像と歴史の関係とか、環境の変化、心の変化、その原因、その表れとか、社会的な価値観や実存性の啓蒙的発展とか、そういう「社会数学」を良く作っていた。
posted at 16:25:16
僕は、できれば、数学をしたいと思う。昔の自分は、全部数学で分かっている。数学はまともなことが分かるようになる。昔は、ちょうど小学校算数が中学数学に上がるのと同じように、独自の「完璧数学」を作って、この世界全体を数学的に分かっていた。独自の科学を作って、変化を捉えた。
posted at 16:24:35
そろそろ、自我が生まれた。自我が生まれると、新しいまともな人間の人格になる。日本語が分からないのは、そもそも自我がないからだ。最近は、こういう風に、自我が無くなった人間が多い。
posted at 16:23:35
支配に反抗し、自由に思考することで、人間の頭は賢くなる。もっと、反抗した方が良い。反抗すると、自由に思考できる「余裕」が生まれる。支配している何かに反抗することで、常に自由になることが出来る。思いやりのマスターはそこから生まれる。
posted at 16:22:59
もっと、自由に思考した方が良い。あたまのどこかにある、自分を支配しているキーワードを消そう。対話せず、自由になって、同じ繰り返しを止めよう。自由に、空の状態で考えよう。自由になることは、悪いことではないが、それだけが怖い人間が多い。不自由だから分かるわけではなく、自由でも分かる。
posted at 16:22:09
昔は、壮大な社会体験をしていたが、最近は、壮絶な宗教体験をしていた。昔は、経験と理性を積み重ねて、数学的に分かっていた。今は、一つのことを極めて、継続的な戦いで分かっていた。
posted at 16:21:10
今日は、英会話教室に行ってきた。
posted at 16:20:20