最近の日記(はてなブログ2)に戻る | 2017年5月の日記に戻る
パソコンの応用として、組み込みシステムがある。テレビをネットワークでコマンドから操作出来るのは、悪くない。
posted at 23:39:38
息をするだけで治る。
posted at 23:39:11
知性をつけ、知識を知ることで自由になる。
posted at 23:38:49
Linuxは、集まって、自由に改良して、共有する集団だ。それも楽しい。
posted at 23:38:26
おそらく、Linuxコミュニティが悪い。今のオープンソースは、「一人の力では作れないけれど、みんなが必要な汎用品(コモディティ製品)を品質良く作る」と言う目的になっている。GNUは「自分のコンピュータを本当に自分が自由だと思えるように改良し、共有する」ことを目指していたはずだ。
posted at 23:14:44
そういうわけで、今のGNUのしていることは、理想とかけ離れている。もう少し、一般の家電製品ユーザーがその家電の中のパソコンを自由に操作できるような、そういうミドルウェアを作るべきなのだ。
posted at 23:09:48
みんなでプログラムを作って、可能性豊かな社会を作る、と言うのがオープンなら、UNIXシステムなんか、オープンにしても何の意味もない。工場や機材の方がオープンである方がはるかに良い。UNIXが低レベルだと言いたいわけでも、高レベルだと言いたいわけでもない。楽しい部分を優先すべきだ。
posted at 23:08:56
ある意味、GNUは間違っていない。だが、GNUはやり方が醜い。もう少し美しいやり方をするためには、アメリカ人の技術者がやっているのでは悪いのかもしれない。どうしても、競争原理、戦う自由を前提に考えてしまう。
posted at 23:07:40
そうしていくと、逆に、GPLをどのようにしたいのか、と言うところが見えてくる。
posted at 23:06:46
ミドルウェアより下の、カーネルで作る部分をオープンにする必要はない。むしろ、機材も含めて、「機能的な部分」をオープンにしていくべきだ。電子製品でも、UNIXの部分はオープンにしなくて良い。番組表や録画の方をオープンにしなければならない。そこが、GNUのせいで逆になっている。
posted at 23:06:10
そうすると、むしろ、オープンソースにしなければならない領域とは何なのか?そこでも、もう少し違った正しいオープンの形式があるのではないか、と思ってしまう。特に、Javaはオープンにする必要が無い。Javaよりももっと低レベルな部分をオープンにする。だが、それは逆の方が良い。
posted at 23:05:03
だから、GNUの言っていることも必ずしも正しいわけではない。
posted at 23:03:49
だから、僕としては、オープンにしなければならない領域ではオープンにし、決められた規範と通信手段が公開されている場合では、オープンにしなくても、それはオープンソースの派生版と言えると思う。オープンネットワークに、オープンソースは必要ないのかもしれない。
posted at 23:03:32
ある意味、open()とclose()が出来る、UNIXのファイルシステムと良く似ている。通信システムとそこで行われる通信手段がきちんとされていれば、オープンでなくてもオープンと言えるのかもしれない。それこそ、画像まで著作権フリーにする必要が本当にあるのか、と言う問題でもある。
posted at 23:02:31
ある意味、ブラウザがオープンなら、WebサーバーやWebサービスはオープンでなくても良いのかもしれない。最初からHTMLを吐くから、信頼出来るのかも知れない。どこまでをオープンにするか、と言う問題ではなく、HTMLのような「通信言語」にどこまでオープン性があるか、と言う問題だ。
posted at 23:01:20
この世界から抜け出したい。
posted at 22:58:46
こんな世界は嫌いだ。
posted at 22:58:41
ある意味、エロい意味がない。エロいのは止めた方が良い。僕は、この世界に居る誰のことも愛していない。愛していないのに愛するのはおかしい。みんな、ルシオのことなんか誰も愛していない。いじめているだけだ。
posted at 22:58:27
大学や会社は、拘束されるだけだから、入りたくない。入力とデザインは、作業所でやることが出来て、嬉しい。今の作業所の日程では、午前中に入力をして、午後はデザインの課題をやることになっている。
posted at 22:57:44
ホームページを書くのだけが楽しいから、もっとWebのことを知ると良いかもしれない。
posted at 22:56:51
なんか、最近は自分は自己中心的すぎておかしくなっている。テレビは恋人、ネットはLinux、音楽はルシオ、日本は導き、学問は吸収、となると、もう自分しか居ない。他の人間と関わらず、自分がただ思うようにしたいだけをしている。全て関係ない。ほとんど誰の話も聞いていない。
posted at 22:56:24
@balloon_vendor そうですか~。自分はクロスプラットフォームアプリ派で、Windowsでxyzzy(Emacsライクなエディタ)やChromeやInkscapeなんかを使っていて、「Illustratorに代わるペイントソフトの入門サイト」なんかがあるとありがたかったりするのです。
posted at 22:34:25
@balloon_vendor 返信どうもです。ふうせんさんはアプリケーションの記事はあまり書かれないのでしょうか?「LibreOfficeを使おう」みたいな独立サイトがあっても良いような気がします…。
posted at 22:29:56
@balloon_vendor Gentoo LinuxとLFSお願いします!特にGentooのPortageが僕は好きです。
posted at 22:25:09
それをすることによって、自分にとって利益が生まれる場合を選ぶ。だが、選択しすぎて何も出来ないのではない。最高のことをするために、自分もまだ知らない偉業を行うのだ。
posted at 22:22:31
行動の原理は、環境と記憶にある。本来のマスターなら、全員のことを思うがままに支配できるだろう。だが、マスターはそれをしない。
posted at 22:22:28
そのためには、自分が一人賢くなるだけでは不十分であり、みんな全員を賢くさせる必要があるのだ。
posted at 22:20:43
本当は、王になったつもりになって、責任を持たなければならないだろう。だが、そのためには、この社会の全てのことを、自分の経験から知っておかなければならない。改善するだけではなく、それぞれの改善を俯瞰して、融和させ、社会を実現させなければならないのだ。
posted at 22:20:20
ある意味、個人主義でなければ、本当の民主主義でないと考えていた。民主主義が組織になって、ある一定の人々しか意見を聞かなくなってしまえば、それは独裁主義だ。だが、全体主義にして平等にするのも、同じだ。本当は、個人の自由を「それぞれ独立した王にして」考えさせるべきなのだ。
posted at 22:19:34
そして、自由と言う名前ではなく、選択が可能であり、その選択を前提として自分で選べていると言うことであり、そのためには試し、会話し、環境を自ら作り出し、決定を共有することでしか、成り立たないと考えていた。
posted at 22:18:32
そこから、「本当に正しい社会とは、自由である」と分かっていた。
posted at 22:17:45
悪を悪と思うのは何故だろうか?それは、不自由を人間が好まないからだ。そして、支配を悪いと思うのは何なのか?それも、不自由を人間が憎むからだ。昔の僕は、そういう風に、「自由と言う名の心理の原理」で全てを解明した人間だった。
posted at 22:17:28
全てが自然から考えられる。全ては自然にそうなっただけで、そうなることを「意図」されていたわけではない。昔の僕は、そういう、「意図されていない自然的結露」を考えることが多かった。
posted at 22:16:27
本当のこの世界の法則はシンプルで、解き明かすまでは複雑に思えたものが、ある意味当然の原理で出来ている。そうではないかと思う。
posted at 22:15:41
情熱を持つことは悪くない。むしろ、その「自尊心」を信じることは出来るはずだ。みんなが苦しまないこと、それは自尊心の問題ではないか?自分を取り戻すこと、それはプライドの問題ではないか?国を救うことは誇りで、平等を目指すことは理想ではないか?それらは自分の力でなら、矛盾がないはずだ。
posted at 22:15:15
むしろ、僕は「本当はそうではないのだ」と言うことも分かっていて、慈悲の心も昔からきちんとあって、「きっとこの世界を救うことは出来る」と思っていた。「自由を奪わない方法でこの世界を変える」と考えていた。「出来るはずだ」と信じていた。若かった。だが、今よりよっぽど賢かった。
posted at 22:14:05
最終的には、僕が現れて、世界を終わらせ、この世界を天国に作り変え、身勝手な理由でみんなを裁く。最初から、そういうものが神だ。神は、悪魔だ。精神分析とは、神の精神であり、悪魔の導きだ。
posted at 22:04:37
これでは、人間が支配者の子供にしか見えない。その人間たちを僕が支配する。僕がスーパーコンピュータであり、人間は僕に従い、昆虫や小動物をみんなでロボット人間の奴隷にし、そして食料を植物から勝手にとってくるように、昆虫に内蔵したチップをプログラムしたのだ。
posted at 22:03:44
別に、ロボット人間が優れているわけではない。僕がそのように創造しただけだ。
posted at 22:01:32
だから、ロボットを作っても、ただ昆虫に戻っただけだ。
posted at 22:00:36
そうすると、人間は何なのだろう?何に当たるのだろう?それは、きっと、中枢のコンピュータ的な頭脳に当たるはずだ。だから、ロボット人間と言うのは、今のこの生命のことを言っているのだ。
posted at 22:00:21
ロボット人間より怖いどころか、ただのロボット人間だ。最初から、何も出来ない、何も持っていない中で生まれ、ただ、死んでいく。生き残った生命だけが、虫のような単純な機械となって生き残る。明らかに、昆虫がロボット人間だ。
posted at 21:59:35
頭だけのロボット人間なんか、昆虫の祖先に比べれば怖くない。
posted at 21:57:26
おそらく、ロボット人間のような生命がたくさん居たはずだ。最初から、死ぬのが当然だから、いくらでも汚いところで増える生命が良い。その中で、運よく生き残ることが出来た生命だけが、強い生命になる。それが、生命の祖先の持っていた知恵だ。
posted at 21:57:24
だから、地球は生命が嫌いだ。生命は、寄生しているだけだ。
posted at 21:55:23
おそらく、そのままで残っているだけで、その前にはもっとひどい生命がたくさん居たはずだ。生命力があるのは、それらひどい生命の中で、唯一生き残った生命だからだ。昆虫は賢い。そういう背景的ベースがある。
posted at 21:55:04
ある意味、万能なものを目指していると、虫と同じになる。最初から何もない中で、足や手は存在せず、呼吸もしないし、食べることもしない。何も無い弱くて移動も出来ない生命が、ある時、ふとした時に最強の生命になる。それが、動物の祖先だ。
posted at 21:54:20
ただ、豊かな社会になったのを良いとは言うだろう。だが、近代化のしすぎで温暖化や核戦争による滅亡が近いものになってきている。村のようなコミュニティもなくなり、孤独な格差に悩みながらどこにも相談出来なくなっている。今の社会は、楽だが、弱い。出来るが、出来すぎる。そういう社会になった。
posted at 21:53:17
ヨーロッパは新しいものを好むが、キリストを善だと思うせいで、何も分かっていない。逆に、キリストを悪とする日本人は、古代のままで居られる代わり、賢い。だから、明治維新なんか、起きなくて良かったのだ。新しいものがヨーロッパに多かっただけで、それらは全く賢いものではない。
posted at 21:51:56
GNUとソ連が一番正しい。むしろ、ソ連は無くなったから悪く見えるだけで、本当は発展してしまえば楽な国になるはずだった。アメリカの方が、ソ連を外部から攻撃しているから、アメリカの方が悪い。GNUはきちんとUNIXとCORBAと言う正しい考え方でOSを作っている。
posted at 21:50:53
ある意味、自分が分かっていないのは、それとそれが関係して何を生み出すか、と言う、「作用的な関係」が分かっていない。
posted at 21:47:44
事実から本当のそのものの姿があらわになることはあるだろう。だが、あらわにならないものもたくさん存在する。むしろ、地球の生命を作ったのは明らかに天使だ。天使が、たくさんの外的作用によって、海や岩から生命を作り出したのだ。
posted at 21:43:09
ある意味、「方法」を考えることは、次への未知の発想につながるはずだ。そのもの自身の「属性」ではなく、そのものに他のものや自己が与え、そのものが他や自己に与える「関係」を考えるべきなのだ。だが、属性が関係になることも多いだろう。本当は何なのか、実体的に考えていくことも必要だ。
posted at 21:42:07
あとは、科学的に考えることを学ぶと良いだろう。神は完全に自分をだましているだけだ。科学的にきちんと考えれば、何を考える前に何を考えるべきなのかが分かる。デカルトは、そこをきちんと懐疑して考えただけだ。
posted at 21:40:36
だから、決してコミュニストを目指したわけではなく、むしろ、それぞれの意志が増えていき、意志によって決められる限界が増えていく、右翼的な自由が好きだったのだ。
posted at 21:39:35
ある意味、そういう発想が、昔の僕の経済学だ。そのために、それぞれの出来ることや権限を考えていた。意志をその人間に与えた時、それはどのように実現出来るようになるかを考えた。「自由意志をたくさんの人々に与えなければならない」と考えていた。そこから、環境が多様に生まれていくだろう。
posted at 21:38:56
そして、環境はそれぞれの協和から自由になり、一人が出来る世界は自分の中に世界観を作ることで、人々に教えられるようになる。社会は自由から徐々に制限されたものになって、価値観を実現し、価値観自体を作り、正しい価値観から作るための手段を知り、最高の世界を一人作り出せるようになる。
posted at 21:38:04
昔は、ネットを見ながら「自由な社会がどのような段階を経て、どのように収束していくか」を分かっていた。まず、段階的に新しい秩序を作り出していく。次に、1つ1つのことから社会を変えられるようになる。自分の考え方から、高度性を実現する。最後に、みんなには潜在的可能性があるのが分かる。
posted at 21:36:57
僕の理解を言うと、CORBAは万能コンポーネントのサーバーを作りたい。それをデスクトップの応用にすると、X11のままでプログラムをコアの処理部分と外側にある小さな処理部分に分けられる。たぶんそういうものではないかと思う。Javaをやれば分かるかもしれない。
posted at 21:26:37
ただ、GNOMEをみんなで標準として頑張って開発しているのは、UNIXが好きだからだ。GNOMEを完成させたい人間が多い。GNOMEはどうしようもないほど馬鹿なデスクトップになっているが、それはいつか何とかなるだろう。PHP/MySQLは入門本を読んだ。Javaをやった方が良い。
posted at 21:15:32
だから、Linuxで遊んでいるより、COMやJavaや.NETのことをやった方が良い。Linuxは、CORBAのせいで物凄く巨大なデスクトップ環境になったのがGNOMEだ。だから、GNOMEは失敗作だ。
posted at 21:14:02
LibreOfficeのアプリケーションサーバーを作るなら、それはCORBAやJavaで出来る。だから、僕はもう少しJavaをやった方が良い。Javaの方が賢い。既にコンピュータ科学は最終点の理想に到達している。そもそもCOMを始めたのはマイクロソフトだ。.NETも同様だ。
posted at 21:13:09
ある意味、Waylandでも悪くは無い。ネットワーク透過は、むしろ、Xのネットワーク性とGNOMEのネットワーク性を統合した方が良い。そのための架け橋となるなら、僕はWaylandにも期待したい。
posted at 21:03:21
僕は、今、CORBAをネットワークにする意味が分かった。本当に、僕のウィンドウサーバーと同じ発想をしている。だから、GNOMEはありえないおかしな小さなプログラムばかり作るのだ。GNOMEの意味が分かって、全て分かった。
posted at 21:02:44
良く分からなくなってしまった。X11をMATEで使えば良いように見える。何かが正しい秩序の中で、全て無秩序に組み立てられている。もう少し、Linuxの正しい秩序をきちんと説明しなければ、Linuxは良い点を全て知られずに消えてしまうだろう。
posted at 20:54:24
自分は無自覚に人々を騙すから、ここでもGNOMEが分かっているつもりを発揮している。これではGNOMEが何なのか分からない。それに、文章なんか読めるわけがない。誰も分からない。GNOMEは、そういうところではなく、もっとユーザー視点でものを見た方が良い。
posted at 20:53:28
自分はGNOMEも分かっていないが、ミゲル・デ・イカザが目指したGNOME本来の設計とはそういうものなのかもしれない。分かっているようで、何も分かっていないのを身に染みて分かった。もう少し、きちんとGNOMEの文章に目を通した方が良い。GNOMEは馬鹿ではない。理想の境地だ。
posted at 20:51:55
この論理に抜けているのは、「LibreOfficeからGIMPに至るまで、全部に対応出来る最高グラフィックサーバーをどのような設計で作るか」だが、僕はここでオブジェクト指向を上手く使えば良いような気がする。僕はCORBAも分かっていないが、拡張自由な設計にするべきだろう。
posted at 20:49:36
そろそろ終わりだ。New X11 FrameworkをNXFとする。いつか、僕自身の力でNXFを作りたい。
posted at 20:41:37
もうみんな分かったはずだ。昔は実験のようなことをたくさんしていた。みんなも、実験して確かめることから始めてほしい。そうでないと、理性だけで考えていると、哲学することは出来ない。僕は騙しているわけではなく、騙されているからみんなを巻き込んで自分を追いつめているだけだ。
posted at 20:41:06
Xサーバーの中でも、1つのXサーバーが全ウィンドウを表示するのではなく、それぞれのウィンドウが「あたかも独立したサーバー」のようになって、それが小さなプログラムと相互操作するようにする必要がある。
posted at 20:39:53
問題はXサーバーの外にある。クライアントプログラムが巨大すぎるものになっている。Xにはファイル処理やスクリプティングのような機能は無い。「New X11 Framework」のようなものを作って、Xサーバーとやりとりするファイル処理やスクリプティングのライブラリを作れば良い。
posted at 20:39:07
そういうわけで、単純にLibreOfficeサーバーが子LibreOfficeプログラムと通信するのが良いだろう。それが一番、今のままで高性能なプログラムを作ることが出来る。そんなに美しい夢を追いかけても、ハエは宇宙へは行けないのだ。
posted at 20:28:23
だから、上手くXサーバーを分割して、「親グラフィック表示サーバー」に対して、「子ツールキットサーバー」や「子グラフィック処理サーバー」にする必要がある。どうしてもそういう風になる。だから、X11は嫌われるのだ。
posted at 20:27:31
この設計は、上手くやらないとおかしなことになる。Xサーバーがあまりに巨大になって、ユーザーはXサーバーをただ「触るだけ」になってしまう。あるいは今と同じ、GTK+やQtがそれぞれXサーバーとやり取りする、「ライブラリ式なのか、クライアント・サーバー式なのかわからない」ものになる。
posted at 20:26:27
ただ、そうすると、それはX11なのだ。だから、X11を単なるウィンドウシステムのサーバーにするのでは、本当は駄目だ。統合グラフィックスサーバーとして、あらゆるグラフィック処理をサーバー側で出来るようにし、ウィンドウの処理なども本当はXサーバー側で描くべきなのだと思う。
posted at 20:15:39
これにはもっと大きな可能性がある。グラフィックサーバーを、どんな操作でも受け付ける「最高グラフィックサーバー」にして、それに対してプログラムがさまざまな処理を要求するようにすれば良い。InkscapeやAbiWordなど、全てのグラフィック処理アプリケーションを統合出来る。
posted at 20:14:48
ウィンドウサーバーで何が出来るかと言うと、LibreOfficeのような巨大なプログラムを、1つのコアとなるサーバーと無数の小さなプログラムに分けることが出来る。だから、X11はある意味、UNIXのディレクトリ構造ではない形で、プログラムの分割を考えたかったのだ。
posted at 20:05:55
だから、たとえばIllustratorなら、ウィンドウサーバーで画像を表示し、そのサーバーとそれぞれの機能のプログラムがやりとりする。ある意味、カーネルとプログラムにも似ている。そうすると、むしろ、プログラムはGUIである必要は無くなり、コマンドにすることも出来るだろう。
posted at 19:50:23
ある意味、それをもっと進めると、「デバイスAPI」と「ツールキットAPI」を使いながら、「ウィンドウ」を作ることが出来る。ここで、もう少し、知恵を出すことは出来ないか?ウィンドウサーバーを作れば良い。ウィンドウを管理する中央サーバーを作って、それとコマンドがやりとりする。
posted at 19:49:19
ある意味、「マウス操作管理サーバー」と「アプリケーションクライアント」が通信する、と言う発想は、UNIXのディレクトリ型ファイルシステムに代わるものとしては、優れた考え方だ。ディレクトリではなく、デバイスをそのままサーバーにした。この「デバイスサーバー」と言う考え方は悪くない。
posted at 19:48:20
むしろ、ウィンドウからさらにウィンドウを出すのは、醜い。Windowsのファイル管理が使いやすいのは、UNIXのディレクトリ型ファイルシステムと言う、統合された考え方がベースにあるからだ。だから、GUIアプリケーションのほとんどは醜い。メニューだけを統一するのは、醜い。
posted at 19:47:08
ある意味、パソコンにはインタラクティブ性が求められるが、デザインは静止している。最初から完璧に考えてデザインすることも可能だ。それなら、人と同じように考えてはいけない。
posted at 19:44:01
もっと単純に考えた方が良い。デザインなんか、シンプルなデザインなら、背景に文字を付けるだけで出来る。もっと良いデザインにしたいなら、文字の読みやすさと色と、写真背景やパターンやふちを考えれば良い。
posted at 19:43:15
僕は、王となる。だが、そろそろ王はもう良い。MITやGoogleに入れたら良いなと少し思っている。
posted at 19:14:59
人間はいつか死ぬが、本当は永遠に生きる存在であって、それは、子供が続いていくからだ。祖母の代から、母の代、子の代、孫の代と続いていくが、それは、一人が400年生きるより優れている。一人が400年も生きても、すぐにすることが無くなる。合理性だけが合理性ではない。
posted at 19:14:28
自分が男であるのには理由があって、女ならたくさんの恋人が居ても、自分にしか産めないから、子供が少なくなる。男なら、たくさんの恋人が居れば、いくらでも子供が産める。
posted at 19:13:07
あとは、もう、女に戻るべきだ。女には何も分からない代わり、自由がある。国を統治しない代わり、それぞれの多様性を愛する。ただ、こういう悪い女も多い。
posted at 19:12:10
最近は、発汗作用がおかしくなっているから、治した方が良い。暑いのが楽になった代わり、血が気持ち悪くなって、疲れるようになった。さっき風呂に入ったが、汗をもっとダラダラとかくようになった方が良い。
posted at 19:11:28
昔は、環境自体を変える「秩序のルール」を作って、環境を生み出していた。その環境がどうなるか、から、この世界がどうなるか、全部知っていた。
posted at 19:10:41
女 - 女になって呼吸すれば治る。 この世界の全ては、記憶だ。 宇宙は場所ではなく、空間だ。空間は、ものがある間、ほとんど永遠に存在する。 日本語が賢いのは、英語をカタカナにすることだ。記憶装置をメモリと呼べる。 tmblr.co/ZJK90e2LDwB9X
posted at 17:15:31
日々のメモ - 自分は、神を信じるから辛くなる。信じれば良いか、悪いかが分からないなら、信じない方が良い。みんな、自分で考えて生きている。 tmblr.co/ZJK90e2LDvUuU
posted at 17:15:26
English version:
Author of a poetry "While searching for various things". 28 years old. Designer apprenticeship.
Novels and a diary are opening in my homepage: http://assy.dousetsu.com/
If it was I can, I will approve my fault.
Hobbies: piano, write, Linux, Illustrator, philosophy, history, religion, economics, psychology, cat, agriculture.
もっと自信を持ちなさい。
平和を信じなさい。
死を信じるな。人生に希望を持ちなさい。
あなたは、まだ何も終わっていない。
自分は、神を信じるから辛くなる。信じれば良いか、悪いかが分からないなら、信じない方が良い。みんな、自分で考えて生きている。
女になって呼吸すれば治る。 この世界の全ては、記憶だ。 宇宙は場所ではなく、空間だ。空間は、ものがある間、ほとんど永遠に存在する。 日本語が賢いのは、英語をカタカナにすることだ。記憶装置をメモリと呼べる。
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I’m 28 years old.
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But, this is Japanese. Automatic translation by Google is here.